台風の夜
裕太が悪いわけではない。しかし、彼を気遣ってやるほど、武徳はおとなになりきれなかった。
「武徳!」
突然、大きな声がして、武徳はつんのめった。服をつかまれ、引っ張られる。思わず両手をばたつかせて逃れようとしたが、背後から羽交い絞めにされ、動けなかった。
「なにやってる!」
兄の声で、武徳は我に返った。周囲を見渡す。自室のベッドでも裕太の家の布団でも教室でもなく、屋外にいた。海岸沿いの道を、武徳はぼんやりと歩いていた。
どうやってここまできたのか、まったくおぼえていなかった。ベッドに入ったままのTシャツ姿で、靴は履いていない。
武彦は弟が家を出るのに気づき、不審に思ってあとを追ってきたらしい。顔面蒼白で、まだ呆然としている武徳の肩を揺さぶった。
「こっち見れ、武徳。だいじょうぶか?」
武徳は兄を見つめ、その頭ごしに海を見た。暗闇のなか、波音がすぐちかくに聞こえた。今は穏やかに凪いでいるが、満潮で風のつよい日には波が高くなり、防波堤を乗りこえて砂浜を越えそうになる。
夜になったら、ひとりで海には行かんよ。とくに台風のときは、絶対ちかづかんよ。わかったね、武徳?
引っ越してきてからは、毎日のように母から何度もいい含められていた。
「兄ちゃん……」
兄の腕をしっかりと握りしめて、武徳は呟いた。
「裕太はお父に会いに行ったんじゃないよ。おれに会いにきたんだよ……」
波はごく静かに、砂浜を削り取って、寄せては返す限りない動作をつづけていた。
おわり。