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遙かなる流れ

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病院のベッドの枕元で夫が私に言います
「先生に言われたよ、体が衰弱しきっているので手術はできないと」
 この当時、結核の患者には今では考えられない事ですが、犯された肺を摘出する手術が普通に行われていました。その方が体力があれば早く回復するので、一般的に行われていたのです。
 でも、私の場合はその手術さえも出来ない程体力が落ちていました。ベッドから自力で起き上がる事さえ出来ませんでした。
今のように上半身や足元だけ持ち上げられる介護ベットは当時はありませんでした。
「新太はどうしました?」
 夫に最愛の我が子の様子を訊きます。この春から幼稚園に通わせています。私は、何とか入院前に入園式だけはついて行ったのです。
 親と初めて離れた入園式では少しベソを掻いていましたが、その後はどうしてるか、気になっていました。
「大丈夫だよ。元気に通ってるよ。ちゃんと言いつけを守っているから」
「そうですか……」
「会いたいだろう?」
「そりゃもう……」
「帰りに先生に訊いてみよう。許可が貰えるなら連れて来る」
 その夫の言葉が何よりでした。
「それからお袋のやつ、こんな事言いやがった。『家に帰って来るより四つ木に行った方が早いんじゃ無いのかい』って、そう言いやがった。いくら親でも許せん」
 私はそれを訊いて、このままでは死ねないと改めて思いました。必ず元気になり、姑を見返してやろうと思ったのです。
 二言目には『私には他にも子供がいるんだからお前たちは嫌なら何時でも出て行って良いんだよ』そう言うのです。
 何にも知らない姑です。他の子は誰もそんな事は思っていません。ある弟は『財産も無いのに家なんか継ぐなんてナンセンスだよ。ちゃんと育てて貰って無い人の老後なんか面倒見る気無い』とハッキリと言っていました。
 この日から、私はある意味姑に思い知らせる為に必ず病気を直すと決意しました。

 それから半月もたった頃でしょうか、幾分気分の良い日が続きました。売血の為(この当時は売血によって輸血の血液が確保されていたのです)かかった肝炎も薬で抑えていられる様になりました。
 そんな時です。病院の廊下をパタパタと子供が歩く足音がするのです。そしてこれからは私にとってとても懐かしくて、心待ちにしていた声が聞こえました。
「ねえ、この先のお部屋にお母さんがいるの?」
 足音は病室の入り口で止まりました。そして、開け放たれた病室の入り口に、小さな影が写ります。そして、そっと顔をのぞかせます。
「おかあさん……ぼくだよ!ぼくきちゃった!」
 そうです!最愛の我が息子が来てくれたのです。感染するからと今までは面会の許可が下りませんでした。でもとうとう、この日がやってきたのです。
 私は動かない体を無理にでも動かし、ベッドを下りて、這いずる様に息子に近づきます。
「おかあさん。ねていないとダメだよ」
 息子はそう言って、私の体を起こしてベッドまで連れて行きます。
「新太、いい子にしていた?」
「うん、いい子にしてると、おかあさん逢えると言われたからボクちゃんと約束守ったんだよ」
「そう…‥いい子にしていたんだね」
それからは涙でもう何も言えませんでした。
 息子が抱きついて来ます。
「病気がうつるから」そう言うと
「おかあさんと同じ病気になれば、何時も一緒にいられるでしょう」
 そう言うのです。私は、もう何も言えませんでした。夫が
「15分だけならって許可が出てな。短いけど早速連れて来たんだ。これからはなるべく連れて来るからな」
 そう言って、私を喜ばせました。
 それが良かったのか、段々結核は回復に向かって行きましたが、私の療法は結核菌に犯された右肺を固めて死滅させてしまうというものでした。
 ですから、今でも私の肺は片肺でレントゲンを写すと右肺は真っ黒になって写ります。
約一年の入院を経て退院となりましたが、本当はもう入院費が払え無かったのです。だからといって、この日までの分を全額払った訳でもないのです。この後分割で払う事になります。

 家に帰ってくると、早速以前の馬車馬の様な生活が始まります。結核は何とかなりましたし、掛かり付けの宮田医院で見て貰っていましたから強い注射も打って貰いました。困ったのいは肝炎の方です。
 慢性になってしまったのか、ダルさが半端ありません。父親も肝臓の病気で亡くなっているので、肝臓が遺伝的に弱いのかも知れません。
 退院したとは言え、体力が無いので薬の効きも悪いのです。そんな時でした、宮田医院で診察をして貰った後のことでした。
 家に帰る道に蜆やアサリを売っている人がいました。そうだ、夕飯のおかずにじじみを買って帰ろうと思い、売っているおじさんに声を掛けました。
「しじみを二ハイほど下さい」
「はい、二ハイですね、っと……」
 そこまで言っておじさんの声が止まりました。
「奥さん、肝臓が悪いね。それもかなり」
 ずばり、その通りでした。
「はい、実は血清肝炎にかかってしまって……」
「そうでしょう、その顔色見れば判りますよ。いいことを教えてあげましょう」
 そう言っておじさんは、蜆による肝臓の回復方法を教えてくれました。今日はここにそれを書きますので、肝臓が心配な方は参考にして下さい。おじさんは、
「しじみを量が多い方が良いけど、良く洗って泥を吐かしてから、蓋の出来る鍋にしじみを入れて蓋をして火に掛けるんだ。そうすると、じじみの口が開いて泡を吹いてくる。そうしたら蓋を開けてじじみがちゃんと口を開いているのを確認したら、火を止めてそれをザルにあげて、汁気を絞り取るんだ。この汁こそ特効薬でね。飲み難いけど冷やしても良いからそれを毎日コップ一杯ずつ飲むんだよ」
「おじさん、それじゃ沢山買わないとダメですね」
「まあ、そうだけど、そこは何とかして欲しいね。それから、その絞ったしじみを袋に入れて、お風呂に入れるんだ。これは臭うから終い風呂でやるんだ。そのお湯に体をつける。ゆっくりと入ること、それから、その袋で体をこするんだ。必ず良くなるよ」
 そう教えてくいれました。

 私はこの時、まさに藁をもつかむ思いだったので、すぐにそれを実行しようと思いました。幸いと言うか、都に売却後も園内での料理の営業は許されましたので、その後も縮小して、営業をしています。最も公立の施設なので格安の値段なので、以前の様に板前さんは使えません。夫と私が代わりにやっているのです。ですから、仕入れも二人で行っています。だから、市場で蜆を仕入れようと思いました。安く大量に仕入れられます。夫も
「売上は皆お袋が持って行って俺達には何も残らないんだから、経費で蜆を買おう」
 そう言ってくれ、それから毎日私は蜆の汁を飲んで、お風呂に入ったのです。それは、効き目があったらしく、段々私の体調は良くなって来ました。
 蜆と一緒に肝臓の薬も飲んでいたので薬も効いて来たのです。退院から一年半、やっと私は体が回復したのを感じました。それを夫は確かめると
「俺、外に稼ぎに行こうと思うんだ。このままなら俺達には何も残らない。自分の財産は自分でこさえ無ければ……」
「判りました。私もそう思います。家の方は私が頑張りますから」
作品名:遙かなる流れ 作家名:まんぼう