尖閣~防人の末裔たち
「災害派遣って、東日本大震災の時ですか?」
悦子は相槌をうちながら言葉を挟む。
「いえいえ、阪神淡路大震災の時です。東日本大震災の時は、私は退官して沖縄にいましたから。」
松土は、顔の前で軽く手を左右に振って悦子の言葉を訂正すると、再び話を続けた。
「阪神淡路大震災。。。もう20年近く経つんですね。そう、あの時私達は全国各地の駐屯地から駆けつけて救助活動と生活支援、そして復興支援を行いました。
当時、私は、四国の第2混成団にいて、淡路島への第一陣として派遣されました。自衛官になって、あんなにいろんな人からお礼を言われたことはなかったですね。今まで虐げられてきた自分達がこんなに多くの人々の役に立ち、感謝されるなんて。。。最初は戸惑いましたが、たとえ本来任務でなくても本当にこの仕事をやっていて良かった。と思いました。私は、その震災で妻を、厳密に言うと妻と子を亡くしました。任務の為に安否も分からず、荼毘(だび)に付す前に、ひと目会うことも出来なかった。それでもこの仕事を続けてきて良かった。と思いました。きっと、自分のような人間に助けられたんだな。と思うと、尚更です。
今でも後悔はしていません。」
静かに語る松土の目は、清々(すがすが)しくさえ見えた。きっと涙はも枯れたのだろう。
いつの間にか自由な左手を口元に当てていた悦子の頬を細い涙の筋が伝った、武勇談でも聞かせてくれるのだろう、それでもっと場が和むかもしれない。と、自分を安心させるために、、、自分のことだけを考えて安直に質問してしまった自分を悦子は責めた。
「奥さんは四国で一緒ではなかったんですね。」
この話は最後まで聞かなければ浮かばれない。悦子が、かろうじて尋ねた。
「はい。妻は出産が間近だったので、三ノ宮の実家に帰していたんです。寝ているところに家が倒壊したそうです。ちょうどあなたと同じぐらいの年齢でした。悔やまれるのは、我々自衛隊への県知事の出動要請が遅かったことです。
発災時点で我々は、急いで準備を整え、待機していましたが、いつになっても県知事からの災害派遣要請が来なかった。。。このことは、後々までいろいろな憶測が飛び交いましたが、、、これを機にだいぶ法律も良くなったようですけどね。シビリアンコントロール、大事なことだとは思いますが、その根幹にあたる法律が現実に即していなければ我々の装備も、訓練も、そして想いも無駄になる。というのをいつになったらこの国は気付くのでしょうか?だから私達は尖閣に行っているんです。
あ、話がズレましたね。すみません。」
いつの間にか熱く語っていた自分にはにかむように松土は微笑んだ。今度は作り笑いではにかんだのではないらしい。悦子は、松土のその愚直な想いにいつの間にか引き込まれ、同情さえしていた。あまりにも可哀想な世界有数の武装集団の実状と、それでも人の為にそこで働く人たちのひたむきさを、そして防衛省の担当として彼らを見てきた古川の気持ちにも触れることができたような気がしていた。あの人は今、どうしているのだろう。。。
「あの、悟さん、古川悟は、無事なんでしょうか?」
唐突に発した自分の言葉が部屋に響いて、悦子は我に返った。話の流れに全く合わないことを言ってしまったことに、「すみません」と小さく言うと、気恥ずかしさで下を向いてしまった。
驚いたように目を見開いて悦子を見た権田は、すまなそうに目を伏せた。
「無事だ。どこにいるか分からないけど。とにかく無事なんです。えっちゃん、ゴメン。こうするしかなかった。。。」
松土が答えるより先に、取り押さえられてから口を開かなかった権田が、 唐突に答えた。
「いったいどうなっているんですか?権田さん、私にはあなたが一体何を考えているのか分からないわ。」
悦子は叫んだ。ありったけの非難の思いを込めて、、、私は、悟さんに離婚された女なのよ。自分が原因とはいえ。。。それでもあの人に会って直接言っておきたいことがあった。4年間ずっと。でも、あの人は振り向いてくれなかった。だから、ここまで来たのに。。。権田に騙されたことよりも、気持ちを弄(もてあそ)ばれたことの方が悔しい、許せない。こんな理不尽なことを。。。
悦子は権田を睨み付けた。細く出しっぱなしにした水道の下に置かれた華奢な皿のように、悦子の目から涙が溢れ、止めどなく流れ出していた。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹