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ひこうき雲

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 俺は椅子に座りなおして背筋を伸ばした。これから畏(かしこ)まった話をする。というポーズだ。
「えっ?何?」
 こんな夜中に何の話が始まるのか見当がつかないらしい。
 ずっと開発畑で進んできた俺、職場の名前は時代の流れに応じて数回変わったが、その都度看板と名刺の部署名が変わっただけで異動をしたことはなかった。「内示」と急に言われてもピンとこないのは当然かもしれない。
「異動だよ。人事異動。職場が変わるんだ。転勤しなきゃならない。」
 俺は思いつくかぎりの言葉を並べた。
「えっ、なんで?今まで転勤なんてなかったじゃない。」
「いらなくなった。ってことだろうよ。しかも営業だ。」
 俺の心がささくれ立ってきた。
 口元に手を運んだ妻の指に、いつものしなやかさがない。硬直したように小刻みに震える。
「そんな。。。あれだけ昼も夜もなく。。。お父さんをこき使っておいて。。。今さら。。。」
 今にも泣きだしそうに目を潤ませる妻の目がまっすぐに俺を見る。「お父さん」か。。。泣きたいのは俺の方だ。でも勤務地を聞いたらその表情は変わるぜ。東京だ。俺は単身赴任になる。嬉しいだろ。。。
「どこへ転勤になるの?」
「東京だ。」
 ほら、喜べよ。
「えっ、東京!それじゃあ。。。」
「そう単身赴任だな。」
 喜べってば。
「そんな。。。この歳になって東京だなんて。。。しかも単身赴任なんて、これからますます健康に気をつけなきゃならないのに。。。ご飯は?」
 なんで泣き出すんだ。
「ああ、さっき食べ終わっただろ。御馳走さまって言っただろ。」
 泣き崩れる妻に、わざとおどけて見せた。それにしてもなんでお前が泣くんだ。
「そうじゃなくて、毎日のご飯はどうするの?」
「朝夕は、寮の食堂で食えるらしい。昼は適当に食うから大丈夫だ。」
「適当に。。。って。」
 泣き止むどころかしゃくり上げ始まった妻に、俺の中で何かが弾けた。
「なんでお前が泣くんだ?喜べよ。単身赴任だぜ。くだらねぇオッサンの顔見なくていいんだぜ。世話もしなくていい。飯も作らなくていいんだぞ。」
「えっ、何、何言ってるの?あたし、あなたの体のこと心配して。」
「ああ、そうだよな。働き蜂が働けなくなったら困るもんな。」
「なんでそんな言い方するのよ。あたしは、ただ、ただ、あなたに長生きしてほしいだけなのに。」
 よく言うよ。俺なんかどうでもいいくせに。
 あの待ち受け画面で決め顔の男の顔が脳裏に広がる。悲しいことにそれは俺の顔じゃなかった。
 俺は知ってるぞ、お前のガラケーの待ち受け画面が吹雪のアイツの写真になってるってことを。。。
 あれはいつのことだったか、お前がいない時に鳴り出した携帯のアラームを俺が仕方なく止めた時、その顔が目に入った。我ながらショックだったよ。あの頃の俺の待ち受けは、お前の写真だったのにな。。。
「吹雪のポスターでも部屋中に貼っておけばいいさ。それとも、余った時間でイケメンに溺れるのもいいかもな。好きにすればいい。どうせ俺」
 言い終わらぬうちに顔に横から衝撃が走った。視界が急に壁の白でいっぱいになった。
 平手打ちされた。
 と思った時には、リビングのドアは激しい音をたてて閉められ、妻の姿はなかった。
 玄関を力任せに開けたのだろう、部屋中の扉が風圧で音を立てる。
 スッキリした。ずっと腹の底に溜まり続けていたヘドロのような不快。それを一気に吐き出したような気がする。
 追わなければ、なんて思いもしなかった。俺は悪くない。
 ぼんやりとグラスを口に運ぶ。濃いと思っていた酒は、味も感じなかった。
「お父さんの馬鹿。」
 驚いて振り向くと、いつの間にか娘の美咲がリビングに立っていた。
「あ、ゴメン、起こしちゃったな。しかし親に向かって「馬鹿」はないだろ。」
「馬鹿!」
「おい、いい加減にしろよ。」
「馬鹿だから馬鹿って言ってるのよ!お母さんのこと何も知らないくせに。」
 短大生にもなると、口が達者になるもんだな。達者なのはいいが、口が悪いのはいただけない。
「聞いてたのか?」
「聞きたくなくても聞こえてくるでしょ。」
「何で引き止めないの?」
 いつからそんな目で人を睨むようになったのか。。。
「お父さんは悪くない。」
「なに子供みたいなこと言ってるのよ。あんな酷いこと言っておいて、何よ。。。お母さんがいつもどんな思いでお父さんを待っているのか知りもしないで、、、それにご飯だって、、、こんな手間のかかる料理作って、知ってる?この酢鶏、油使ってないのよ、ニンジンやピーマン、玉ネギだって炒めてない。茹でてるの、お父さんが酢豚大好きだから少しでもそれっぽいものを食べさせたいって、だって、、、だって、、、毎晩夜中に本物の酢豚食べさせてたらお父さん死んじゃうからって。。。お弁当だって、毎朝あんなに早起きして作ってるのは何故?全部手作りだからよ。。。それなのに、毎晩酔っぱらうほど沢山お酒飲んで、、、せっかくお母さんが健康のためって頑張ってるのに台無しじゃないの。。。
何でリビングで居眠りしてるか知ってる?。。。少しでもお父さんと、、、お父さんとお話がしたいからって、、、」 娘まで泣き出してしまった。
 確かに美咲の言う通りかもしれない。
 だが、、、
 じゃあ、何で吹雪のアイツなんだ?ましてや何でセックスレスなんだ。とはとても娘には言えなかった。やっぱり俺は「家族」という位置づけのみに甘んじるしかないのかもしれない。
「家族」という役割は大切だ。だが、「家族」であって「父親」であって「夫」であって、なぜ「男」という役割を認めてくれなくなったのか、、、
 まあいいさ、俺は我慢する。娘のために、家族のために。。。
「ゴメンな。」
 もう19歳か。。。大人の入り口にいる女性でもある娘に気の利いた言葉を持ち合わせていない俺は、ただただ美咲に詫びる言葉しか掛けられなかった。

作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹