最初の一歩
おれ、なんにもできないけど。おまえになにかしてやれるほど気の利いた人間じゃないけど。東京へ帰ってからも明希のことは心配してるから。明日もあさっても、ずっとずっと、おまえのこと心配しながら生きてくと思う。だからさ、もしひとりぼっちでいることが寂しくてどうしようもなくなったら、そのときは、おれのこと思い出してくれよな。
明希はひざを抱えたまま、少し震えているように見えた。
叔母にあいさつをして玄関でスニーカーをはく。明希の部屋でどんなやり取りがあったかは、訊かれなかった。
お母さんによろしくね。年が明けたらごあいさつにうかがいますって。
はい。
立ちあがって振り向き、おれは息を飲んだ。叔母の後ろに、明希が立っていた。ジーンズにはきかえ、水色のダウンジャケットを着ている。叔母も気づいて言葉をつまらせた。
明希……あんた。
おれは優しく微笑んで手を差し出した。
行こう。神社。もうすぐ新しい年になる。
明希は今にも泣き出しそうだった。
足にちからが入らないのか、ひざが震えている。
ほら、おれにつかまれ。神社まで引っぱっていってやるから。
ぜったいに手を離さない?
離さないよ。約束する。
はじめて水辺へ足を踏み入れた子鹿のように、彼女はこわごわ足で床をさぐり、ムートンのブーツへつま先を入れた。今にも倒れそうだったので腕をささえてやると、逆にしがみついてきた。
じゃあ叔母さん、これから明希ちゃんと二人で天神さまへお参りに行ってきますから。
泣き笑いの表情で、叔母はなん度もうなずいた。
カラカラと引き戸を開け、外へ出る。音もなく雪片が舞っていた。暗い曇天を見あげ、息を吸い込む。大気がぎんぎんに凍てついているのがわかる。さっきここへ来たときにはそうでもなかったが、見れば道路やブロック塀、そして前庭に植わった松の枝先にまで、いつの間にか真っ白い雪が積もっていた。街灯のかぼそい明かりを受け、生まれたばかりの雪面がキラキラ輝いて見える。思わず恍惚として吐いた息が、白くうねって夜空へ霧散した。
明希が、命綱のようにおれの腕をつかんで離さない。
やっぱり怖い。だって外歩くの二年ぶりだもん。
おれは首に巻いていたマフラーを半分ほどき、彼女の顔にぐるぐる巻きつけてやった。
怖くなくなったか?
これじゃ、まえが見えないよう。
そのときメールの着信音が鳴った。取り出したスマートフォンの待ち受け画面が、見るまに新年を祝うコールで埋め尽くされてゆく。たった今、年が明けたのだ――。
じゃあ明希、いくぞ。
……うん。
新しい年の、まだだれにも踏まれていない新雪のうえに、おれたちは最初の一歩を踏み出した。