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京都七景【第十四章】

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【第十四章 蹴上に消ゆ(三)】

「おお、眠い目をこすってまでの諸君のその鷹揚なる度量! 俺は深く感じ入った。自分の失恋話でもない話につきあってもらい、このまま退屈させたとあっちゃあ俺の名が廃る。よし、これからは心してさくさくと進めるから、どうか、気を取り直して話を最後まで聞くんだぜ。頼むよ。だが、その前に、少しだけ待ってもらえるかな」堀井は、どうやら、話を端折る工夫をしているらしく、目をつむって、うん、うんと頷き、ひとりで、合点している。やがて目をかっと見開くと、滑らかに語りだした。

「俺は二人の姿が見えなくなるのを待って公園に入った。そこは、一つ大きな石碑があるだけの殺風景な公園だった。俺は二人が遠ざかる時間つぶしに、その碑文を読むことにした。ところがその碑文に俺はやられた」
「なんだ、なんだ、ロゼッタストーンでも立ててあったか?」と、わたしが身を乗り出す。

「うーむ、野上よ、どうしてそう冗談がつまらない?」堀井がわたしに哀れむようなまなざしを向けた。

「へん、お前に言われたかないよ」とわたしが気分を害する。

「まあ、まあ、ここは先に進もうぜ」と、露野が仲裁に入る。

「うむ、そうしよう」と堀井が受け入れる。

「碑文の内容は、琵琶湖疎水工事の由来だから、実はそんなに驚くことではない。俺が驚いたのはその工事にあたった、ある人のことだった。碑文によると、琵琶湖疎水工事は当時の京都府知事北垣国道(きたがきくにみち)と若干二十一歳の工部大学校生、田辺朔郎(たなべさくろう)の出会いから始まったという。なんと、若干二十一歳の大学生が琵琶湖疎水工事という前代未聞の大工事をまかされた。いかに時代が明治とはいえ、今の俺たちの年齢じゃないか。俺は、もうびっくりして言葉を失い、自己嫌悪に陥った。片や、琵琶湖疎水開削をまかされる二十一歳の工学士もいれば、片や、二人連れから出歯亀扱いを受けそうになった二十一歳の文学士もいる。何ということか。あまりの彼我の差に俺は呆然として、いつの間にか夢遊病者のようにふらふらと歩き出していた。
 はっと、我に返ったのは、さびた線路のようなものに蹴躓づいて、おそらくは片手をついた先が悪かったのだろう、肩から横ざまに一回転して仰向けに倒れた時だった。俺は再びびっくりした。どうしてこんなところに線路があるのか。しかもこのままもたもたしていれば、すぐに電車が来て、ひかれてしまうに違いない。俺は、すぐ様立ち上がって線路の外に出ようとした。ところがその線路の様子がどうもおかしい。普通幅の線路が2本真ん中に通っている両脇に、遠く離れて一本ずつさらに線路が走っている。これでいったいどんな機関車(電線が上になかった!)を想像したらいいのだろうか。
 俺は途方に暮れた。途方に暮れたがここにいるのは確かにまずい。俺は一目散に線路をかけ下った。どうして下りを選んだのかは定かでないが、おそらく遠目でそちらに機関車が見えなかったからに違いない。かけ下っていくうちに、所々線路が途切れているのに気がついた。何だ、廃線だったのか!そう思うと体から力が抜け落ち、足ががくがくして思わず側にあった立て看板に摑まったまま座り込んでしまった。
 しばらくはぜいぜい、はあはあ、が止まらない。そのうちにようやく呼吸が楽になったので、立ち上がるついでに看板を読むと、「インクライン(傾斜鉄道)」という説明が書いてある。ただし、何のための傾斜鉄道かの説明はない。俺は、この状況を把握するために、あたりを見回した。すると、だいたい次のようなことが判ってきた。
 そのとき、俺がいたところは古い廃線の軌道跡になっていて、さっきの公園のちょうど横に接している。軌道はちょうどその公園の横を市街に向かって緩やかに下ってゆくようにできている。公園の出口は軌道と同じ高さになっているから、俺はおそらくそこからこの軌道の中に足を踏み入れたものと思われる。軌道跡は下の方に行くにつれて右側の公園と溝を作って、単独の、土盛りをした一本の線路道となって市街を左右に分け、その傾斜のまま、下の方で市街と同じ高さになり、そのまた下の方で水たまりのような池の水面へと吸収されている。
 線路道の左側には大通りが平行して走っている。大通りは、線路道が市街の高さになる少し前に、左右にわかれ、右が少し細い通りとなって線路道にまっすぐ寄り添い、左が大通りのまま大きく左に迂回している。左の大通りがおそらく三条通りである、それは俺にも判った。だが、はて、細い通りの名は何と言ったろうか。俺は、急にその通りの名が知りたくなって、通りの名を調べるべく下におり始めた。  
 と、そのときである。なじみのある頭が二つ並んで、線路下の歩道をこちらへゆっくりと歩いて来る。もちろん、忘れもしないあの二人である。俺の位置は、ちょうど彼らの頭上やや高くにあたっているから、まず見られる気遣いはない。だが、しかし、念には念を入れる必要がある。田辺朔郎を知った以上、その辺の出歯亀に間違われたまま人生を終わるわけにはいかない。俺にも俺の大事業があってしかるべきなのだ。
 俺はしゃがんで二人をやり過ごすと、線路道から今二人が歩いていった歩道に降りて、道を反対方向に取った。数十歩も下るとすぐに、通りの名が分かった。これだから京都は助かる。たいていの通りに青い標識で名前が出ているからな。
 通りの名は「仁王門通り」とあった。そういえば、東大路の電停で「東山仁王門」という停留所があったな。とすると、あの辺りまで通じているのかもしれない、などと考えながら、俺は恐る恐るさっきの二人連れの行った方向を見返した。歩くには、かなりな上り勾配である。このあたりを「蹴上(けあげ)」と呼ぶのも、むべなるかな。確かに蹴って上がらなければならないような坂だ。幸いにして二人の歩く姿はどこにも見えなかった。俺はここで実にほっと安堵のため息をもらし、よし、よし、と頷きながら気分よく引き返そうとした。
 だが、まてよ。ここの歩道はずっと先まで一本道で見通しが良い。左に折れようにも線路道が邪魔してずうっと先まで曲がれそうにない。といって大通りを反対側に渡る信号はかなり先にある。この坂を走って上っていったのならいざ知らず、歩いていったのなら、どこかに姿があるはずである。ところが見渡す限り二人の姿は消えている。それっておかしくはないか。俺は自問自答した。だが、自問自答したからといって分かるはずもない。俺は、なんだかいやな気分になった。だが、好きなものは好きなもの同士、勝手にするがいい。俺には関係ないし、もう会うこともあるまい。よし、引き返すことにするか。おれはいよいよ、もと来た道を引き返すことにした。今から考えれば、実にこのときの判断が間違っていた」

「ということは、やっとこれからが佳境か」と、大山。

「さよう」と、堀井がもったいぶる。

「佳境だ、佳境だ」とわたしがはしゃぐ。

「本当に佳境なのか」と神岡が疑いを入れる。

「聞いてからの判断だな」露野が賢明なもの言いをする。

「俺に取って、これこそ、掛け値なしの佳境だ。もしこれが佳境でなければ、もはや俺に佳境はない」と堀井が太鼓判を押す。
作品名:京都七景【第十四章】 作家名:折口学