尖閣~防人の末裔たち
58.反映
「船長、「かんむりわし1号」進入経路に入ります。3時の方向。」
巡視船「はてるま」船橋(ブリッジ)の船長用の高い椅子から、その高さを感じさせない自然さで長身の兼子は離れると肉眼で右方向を見つめた。すぐにヘリコプターの機影を確認すると、その方向に双眼鏡を向ける。
石垣航空隊所属の「かんむりわし1号」は最新のイタリア製アグスタAW139型で、音が静かで速度も速い。数日前にこの船に降りたベル212型「うみばと」の重低音と鈍重な動きとは大違いで、ベル212型がAW139型に世代交代されつつあることを否応なしに実感させる。
俺はベル212の方が好きだけどな。。。
内心つぶやいた兼子の脳裏に倉田昇護のハニカんだような笑顔が浮かんだ。あれは、護衛艦の艦長をしている親父さんのことを話したときだったな。。。一命は取り留めたと聞いたが、、、また飛べるようになるのかどうか。。。若いのに気の毒なことをした。仇は必ずとってやるからな。。。
兼子は、双眼鏡を降ろすと、毛深い腕の毛をさすりながら気を取り直した。
兼子の毛深さは沖縄方面を一手に担う第11管区の名物で、日焼けして当然のこの海域でも色白い兼子は、体毛が濃すぎてまともに日焼けさえできない。と、からかわれる。
「了解。確認した。全船に連絡、本船に続けて取り舵いっぱい。
本船取り舵いっぱい。」
兼子は腹に力を込めて指示を出す。
「と~りか~じ、いっぱい」
復唱する操舵手の声に頷きながら方向転換のゆったりとしたGの変化を身体に感じると反射的に右斜め後ろに続く同型の巡視船「いしがき」と「よなくに」が付いてこれているか確認する。
まるで見えないロープで曳航しているかのようにぴったりと2隻の巡視船がコースを変えているのを確認した兼子は、再び上空に目を向ける、音が静かなAW139は、聴力だけで距離をつかむのが難しい。
ま、これも慣れれば大丈夫なんだろうが、これで2度目だぞ、着船させる為には向かい風に船を向けるのが安全なのは分かるが、しかしこう何度も着船の度に足止めを食らっていては日が暮れてしまう。
「これでかき集めた特警隊20人が揃うそうです。各船合計で60人。よく揃えましたね。」
船内受話器を元に戻した副長の岡野がフチの厚い黒縁眼鏡を指で押し上げながら情報を伝えた。
「そうか、これでやっと魚釣島に直行できるな。手の空いている者は昼食の後、彼らが持ち込んだゴムボートの点検を手伝うように指示してくれ。」
兼子はふっと安堵の息を吐くと岡野に指示した。
「了解。しかし上も何を考えているんでしょうね。我々に上陸作戦をやれと言っているようなもんじゃないですか。しかも完全武装した敵前での逆上陸作戦、これって自衛隊の仕事じゃないんですかね。まとめて捕虜になるしかないですよね。」
配属された当初の頼りない雰囲気は微塵も見せずないその物言いと眼鏡を掛け直す仕草に軽い嫌悪感を感じた。ふと、巡視船「ざおう」搭載のヘリコプター「うみばと」のクルーの顔と、普段はこの船で通常の運行に携わっている臨時の特警隊員の面々の笑顔がよぎる。
捕らわれているのは我々の仲間で、そして相手は犯罪者だ。
これは我々の問題だ。。。
「場所としては微妙だがな、、、だが、彼らがやっていることは何だ?
銃刀法違反と不法侵入、そのうえ公務執行妨害に監禁だ。海の犯罪を取り締まるのは我々の仕事だ。そうじゃないのかね副長?」
部下の手前、兼子は冷静さを保とうとしたが、口調だけはどうにもならない。
「それはそうですけどね。「うみばと」の二の舞、三の舞になるのは必至じゃないでしょうか?相手は自衛隊のOBが主体で陸海空揃ってると言う話です。歳はとってますが、元精鋭ばかりだそうです。船長の思いは私も同感ですが、やはり餅は餅屋じゃないでしょうか?このままでは負傷者が出ます。先日、撃たれたパイロット1人を救うためにどれだけの組織が東奔西走しましたか、これが数十人になったら対応しきれるかどうか。。。いや、数人でも無理じゃないでしょうか?今度こそ犠牲者が出ますよ。。。
船長、意見具申してください。」
そう、こないだも「うみばと」だった。運のないヘリコプターというのもあるものなのか?
岡野の返す言葉を聞こうとする心に反して気持ちはうわの空だった兼子は、「犠牲者」「意見具申」という言葉に我に返った。
俺はコイツを誤解していたのかもしれない。口ではなんだかんだ言っても、心のどこかで畑違いだったこの男を認めたくなかっただけなのかもしれない。ふっ、この歳になってもなお未だに了見が狭いとはな。俺もまだまだだな。
「だから言ったでしょうが。俺を信じてもっと大きく出せば良かったんですよ。でも課長の根回しのお陰でウチがリードしたんですよね。。。ありがとうございます。」
衛星携帯電話に向かって権田が得意げに大声を張り上げている。
自分が正しいと思ったことは、相手が誰であっても怯んじゃダメだ。
昔、仕事を教わっていた頃の権田の口癖を思い出した古川は、胸をよぎる様々な思い出に思わず微笑みを浮かべる。
相変わらずな先輩だ。
この特ダネを大々的には取り上げてくれなかった上司の岡村とやり合っているらしい。もっとも、河田が政府だけでなく報道各局にサイトに投稿した動画へのURL(リンク)を送りつけたことで東京では一気にこの話題が持ち上がっていた。産業日報系列は、根回しで準備していただけ他局より早く充実した情報を流すことができていた。情報を欲しがる人間の選択は、自然と充実したじ情報を流す局に集中する。次なる情報収集と、これまでの事実関係を確認するために電話を寄越したのは慎重派の岡村らしいところでもあるが、産業日報自体の文化でもある。その辺が、何でもスクープにしたがる旭日系のマスコミとは違うところだ。
しかし、それが却(かえ)って権田の正論に火をつけてしまったらしい。なにやらまくし立てるように喋っている権田に背を向けるように自分の背中を向けて日陰を作り、手にしたWindowsタブレット「サクセス7」の電源ボタンを押す。サスペンド状態だったタブレットの画面が生き返る。黒地の背景に白や赤の輝点にコメントの英数字の数々。素人目にもレーダーの類(たぐい)に見えるこの画面は、護衛艦「あさゆき」のCICをハッキングしたものだということが分かっている。つまり、今この画面上で起こっていることは、実際に起こっているということだ。
魚釣島へ向かって動き出した中国艦隊も、それに呼応して引き上げ始めた中国海警局の船も、魚釣島へ増援に向かっている3隻の巡視船とその間を行き来するヘリコプター。何でもお見通しだ。そして、護衛艦「あさゆき」とつかず離れずの距離を保ちながら移動する不振な河田水産の漁船「おおよど」とそれに接近する古川達が乗る漁船「しまかぜ」も丸見えだ。
そもそも海上自衛隊にとってはどうでも良いはずの無名の漁船にそれぞれOoyodo」「Shimakaze」とコメントが付いているのだろうか?
全てがバレている?
古川の背筋が寒くなり、汗ばんでいたシャツが濡れていることを思い出したように冷たさを強調する。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹