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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅵ

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 美紗は慌てて事務所内を見渡した。八嶋香織の姿はなかった。日垣は、「直轄ジマ」から少し離れたところにある、第1部共通の応接エリアにいた。人事課長と何やら顔を突き合わせて話し込んでいる。先ほど日垣が「急ぎの話」と八嶋に言っていた件に関することかもしれない。

 美紗は、第5部との調整事項で生じた処理業務を急いで済ませると、逃げるように第1部の部屋を出た。
 昼間の熱気を残す真夏の都会の夜は、窒息しそうなほど不快な空気に満ちていた。防衛省の正門を出てすぐの三差路で信号を待ちながら、美紗は、頭の中でまとわりつく八嶋香織の言葉に、顔を歪めた。

『私はずっと、今のままなんですか……』

 八嶋の言う「今のまま」は、何を意味するのだろう。吉谷をライバル視しているらしい彼女は、いつ、どこで、日垣と逢瀬を重ね、現在はどのような関係を持っているのだろう。情報局の「主」と言われる吉谷ですら承知していないのだから、美紗には全く想像もつかない。ただ一つ確かなのは、八嶋香織は「今のまま」に不満を抱いているということだ。

 伝えないままでいい
 想われないままでいい
 あの人との「今のまま」を守りたい
 そう思っていたのに

 信号が変わり、美紗はゆっくりと横断歩道を渡った。湿気で空気が重いせいか、周囲の街路樹や建物が、水の中に沈んでいるかのように、揺らめいて見える。
 月に数回、金曜日の数時間だけを、日垣貴仁と二人で過ごすようになって、もうすぐ一年が経とうとしている。彼は、管理者として、若い部下の一人をずっと気遣ってきた。そして、美紗は彼の厚意をありがたく享受してきた。その関係は全く変わっていない。変わったのは、美紗の心だけだ。
 心密かに想うだけの美紗に、日垣が別の女性に心を砕くのを、止めることはできない。

 伝えられずに、想われずに、
 私の「今のまま」は消えてしまうのかもしれない……





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(「カクテルの紡ぐ恋歌 Ⅶ」に続きます。表紙に「Ⅶ」のリンク先がございます。どうぞ宜しくお願いいたします。本シリーズは、現在「Ⅺ」まで続いております。「カクテルの紡ぐ恋歌」のタグ検索で、シリーズすべてが表示されます)