「メシ」はどこだ!
第7話
翌日の昼の営業が終わると、泰造はカブに跨って日本橋の「花村」に出かけた。
「ちょっと『花村』行って来る」
美菜にそう言うと
「お父さん、もしかしたら、秀樹さんは千住にオヤジさんが現れたのを知らないかも知れないから、その事は黙っておいた方がいいよ」
美菜がそんな事を泰造に言った。言われて『それもそうか』と思い直した。
「判った。肝心な事は黙ってるから」
泰造はそう言うとカブのエンジンを掛けて国道四号線を日本橋に向けて走り出しだした。車と違い、バイクなら千住から日本橋まで二十分もあれば到着する。
泰造は三越の前の交差点を左折して料理屋が並ぶ一角に入って行った。路地の奥に目的の店「花村」はあった。見ると愛子が通りに出した看板を仕舞っていた。
「あら泰造さん! どうしたの。電話じゃ都合付かない事?」
愛子が驚いた表情で泰造に語りかける。色白の愛子は藤色のグラデーションの浜縮緬の着物に網代麻葉の濃いグレーの帯を締ていた。地味だがいかにも料理屋の女将と言った風情だった。
「相変わらず綺麗だね」
珍しく泰造が冗談を言うと
「ありがとう! でも子供の頃から知ってるから女としては見ていなかったのよね。ウチの人の前では言えないけど」
「ま、妹みたいなものだしな。それよりオヤジさんの事なんだがな、この前のヨーロッパに行ってるってのは本当なのかい?」
泰造の質問に愛子は若干表情を曇らせ、暖簾の脇から店の様子を伺うと、泰造の袖を引いて
「ちょっとこっちに」
そう言って路地のまた裏に連れて行った。
「ウチの人には余計な事言うなって言われているのだけど、泰造さんなら別だから本当の事を言うわ」
「それは? 本当は行っていないという事?」
「ううん。行った事は本当なの。でも期間は一週間で帰って来たの。それは予定通りで何の問題も無かったのよ。でも直ぐに『またヨーロッパに出かけて来る』って言い出したの」
自分の父親が何かに巻き込まれたのでは無いかと憂いてる愛子に泰造は
「じゃあ、何日かはこっちに居たんだ!」
「そうなの」
「こっちに居る間に市場に行っていたのかな?」
「それは無いと思う。少なくとも店の事では行かないから」
そうだろうなとは思う。今は店の事は秀樹に任せたのだから余計な事はしないのが普通だ。
「じゃあ本当に組合で地中海の鮪の養殖を視察に行ったのか?」
「それも違うと思う。わたし達には、そう言ったけど、一緒に行ったのは一人を除いて私が知らない人ばかりだったから」
「どうしてそれを知ってる?」
「だって成田まで送って行ったから」
「一人は知っていた?」
「うん、組合の人だったから。残りの人は知らない人だったわ」
「全部で何人?」
「六人かな」
「それは何時だい?」
「二日前の夕方よ……ねえ、お父さんは何かに巻き込まれたの?」
泰造は二日目と言えば、朝に千住でオヤジさんが目撃された日だ。その日の夕方にヨーロッパに向ったのだろうか?
「それが判らないんだ。だから調べている。今日、ここに俺が来たのは秀樹には黙っていてくれな」
「それは判ったわ。言わない」
「それと……優子さんとはどうなの?」
「……全然連絡していない。噂では食品関係の商社マンと付き合って一緒に住んでるそうだけど。こっちには何の連絡も無いから……まさか、優子が泰造さんに何か言って来たの? そうなんでしょう!」
昔から愛子は感が鋭かった。嘘を見抜くのも上手だった事を思い出した。
「まあ、遠からずと言った所さ。心配はしているみたいだ」
愛子は深い溜め息をつくと
「全く、何か知ってるなら実の姉の私に連絡すればいいのに……いいわ。電話でもしてみる」
愛子がそう言うなら姉妹の事だから泰造にはどうしようも出来なかった。依頼主が優子だと言う事は黙っておいた。この分では優子も何か隠しているかも知れないと考えた。
礼を言って、何か判ったら連絡する事にして「花村」を後にした。途中の広小路と湯島の間の「うさぎや」でどら焼きを買って行く。美菜の好物だからだ。
千住の店に帰ると美菜が店で待っていた。
「何かあったか?」
「ううん。別に」
「そうか、土産買って来た」
そう言ってどら焼きが五個入って包装紙が被された白い箱を出した。
「わ! 『うさぎや』のどら焼き! ありがとう!」
「一つ母さんに備えなさい」
「うん!」
美菜は箱を大事そうに抱えると仏間に向った。美菜の母親は数年前にガンで亡くなっている。泰造が「銀星」の花板を辞め店を構えてたのも、美菜の事と妻の闘病の事があったからだ。美菜の摂食障害が直っても、妻に先立たれて泰造は一時は気の抜けたようだった。それを再び立ち上がらせたのは美菜だった。
「ほらお母さんの好きな『うさぎや』のどら焼きだよ。お父さんが買ってきてくれたんだよ」
美菜が線香を灯し、鈴を鳴らす。泰造はその音を店で聴いていた。
帰って来ると美菜は「花村」の事を尋ねた。泰造はありのままに語る。
「そうかあ、じゃあ、千住で目撃された日にヨーロッパにまた向ったんだ。それもよく知らない連中と」
「本当に向ったのかな?」
泰造の疑問に美菜は
「どう言う事? まさか成田まで行って帰って来たの?」
「いやヨーロッパとは限らないって事さ」
「でもパスポート後で見れば判るでしょう?」
「お前、家族にわざわざパスポートの判子見せるか?」
泰造の言葉に美菜も「それはそうか」と納得する。
「それと、優子さん何か知ってる。絶対そんな感じがする」
確かに、今から思えば色々と疑わしい事はあったのだ。あの時は、まさかこのような事態になるとは思ってもみなかった。
「もう一度優子さんに訊いてみるか?」
泰造はそう呟くのだった。