「歴女先生教えて~」 第二十七話
「うん、鎌倉武士団ね。支配者として君臨していた天皇家や朝廷では、戦いの間加持祈祷していた。そして神風が吹いたと信じたのよ。世間的にも確かに蒙古軍をやっつけたのは鎌倉武士団ではあったけれど、最後は台風の力、つまり天皇家が神風を呼び寄せたから、勝利出来たということにしたの」
「実際に戦った武士団はどうだったのですか?」
「弓矢は日本の方が優れていたようね。ただし、日本的な戦い方としては一騎でも敵に突っ込んで名乗りを上げて(我こそはどこそこの誰々である~)始めたから、蒙古軍はあっという間に討ち取れたの。そうよね、なんだこいつらおかしな奴だ、って思ったことでしょう。蒙古軍の最大の勝ち戦である騎馬戦が日本では出来なかったことと、逆に日本軍が騎馬戦をしたことで、歩兵として戦う能力が低かった敵を次々に討ち取れたことも勝因の一つね」
「馬は海を渡れなかったということですか?」
「もちろん大将クラスの馬は引き連れてきた。人間が10万人以上だから同じ数の馬を船に乗せて運ぶことは不可能よ。せいぜい数千頭が限界よね。餌も大変な量になるから最初から諦めて歩兵戦を決めていたと思うわ。そうなると日本軍の方が有利よね。資料には日本側の兵力(人数)が記されていないけど、夜襲を掛けたりして敵をかく乱して、夜は停泊している船で寝るまでに悩ませたの。そこにさらにボートで攻め込んだりしたから、沖にある島へ移動したのね。戦略的な面もあったけど、上陸して奪った城では全軍を収容できなかったし、日本軍の攻撃が激しかったから退却せざるを得なかった。それほど鎌倉武士団は強かったの」
「その島に全軍が移動して、次の攻撃をする前に神風が吹いてほぼ全滅したと言う事なんですね?」
「そうね、平戸島に全軍が集結して鷹島へ移動したのが弘安4年(1281年)7月29日ごろ。そして30日夜から翌日にかけて台風が襲ったの」
「まさに絶妙のタイミングで彼らは災難に遭遇したのですね。もし台風が来なかったらどうなっていたのでしょう?」
「難しい質問ね、それは。一説には日本軍は全国の武士団を結集させてその数25万騎とも言われるの。話半分としても蒙古軍に匹敵する人数は居たのよね。地の利を生かして戦えるから、例えば兵站を途絶えさせる作戦を敷いて長期戦に持ち込めば蒙古軍は退去するか自滅するしかなかったと思う。そもそもこの戦いは敵に勝ち目は無かったのよ。維新の時のアメリカやイギリス、フランスなどとは違っていたわね」
「日本人は負けないんだとの錯覚が芽生えたことでしょうね」
「そうかも知れないわね。維新も乗り切ったし、日清日露と勝利して、第一次大戦も勝利国側に居た。どう見ても不利なACBD包囲網の中、戦争を仕掛けるなんて無謀だと考えなかったことが不思議。神風が吹くとみんなが信じていたことも不幸よね」
(*ABCD包囲網=Americaアメリカ、Britainイギリス、China中国、Dutchオランダから貿易制限をされたことの総体に日本がつけた名称)
「真珠湾攻撃での大々的な勝利は生かせなかったのでしょうか?」
「その話は近代になってからの時に話しましょう。今は簡単に言うと、日本は作戦を間違えたと先生は考えているの。戦争は仕方がない部分もあるけど、引き際が大切。降伏するより前に和解して犠牲を最小にすることが、国家が国民に対する責任よ。そういう点では駆け引きが下手な指導者ばかりだったことも不幸だったわね」
ここで終了時間のベルが鳴った。
作品名:「歴女先生教えて~」 第二十七話 作家名:てっしゅう