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ひこうき雲

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 まあそれも東京転勤が決まった今となってはどうでもいい事だ。何年になるか分からないが、親には何がなんでも元気でいてもらわなければならない。

 思いを巡らせながら歩いているうちに、外灯に浮かび上がる愛車が目に入って立ち止まる。いつの間にか自宅に着いていたようだ。
 自宅といってもアパートだが。。。地方都市でも最近少なくなった駐車場2台無料なのと、ちょっと広めの3DKの間取りが今でも気に入っている。結婚したとき新築のこの物件を運良く見つけた話は、しばらく俺達夫婦の思い出話の一つに加わった。今はお互いそんな類の話などしなくなってしまったが、思い出いっぱいの我が家に変わりはない。と俺は思ってる。
 紺色の愛車が外灯の白を滲(にじ)ませて映す。
-昔は、いつも綺麗にしてくれてたのに。。。-
 半年以上洗車しなかった愛車が無言の抗議をする。
-そう、昔は良かったよな。-

 俺は曲線の少ないボディーに語りかけると角張ったボンネットを撫でる。
 ワックスの効果などとうに失ったボディーは雨に打たれて砂埃(すなぼこり)や花粉が積もり灼熱の太陽に炙られて。。。繰り返した日々の分だけ重ねられた自然のコーティングを通して聞こえてくる。

-昔はよかったよね-
-そうだな。-
 結婚後初めて許された自分用の車。維持費を抑えるための軽自動車限定、という条件があったが、それでも嬉しかった。
 なんてったって自分の車だ。
 好きなようにイジッて、好きなように乗り回せる。
 そういえば、独身だった頃の俺は、それなりに車をいじっていたっけ、排気量2000cc以下の車を中古で買って少しでも速く、少しでも格好よく。。。決して大袈裟にではなく、ちょっとしたパーツを買っては改造していた。マフラーを変えてみたり、点火プラグをいじってみたり、そうそう手軽だけどエアクリーナーを変えるとエンジンへの空気の吸い込みが良くなって効果が大きかったっけ。。。
 別にレースをしたかった訳じゃなし、公道で暴走する訳でもない。周りのみんながそうだった。流行りのジーンズや靴と同様、そういう車の「遊び方」が流行っていた。フェアレディーZやスカイライン、RX-7のように、高価で当たり前に速い本気(マジ)なスポーツカーじゃなくて、もっと排気量が小さくて手頃な車。。。シルビア、レビン、トレノ、インテグラ、シビックだったことが楽しさを増長させていたのかもしれない。だいいちあの頃はそういうジャンルの車が沢山あった。エコの感覚は大切だ。昔の車イジリでも低燃費にチャレンジしたことはあった。だが、ハイブリッド車を中心としたエコカーだらけの今の車社会は何が楽しいのだろうか、エコカーは素晴らしい。だが、メーカーは開発競争に明け暮れるうちに車の遊び心を提供する余裕がなくなってしまったのかもしれない。
 最も、そのハイブリッド車が主流になったことでモーターの制御やバッテリの充電や放電、つまりバッテリへの電気の出し入れにインバータの類が使われるようになった。そういう意味では、この仕事を選んだ俺にとって数少ない先見の明とは言えなくもない。EVなどの電気自動車も理屈は同じだ。それだけじゃない。今時の自動車はあらゆるとことろに電気・電子の技術を満載して成り立っている。
 まるで家電品だ。俺が就職活動をしていた頃は、車は機械技術の集大成のようなものだった。こんなに自動車が「電化」されるとは思っても見なかったが。。。
 だが仕事は仕事、自分は自分、だ。つまらなくなってしまった車社会に仕事で貢献している。という実感もないしな。
 そんな車大好き世代の俺の目に留まったのがお前だった。軽自動車でありながら本格的なオフロード性能を持ち、俺が小学生の頃から変わらない角張ったデザインは、見る人にレトロな印象を与えるだろうが、決してそうではない。これがオフロード車の究極の形だ。と主張して社会に媚びずに存在してきた証であることを俺は知っていた。残念ながら20年来続いてきたそのデザインは、お前を最後に次のモデルチェンジで大胆に変わってしまったが、、、まあ、メーカーとしては市場経済を無視して生存し続けるには厳しい世の中ということだろうし、それを誰も責めることはできない。しかもそれがその時代のユーザーのニーズだとしたらなおさらだ。ある意味、俺のニーズの方が特殊なのかもしれないな。。。まあ、形は、世の中に媚びたとしても、その走破性は従来以上だという専門誌の評価に俺は、同じエンジニアとしてメーカーの良心を感じずにはいられなかった。
 独身の頃は、一般道での走りを追求して楽しんでいた俺だが、それを軽自動車で再現するのはなかなか厳しかった。俺が走りを楽しんでいた頃には、軽自動車でも手軽に走りを追求できる車はあった、アルトワークス、ViViO RX-R、レックスVX、、、メーカーは軽自動車でも売れ筋のモデルにターボやスーパーチャージャーを付けたスポーツバージョンを開発して一般道いわゆるオンロードでの走行にこだわるユーザーの心を震わせるモデルを投入していたが、今は中古で手に入れることさえ難しい。同じ頃、完全に軽スポーツカーとして開発されたビートや、カプチーノ、AZ-1などは、さらに入手困難だった。しかも2人しか乗れないのでは、父親として、言い訳がつかない。
 そんな訳で昔のような走りを軽自動車で再現することを早々に諦めていた俺に、オフロードという新たなフィールドを見出させてくれたお前に、俺は引き込まれていった。軽自動車だからと言って妥協しない本格派オフローダーという響きもまた、俺の心をくすぐった。
 そうと決まれば話は早い、専門書を買い漁り、同じ角型のボディーでも年代による細かな仕様の差があることを知った上で決めたのは、お前、ジムニーJA12Wだった。
 走破性は若干落ちるが、サスペンションをトラックと同じ方式のリーフスプリングいわゆる、強度と走破性重視の「板バネ」から、乗り心地を気にしたコイルスプリングに変更し、街乗りから本格オフロードまでこなせる角型最終バージョンだった。
 長男が数ヵ月後に生まれる。というタイミングで購入を決定したお前は、アウトドア好きの妻にも即歓迎されたっけな。
 家族でのんびりと林道ツーリングを楽しんだっけな。自然環境保護のため、焚き火こそしないが、携帯用ガスコンロでちょっと昼食を作った。何を食べても美味しかったな。自然と戯れる子供たちを眺めながら湯を沸かして妻と飲んだコーヒーも格別だった。何の雑音もない、自然の音と、汚れのない空気、自分の悩みがちっぽけに感じるくらいの雄大な景色。。。お前のお陰で、心を癒すことができたし、家族との良い思い出もできた。
 子供たちはお前を「ジムニーさん」と呼んで可愛がり、よく車洗いを手伝ってくれたよな。
 お前はいつもピカピカで、子供たちは妻の車よりもお前に乗りたがった。
 月日は過ぎて、子供たちが成長するほどに相手にされなくなったのは俺だけじゃなかったんだな。お前も一緒だな。
 ゴメンな。。。
 子供たちに忘れられて寂しい思いをしていたお前を、俺までほったらかしにしていた。最近は仕事の忙しさを言い訳にお前を洗わなくなってしまった。
作品名:ひこうき雲 作家名:篠塚飛樹