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ひこうき雲

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 俺の中に開発時代の光景、この場にもいる仲間との苦悶の日々と笑顔が走馬灯のように駆け巡り、目に熱いものが溢れてきた。嗚咽が出そうなのを堪え、俺は演台に両手をついて深く頭を下げた。頬を一筋の涙が流れ落ちる。情けないが仕方ない。
「今回受注してしまったサンライズエレベーターは、皆さんも御存知かもしれませんが、中堅のエレベーターメーカーです。大手メーカーとの大きな違いは電気関係、モーターを始めインバーターやその制御系を自社開発しておらず、当社のような部品メーカーから購入して組込んでいる点です。そうすることで開発コストを下げ、低価格を前面に出すことで大手に対して競争力を保っている会社です。このため、大手との競争ではどうしても勝てない面があります。それは独自性や省スペースに関する点です。今回の200A発注は省スペースに関する課題を解決するためでした。
 エレベーターといえば、かつては屋上に機械室を設けてモーターを駆動するインバーターや運転を制御する電気・電子部品を収納した制御盤とモーターにギア、ブレーキなどを組合わせたマシンを設置するものが主流でした。しかし、法改正により必ずしも機械室を設置しなくなってから20年あまりが経ち、大型、高速の機種を除いて機械室を持たない『機械室レスエレベーター』が主流になっています。これは『機械室レスエレベーター』が、屋上に機械室を不要とした分、建物による日陰を規制するために建物の高さを制限する『北側斜線規制』のギリギリまで階を増やすことができるからです。」
 ここまでは一般向けのニーズの話だ。一旦言葉を切って、室内の面々を見回す。
 一緒に仕事をしていた頃、『メモ魔』とからかった高沢があの頃と同じペンを手に取ったのが嬉しい。似合わない仏頂面も消えている。
-ありがとう。-
 思わず下げてしまった頭を何事もなかったかのようにさっと上げて深く息を吸う。ここからが本番だ。
「機械室という法律で定められたスペースがなくなった機械室レスエレベーターでは、機械室に設置していたモーター類と制御盤を他のスペースに設置しなければなりません。これらは『昇降路』という乗客を乗せた『乗りかご』が上下する煙突のような場所に設置するのが主流となっていますが、これを実現するためには上下する乗りかごと接触しないように薄型としなければなりません。このため薄型制御盤と薄型モーターが必須となります。薄型モーターは他社に任せるとして、問題はインバータを実装する制御盤の薄型化です。先ほど申したように、大手エレベーターメーカーはインバータ部分も含め自前で設計しておりますので標準型と言われている主に16階建以下のマンションや病院、オフィスビルなどに設置する全シリーズを機械室レス化しております。一方でインバータを購入して制御盤に組み込んでいるサンライズエレベーターなどの中堅メーカーはこの薄型化競争で太刀打ちができません。彼らは、標準型のうち大容量の13人乗り及び15人乗りについては製品化していません。なぜなら、この容量に相当する我々インバータメーカーの製品サイズでは大手の薄型制御盤に対抗できないからです。」
 どこからともなく落胆にも似た息が漏れる。
 日滝製作所を除く大手電機メーカーがエレベーターを製造している。つまり大手エレベーターメーカーとは、大手電機メーカーのことであり、同じ大手電機メーカーである日滝製作所が、お手芸のインバーターで、エレベーター屋のインバーターに負けていると言われているようなものだった。
 敢えて『我々インバータメーカー』と表現したのは、気付いて欲しかったからだ。俺も開発の時は目の前に山積みとなった課題、忙しさにかまけて自分が知りえる範囲の情報での競争意識しかなかった。『ところ変われば人変わる』は、俺が最も嫌う言葉だったし、そういう人間を軽蔑もしてきた。だから営業の人間として『開発が』とは言いたくなかった。勘違い・知識不足で諸岩が未開発案件を受注し迷惑を掛けた事も棚に上げたくはない。
「やってやろうじゃないか。」
 古田がテーブルに両手をついてゆっくりと立ち上がりながら言うと、テーブルから離した手を腰に当て、背筋を伸ばして周囲を見渡す。自信に満ちた目は一人ひとりを確かめるように見つめていく。高沢も苦笑交じりに頷いて俺へ目を向ける。その瞳から恨み節は消えていた。
「ありがとうございます。」
 弾かれたバネのように末席の諸岩が立ち上がって礼を述べる。続けて俺もみんなを見回しながら礼を言い、深々と頭を下げる。感謝と申し訳なさの念で目頭に込み上げてきたモノが手帳の文字を滲ませる。今頭を上げて昔の仲間と向き合うと男泣きしそうで、上げるに上げられない。
「しかし、だ。条件がある。」
 古田の声が会議室を緊張の空気に変える。
 企業は利益を産んでこそ価値がある。反射的に上げた俺の顔。乾いた涙が肌を張る感触が、さっきまでそこにあった義理と人情の世界を名残惜しそうに物語る。それをさらに打ち消すような古田の厳しい表情が俺の目に映る。
「事情は分かったが慈善事業をやるわけにはいかん。儲けを出す事は当然だが、多忙を極める中で、さらにこの開発をやるからには、苦労を無駄にするわけにはいかない。」
 工場サイドの人間の総意と言わんばかりに古田が声を張った。
「もちろんです。皆さんの苦労を無駄にするつもりはありません。サンライズエレベーターだけでなく、エレベーター業界に200Aを積極的に売り込みシェアを伸ばします。」
 俺は誠心誠意を込めてゆっくりと噛みしめるように答えた。
「それは当然やってもらいたい。だが、俺が言ってるのは、そういうことじゃない。エレスリム200Aをきっかけとして、省スペースなエレスリムシリーズで新しい分野を開拓して欲しいんだ。せっかく苦労して作るんだから、毒を食らわば皿までもだ。俺達も協力を惜しまない。それが条件だ。」
 そして悪戯っぽい笑みを古田が俺に向けた。
『毒を食らわば皿まで』か、懐かしい古田節に開発の頃の思い出が駆け巡った。

作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹