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ひこうき雲

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 井川は書類が入っているらしいブリーフケースを俺の隣の席に置く、赤ランプというのは、この路線の特急に付いている座席指定の状態を知らせる装置だ。座席の上にあるランプが赤なら、その座席は指定が取られていない、つまり誰も来ないから座れる。緑なら誰かに指定を取られているので座れない。黄色なら間もなく指定席になる。という仕掛け。慣れれば便利なのかもしれない。もっとも、自由席が無いので指定を取ってなくても同じ料金だから、俺は指定を取って乗るようにしている。井川はきっと指定を取る時間が無かったのかもしれない。あるいは面倒くさかったのかのどちらかだ。仕事柄、細かいところまで目が行きとどく男だが、案外ガサツなところも併せ持つ。
-相変わらずだな-
 通路を歩く昔より幅が広くなった背中に微笑みかける。
-そんな俺の背中は、アイツからはどう見えるのだろうか。。。-

「それはそうとヒロちゃんは出張かい?」
 トイレから戻った井川は、力む声を短く漏らして座席の荷物を網棚に載せ終えると笑顔を向けてくる。
「いや、転勤だよ。今日から秋葉原にある営業部に行くんだ。」
「えっ?転勤?」
 井川の人懐っこい笑顔が崩れる。続きは察しが付く「長男なのに?」だ。
「そろそろ戻って来るのかと思ってたのに、ヒロちゃんの会社は長男とか関係ないのかい。」
-普通の会社はそんなの気にしてくれないさ。-
 言いたくなるのを押さえて俺は言葉を継ぐ
「学生の頃にさ自衛隊受けたんだけど面接官が長男は考慮して最終的には地元に戻す。って言ってくれたけど。俺の会社はそうじゃないらしい。。。
 わざわざ茨城にしか職場がない子会社に入ったのにさ、入社して2~3年後には東京の方で販売やってる子会社と合併しちまって、結局開発をお役御免になったオッサンが今になってそこに飛ばされたって訳さ。」
 井川の表情に憐れみが浮かぶ。
「みなと市からこれに乗って通うのか?」
「いや、さすがに無理だよ。単身赴任だ。今日は最初だからなウチから行きたくて早起きしてきたんだ。」
 俺は溜息混じりに答えた。
「何年ぐらい東京に勤めるんだ?」
「さあな。。。もしかしたら退職までかも。」
 更に俺の溜息が重くなる。自分でも考えてなかったことだけに悲観的になってくる。
「じゃ、実家に入るのはまだまだ先かな。」
-言っちまえよ。-もう一人の俺が叫ぶ。そうだ。言っておこう。もう決まったことだ。。。
「いや、もうそれはナシになった。」
 俺はわざと吐き捨てるように言った。
 筑波山麓のどかな雰囲気。。。大好きだったあの田舎町、、、一瞬景色が見えた気がした。だが、もうどうでもいいことだ。
「え?ナシって何が?」
 井川が目を大きく見開く?
「こないだ親父から話があるって言われて、兄弟揃って実家に行ったんだ。そこで親父に言われたんだ。実家はヨシに継がせる。ってな。」
 感情を抑えた俺の声は抑揚のないものになっているに違いない。
「おいおいヒロちゃん。マジかよ。」
-嘘みたいなホントの話だ。-
「マジなんだよ。それがさ。。。今更何だって話だと思わないか?もうすぐ50になるんだぜ。今までの人生なんだったんだ。って感じだよ。」
 静かな朝の特急の車内。声は荒げていなくても、語気が強くなっているのが自分でも分かる。
-やっぱりまだ冷静には語れないよ。久々に会ったのにこんな話、ノリちゃんゴメン-
「確かにそりゃあヒドい話しだな。でも実家の隣に土地買ったんじゃなかったっけ。」
「ああ、買ったよ。10年も前に、ずっと税金と草刈りをしてきた。無駄な買い物しちまったよ。」
 何故かノリちゃんの顔が安堵に緩む。
「じゃあ、戻ってきたらそこに住めばいいじゃないか、いつか家建てさ。戻ってこいよ。」
-何を言うんだ。長男と言う呪縛で俺の人生を滅茶苦茶にしてきた家の隣に住め。と言うのか。冗談じゃない。-
 俺の中で何かが弾けた。
「冗談じゃない。何で俺があのクソ親父の隣に家建ててまで住まなきゃならないんだ。冗談じゃない。」
-ゴメン。ノリちゃん。あんたに当たったって仕方ないのに。。。-
 俺は窓の外に目をやり、膝の上に力強く握り拳を作って俺は歯を喰い縛っていた。その手が何か優しい温もりに包まれるのを感じた。
 車窓から視線を戻すと、井川が優しく微笑みかける。井川が俺の怒りの拳に手を置いたのだった。
 さっとその手を引っ込めると井川はゆっくりと口を開いた。
「ヒロちゃん。俺も長男だから、その気持ちはよく分かる。でもな、今更かもしれないが、きっとそれは親父さんがヒロちゃんの将来を考え、悩んだうえでの決断だったんじゃないかな。弟、、、ヨシちゃんは地元で働いてるんだし、その方が現実的だって、やっと分かったんだ。きっとヨシちゃんやその奥さんに申し訳ないって、そしてヒロちゃんの今までの人生に申し訳ないって負い目を背負って生きていく覚悟で、それでもヒロちゃんのことを考えて決めたんだと。俺はそう思う。」
 俺の心に優しさが広がっていく。
-でもな、、、でも俺の可能性って何だったんだ。。。-
「確かにそう思う。でもな。。。俺はそんなに直ぐには気持ちを切り替えられないんだ。」
 俺は申し訳なさそうに言葉を継いだ。
「そりゃそうさ。そう簡単に切り替えられる訳ないじゃんか、でも親にとっていつまでも子供は子供。子供が何歳になったってその将来を気にかけて、幸せを祈ってる。そんなもんだろ。」
「まあ、そりゃそうだけど。」
-ノリちゃん、あんたは大人だな。-
 言わんとしていることは分かる。
 だが、、、
-どうやってこれからの人生を進めばいいんだ。俺は何に向かえばいいんだ。-
「そうだ、何で思いつかなかったんだろう。」
 井川が笑い転げる。懐かしい笑い声だ。
「何が?」
「ヒロちゃんってインバータの技術者なんだよな?」
「ああそうだよ。」
-何で今その話なんだ?-
「それってハイブリット車のインバータと仕組みはいっしょか?」
「一緒だよ、ウチのユニットを使ってる車もあるよ。」
 俺の膝に衝撃が走る。
「な~んだ。それを早く言ってくれよ。」
 俺の膝を井川が叩いてひと際明るい声を出す。さっきまでの諭すような大人の井川は居ない。少年のように声を弾ませる。
「何が」
-ノリちゃん、何はしゃいでるんだ?-
「帰ってこいよ。。。そのうち実家の隣に家建ててさ。。。退職してからでもいい。そして俺と車屋やろうぜ。」
 俺の中で暗い闇雲が一瞬にして一点に集束し、心の中が眩しいくらいの光で溢れ爽快感が広がる。
「いいね。それ。っていうか、いいのか?」
「勿論だとも。絶対に帰ってこいよ。」
 差し出された手には太く短い指が堂々と迎える。
-帰ってこい。か、俺は帰る場所が無くなった訳じゃないんだ。-
 長男が故に家業の自動車整備工場を背負ってきた手を握る。
 そうだ、今度は東京土産を親父に買って行ってやろう。いや、親父の好きなみなと市の乾燥芋の方がいいかな。
 これからの俺の人生、親父と笑顔で話せそうな気がした。

作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹