尖閣~防人の末裔たち
18.別れ
大甕駅を降りた頃には、日が沈み掛けており、昼の暑さを適度に残した穏やかな夏の夕方が、昇護を余計に寂しい気持ちにさせた。
昇護は駅前のラーメン屋に入って夕食に野菜炒めライスとチャーシュー麺、そして生ビールを頼んだ。ちょっと奮発したし、食べ過ぎな気もしたが、別な自分が、自分に御褒美を要求していた。また、別の自分の「今日はヤケ食いするしかね~。」という声が響いてくる。
昇護はいろいろな自分の欲望に任せて食べて飲んだ。もう終わったことだ。と、自分に言い聞かせていても、今日の美由紀と交わした一言一句が走馬燈の様に頭の中に現れては消え、そしてまた現れる。その度に昇護は、「後悔はしていない。」と自分の心を鎮めた。それでも、美由紀からのメールが来ていないか気になり。何度も携帯の新着メールを確認してしまう自分に、ドラマで振られた男を演じているようで思わず自嘲してしまう。
満腹過ぎる腹に少しの自己嫌悪を抱きつつも、言ってしまったことは仕方がない。遅かれ早かれプロポーズするつもりだったのだから。と自分に言い聞かせると、多少は気が紛れた。
駅前でタクシーを拾うった昇護は、真っ直ぐ船に戻った。
巡視船「ざおう」は、隣の護衛艦「さわぎり」と競うように、派手なイルミネーションで船を着飾り、夜の港に自らの輪郭を浮かび上がらせていた。
船のタラップの登り口で、帰着の報告をすると、昇護は狭いタラップを足早に駆け上がり、いそいそと居室へ戻った。途中で「うみばと」のクルーに出会ってしまい立ち話になっては困るし、そもそも、明るく立ち話ができるような結果ではなかった。
居室へ戻った昇護は、着替えをして荷物を片付るとベッドに横になり再び携帯を開いた。
「来るわけ無いよな~。」
と呟くと
「馬鹿馬鹿しい。何やってんだか、俺は」
と呟くと、携帯をポケットに押し込んだ。
しばらくすると、「うみばと」のクルーの話し声と笑い声が聞こえてきた。あ、いつの間にか居眠りしてたんだ。と気づき慌てて飛び起きると、椅子に座って雑誌を広げた。
「おっ、昇護お帰り。どうだった?戦果はあったか?」
と機長の浜田は上機嫌だった。浜田の声に他のクルーもなだれ込んできた。ほのかな酒の匂いに赤ら顔。どうやら外で飲んで帰ってきたところらしい。
「あ、お疲れさまです。お世話様でした。。。」
そこまで言うと、昇護は何も言えなくなってしまった。その次の言葉が出てこなかった。
「何だよ。まさかプロポーズしてこなかったんじゃあないだろうな。俺達は前祝いしてきたとこなのに。なっ」
浜田の言葉に、みんなが頷いた。
「言いましたよ。イイマシタ。でも、駄目でした。。。」
昇護も含めて一同がシンと静まり返り、一瞬にして暗い雰囲気になる。
「ま、言えずに悶々としているよりはいいじゃねぇのか」
場を和ませようとしたのか、努めて明るい声で浜田が昇護の肩を軽く叩きながら語り掛けた。
「で、ですよね~。」
浜田の言葉を受けて、昇護も明るい声で答えたが、 昇護は、誰と目を合わせるでもなく、すぐに下を向いてしまった。それが空元気なことは、いつも危険と苦楽を共にする運命共同体のクルーには一目瞭然であった。
浜田は、クルーに目配せをすると。機上整備員の土屋が軽く頷いた。土屋は、自他共に認める恋多き男だった。子沢山の彼にとっては昔の事だが。。。
「よく言ったよ。それでいいんだ。言わなきゃ始まらないさ。女はよっぽど結婚の準備でもしてない限り、まずはいい返事はくれないもんさ。第一お前の彼女は学校の先生だろ、沢山の子供達を預かっているんだ。すぐにハイ。結婚しましょう。とはいかないさ。彼女に考える時間を与えた。って気持ちを大きく持っていりゃあいいんだよ。今頃お前との未来と学校の子供達のことで頭が一杯のはずだ。果報は寝て待て、って言葉もあるだろ。俺のカミさんなんて看護士だったけど、最初はいきなり断られたもんな。それでも何とかゴールインさ。お前は断られた訳じゃあないんだろ?」
いつもは無口な技術屋といったイメージの土屋にしては、珍しく口数が多い。先輩の優しさに心の中で感謝しつつも、頭のなかに鮮烈に光るものがあった。そう、俺は断られたわけじゃないんだ。と。。。
少し気が楽になった昇護は、今日のプロポーズについて断片的に語った。冷やかされることを避けたくて多くは語らなかったが、浜田達クルーは、冷やかすこともせず、それ以上詳細を聞き出そうともせず、軽く相槌を打ちながら静かに昇護の話を聞いていた。
話を終えると、浜田が
「で、式はいつだ?」
と真顔で聞いてきた。先程まで語った内容では到底そんな質問が出てくる筈はない。やっぱ冷やかしてるんだ。でも何て真剣な表情をしてるんだ。その言葉と表情のギャップに昇護は一瞬吹き出しそうになったが、皆の真面目な表情を目にし、吹き出している場合じゃない。と、昇護は全身全霊に耐えることを命令した。
「いやいやいや、だって断られるかもしれないじゃないですか。」
おどけるように答えるのが精一杯だった。
すると、
「なに自信のない中坊みたいなこと言ってんだ。話を聞く限り大丈夫だ。今まで通りのコミュニケーションを大事にするんだぞ、自信を持つことだ。自信が持てないと、今まで通りのコミュニケーションすら出来ず、どんどん悪化するからな、あんまりプロポーズしたことにこだわらず、自然体がいいぞ。」
機上通信員の磯原がアドバイスする。他のクルーも、そうなんだよな~。と頷きあっていた。
しばらく話していると、昇護は楽な気分になった。みんなに礼を言うと、土産のジャムの詰め合わせをクルーに配った。
地元産のイチゴ、ブルーベリー、ミカンを原料にしたジャムが入っていた。
「おっ、明日からパン食も楽しみになるな。ありがとう。」
「ありがとう。カラフルだな。お前の地元は何でも採れるんだな~。明日の朝パン食だよな、どれを塗るか迷うな~」
口々に喜びと感謝の言葉をくれた。リアクションも嬉しい。昇護は、兄弟みたいなこのクルーが大好きだと改めて思った。
解散して、みんながテレビを見に行くと、昇護は携帯を取り出し、美由紀にメールを打ち始めた。
翌日の日立港祭りは、天候にも恵まれ、多くの人々で賑わった。昇護達「うみばと」のクルーは、2人1組で、ベル212ヘリコプター「うみばと」の説明、対応にあたった。俗にマニアと呼ばれるファンには、海上自衛隊の護衛艦とその搭載ヘリコプターSHー60Jの方が受けが良いらしく、海上保安庁の巡視船「ざおう」とその搭載ヘリコプター、ベル212に興味を示したのは、どちらかとういうと家族連れがメインだった。「ざおう」の甲板では、海上保安庁を扱った人気映画を意識した潜水具や、救難用の器具と、搭載ヘリコプター「うみばと」、東日本大震災での活動をメインにしたパネル展示が人気だった。なかでも「うみばと」のコックピット展示は、子供達に大人気で、昇護は、興奮と感動に満ちた子供達の目に、そしてそれを見守る親達の嬉しそうな眼差しに、いつのまにか将来の自分を重ね合わせている自分に気付いた。やはり結果はどうであれプロポーズして良かったのだと、自分に言い聞かせていた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹