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ひこうき雲

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「お、お前、そんな事、こんな人がいっぱいいる前で止めんか。だいたいお前みたいな小娘に心配される筋合いはないんだよ。」
 俺は顔の前で、団扇のように手を左右に振って止めさせようとした。全く情けない話だ。
「私、もう小娘じゃありませんから。」
 そう短く言い捨てた公子はプイッとエレベーターの方に向き直った。
 確かにお前は小娘じゃなくなっている。俺がいちばんビックリしているさ。
 しかし相変わらず、その言動が小娘なのさ。。。中年をからかいおって。。。
 その背中に心の中で呟く。
「そうだな、先輩に対して小娘、は失礼だな、すみません。職場に案内してください。」
 あえておどけた調子で公子に言った。
「そういうこと言ってるんじゃなくて、、、ま、いいか、」
 そこにタイミング良く到着したエレベーターに救われた思いで乗り込んだ。
 
 17時5分に夕方のチャイムが鳴ると、今日何度目かの開発とは違う文化にぶつかった。
 誰が、どこに行っているか、の確認が始まった。手持ち無沙汰に電話で話す者もいれば、受話器を忙しなく肩と頬に挟みながらパソコンのキーを連打している者もいる。
 開発ならば、大抵の人間が残業、たまたま手の空いたごく少数の者は申し訳なさそうに定時退勤する。そもそも、開発の場合は社員の名前が一覧表になったホワイトボードがあり、名前の右に行き先を記入しておく、現場やライン設計など頻繁に行く場所はマグネットで作っておくのは職場改善活動の初歩中の初歩だ。ちなみに「年休」というマグネットがいちばん汚れが少なく、○○会議室といった類は使い込まれている。
 ここにも行き先を示すホワイトボードはある。あるにはあるが、行き先欄には「在社」と「帰宅」、「外出」、「休暇」が既に印字されていて、矢印の赤いマグネットがその何れかを指し示しているだけだ。
 まあいいさ、とにかく最初の一日が終わった。自分でも嫌になるくらい月並みでへりくだった挨拶を朝礼でやって、その後の各部署への挨拶回りでも使い回した。
 そして資料を読み漁る振りをして退屈に過ごした午後、、、技術資料と言ったって、仕様の特徴や、オプションの組合せ、簡単な計算式などなど。。。仕様決定資料。略して仕決資料。。。何てったって俺達が開発で作った資料なんだからな。モデルチェンジの度にリリース間際の機能試験や設計変更、設計書類で大忙しの時に営業が矢のように催促してくる仕様決定資料。。。そう、カタログだけではこういうモノは売れない。カタログを元に顧客と打ち合わせて技術的な詳細を決める資料が要る。だが、それを作っているのは、文書作成専門のチームではなく、開発が片手間でやるしかないのが今も昔も日滝のやり方なのさ。何故かって?何で開発がやるのか?それは営業の連中に技術的な知識が欠如しているからさ。ライバルの三槍なんか、営業技術とかいう営業にも技術専門の部署があって、第一線の営業マンの支援をしているらしい。営業がトラブルになった時には、その営業技術が客先に出向いて説明や調整を行っている。ウチなんか何度営業の尻拭いをさせられたことか。。。

「さてと、今日の外回り組はそのまま直帰だな、さ、柿崎さん行こうか。」
 各チームの居残り組からの報告を聞き終えた三谷課長が俺の背中に声を掛けながら通り過ぎる。
 返事を返しながら振り返ると、すでに三谷がマグネットの矢印を「帰宅」に合わせていた。
「行きますよ。」
 驚いて振り返ると、触れんばかりの近さに俺を見上げる顔があった。少し間をおいて甘い香りが思い出したかのように鼻をくすぐる。俺としたことが嗅覚が出遅れたらしい。情けない。相手は「たかがハムちゃん」だぞ。
 視線をそらしてあの頃の公子を脳裏に浮かべる。。。一瞬だけ。。。コイツが実習生だったあの頃。。。

 営業部が入社1年目の社員に行っていた実習生制度、若手に各職場の役割と雰囲気を肌で感じ、学び、将来の業務に役立ててもらいたい。という趣旨で始めた制度だった。
 営業人としての人格形成の第一歩だ。いろんな想いと立場の人と打ち解けて将来に繋がる人脈を作って来い。と発破(はっぱ)を掛ける上司もいたらしい。
 そんな人間臭い古き良き制度も幾多の経済危機に揉まれて消え去ってしまったが。。。
 その一環として開発に実習に来てたのが大田公子だった。無邪気とも天然とも取れる公子の明るい性格は、柔らかそうな頬に大きな瞳、小柄な体にアンバランスな胸の二次元オタ受けする容姿も相まってか、男だらけの職場でも、すぐに人気者となった。俺から見たら小娘だったが。。。
 そして誰からともなく公子の「公」の字をカタカナに分離してハムちゃんと呼ばれるようになった。小娘ハムちゃん。水色の作業着を羽織った小柄な体で化粧っ気がなくて、着飾りもせず。。。ま、これは現場を歩く際に服を機械に引っ掛けると危ないからだ、だから「現場にも行くんだから基本的にスカートじゃない方がいい。」と言ったのは俺だ。眺めるならスカートを穿いた女性の方が断然イイ、俺の場合はカミさんが穿いてくれないから尚更だ。まあそんな嘆きは置いとくとして、同僚や部下は眺めるものじゃない。同僚は助け合って成果を出す者、であって、部下は育てて伸ばす者だ。
 まあ、あのハムちゃんだってもう30代後半だ。色気のひとつもあって当然か、、、自分の感覚に今は正直でいよう。でも眺めるものじゃない。それだけは肝に銘じ直した。
 
 とにかく今日は初日だ。
 何で俺が営業に?
 いろいろ言いたいことはあるが、聞くことに徹しよう。
 ハムちゃんと、課長、そして出張帰りの営業部長が合流するらしい。歓迎会は後日予定を調整して盛大に開いてくれるらしい。。。が、正直、営業の連中なんて頭デッカチで俺達技術者をコケにしてきたような奴らだ。しかも、技術が売りな企業で手前らが不勉強なことを棚に上げて開発がダメだと技術屋を馬鹿にする奴ら。。。
 そんな奴らと同じ職場だなんて、、、何て皮肉なことだろう。
 「俺は奴らとは違う。」
 開発や設計の仲間に誤解されないように生きていきたい。
 立場変われば人変わる。。。俺がいちばん嫌いな言葉だから。。。

作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹