尖閣~防人の末裔たち
と嬉しさのあまり、独りごとにしては幾分大きな声になっていた。
「お知合いなんですか?」
岡野がたずねる。
兼子は「うみばと」にちらちら、視線を移しながら笑顔で緩んだ口を開いた。「うみばと」は「はてるま」の前方に出ると小さく右に旋回して今度は「はてるま」の右舷側を船尾側に向かって飛行いしていく。
「ああ、そうなんだ。東日本大震災の時にこの船も東北へ支援に行ったんだよ。その時にあの「うみばと」がこの船を拠点に活動していたことがあったんだ。元気で茶目っ気たっぷりの愛嬌のいいやつらなんだ。副長もきっと気に入るぞ。あ、もちろん仕事も出来る奴らだ。」
兼子は慌てて仕事面での評価を付け加えた。
「そうですか、それは楽しみですね。」
岡野は兼子に笑顔で答えた。副長として「うみばと」のクルーがどんな人間なのか、不安があったに違いない。まあ無理もないだろう。兼子は前方の海の彼方水平線を眺めながら考えた。異動がなければ副操縦士は、あの護衛艦「いそかぜ」艦長の息子ということか。うん。楽しみだな。兼子は誰に向けるでもなく微笑みを浮かべると、すぐに射るような眼差しで海面を注視する。やはり波が目立ってきたようだ。午後はうねるかもしれないな。。。
船尾方向に聞こえていた「うみばと」が風を切る重低音が止み静寂が船橋に訪れる。程なくして先程の若い乗組員が小走りで船橋に上ってきた。彼は兼子と目が合うと罰が悪そうに小走りを止め、静かに兼子の前に来ると「船長、「うみばと」が着船しました。乗員の皆さんには会議室でお待ちいただいておりますので、会議室へおいで下さい。」
若い乗組員が兼子を促す。
「了解。15分したら行くから彼らには休憩するように言ってくれ。長時間飛んできたんだ。トイレぐらいゆっくり行かせてやれ。」
兼子は笑顔で答えた。
「はっ、了解しました。伝えて来ます。」
若い乗組員が気を付けの姿勢をして答えると、兼子は、
「あ、そうそう、異常時じゃないんだから、いちいち走るなよ。」
と付け加え、再び笑顔を向ける。
「はい。すみません。気を付けます。」
と若い乗組員は、はにかみながら振り向いて答えると、姿勢を正して歩き、船橋を後にした。
照明が殆どなく、各種画面の明かりが操作している者の顔を暗闇に浮かび上がらせている海上自衛隊護衛艦「いそゆき」のCICに入った艦長の倉田健夫は、
-まるでお化け屋敷だな-
一瞬苦笑を浮かべると、キリッと唇を真一文字に結び、レーダー卓に真っ直ぐ向かった。レーダー卓の隊員が、近付いて来る倉田に気付き座ったまま振り向いて敬礼をしてくる。倉田は軽く答礼すると、
「おっ、片岡1曹。御苦労さん。何か動きはあるか?」
立ったまま左手をレーダー卓につくとレーダーの画面を覗きこんだ。
「はい。魚釣り島の西に出現した5隻の小型船ですが、一直線になって魚釣島を目指しています。多分漁船と思われます。魚釣島まで30海里(約55km)を切ってます。」
倉田は、片岡が指した部分を見つめる。そして画面の東に「TIDA03、P-3C」という文字と下段に速度、高度が記された輝点を見つけると、
「これか~。漁船の割にはなかなか綺麗に隊列を組んでるな。一応確認してもらうか。丁度TIDA(那覇基地所属の海上自衛隊哨戒機P-3Cを装備する部隊)がこっちに近付いてきてるし。よし。頼んでみるか。田中3尉、無線を貸してくれ。」
倉田は、体を起こし、コリをほぐす様に軽く胸を張ると、通信担当幹部の田中3尉から無線のマイクを受け取った。田中は航空隊との通話用チャンネルに素早く周波数を合わせた。
「TIDA03こちら護衛艦隊第13護衛隊「いそゆき」艦長。」
倉田は、ゆっくりと、はきはきとした口調でマイクに声を吹き込んだ。
「こちらTIDA03、「いそゆき」どうぞ。」
スピーカーから聞き覚えのあるダミ声が流れ出す。倉田は、
-おっ、ラッキーだ-
と内心ほくそ笑むと
「TIDA03、今日はお1人様かい。相棒はどうしたんだ?入院か?」
いつもは2機編隊で行動しているTIDAが、今日はどうしたのだろう。なぜこんな大事な時に1機だけなんだ。上は何を考えてるんだ。という不満が口調に表れないように、あえて茶目っ気たっぷりな言葉遣いで倉田が聞いた。一瞬スピーカーの向うから数人の笑い声が聞こえた後、
「いえ、相棒は元気ハツラツであります。今日は、海保の方でもヘリを出すとの通告を受け、単機(1機)で行動した方が衝突のリスクが少なくて安全だろう。ということになったんです。」
海保のヘリという言葉を耳にし、倉田の表情が一気に曇った。昇護のヘリだ。昇護がこの海に来ている。しかも国を守る事を仕事にしている親父よりも前に出て、体を張っている。こういう現実が訪れる事は分かってはいるつもりだったが、どうしても納得がいかない。親としてなのか?それとも自衛官としてなのか?それは分からない。ただひたすらに納得がいかない。
-なんてこった-
思わず口をついて出そうになる言葉を慌てて飲み込んで。倉田は我に返ると、部下に気付かれないように努めて明るい表情を作り
「そうか、元気が何よりだ。ところで頼みごとがある。」
倉田は明るい声音をマイクに吹き込む。
「なんでしょうか?何なりとどうぞ、燃料たっぷり、今日もサービス満点ですよ。」
当然倉田の葛藤など当然知る由もないTIDA03のパイロット元気でひょうきんな声が流れてくる。
「オッケー。じゃあサービス満点でお願いしよう。そちらでもデータリンクで見えてるだろうが、魚釣り島へ一直線に並んで向かっている5隻の船がどんな船か報告してほしい。あとサービスで迫力満点の超低空飛行をお見舞いしてきてくれ。以上だ。」
スピーカー越しに通話を聴いていたCIC面々の笑い声が背後に聞こえた。
-それでいい。俺のさっきのシケた顔は見られなかったらしい。湿っぽいのはこの艦にもこの俺にも似合わんからな。-
「了解。TIDA03奴らのビックリした声がそちらにも届くかも知れませんよ。以上。」
と言って通信を終えた皆川2尉が左席で操縦桿を握る大谷1尉をちらっと見る。口元がほころんでいる。どうやら笑っているつもりらしい。副操縦士の皆川は、超がつくほどのベテラン哨戒機乗りだが、対する機長の大谷は、防大出のエリート層なため、実戦部隊の経験は浅く、当然操縦の技量も最低だった。特に配属された当初は酷いもので、編隊飛行すらまともに出来ず、同乗するしか選択肢のない皆川は、何度寿命が縮む目にあったか知れない。しかし、今は違う。と、皆川は思っている。先ほど笑顔を浮かべたように大分余裕をもって操縦できるようになってきたし、編隊での各種飛行も十分にこなせるようになった。やっと信頼できる上官に育て上げる事が出来た。皆川は若い上官に声を掛けると
「では、魚釣島東方の船団らしきものを確認しましょう。高度も下げちゃいましょうか。」
大谷は、親指を立てて頷くと
「Roger Right heading270 Descend and Maintain300(了解、針路270度に右旋回し、降下して高度300フィート(約90メートル)を保ちます。)」
と言うと、緩やかな右旋回を始めた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹