からっ風と、繭の郷の子守唄 126話~130話
カチャリと開いたドアの向こうで、英太郎が立ちつくしている。
『おはよう』携帯電話を握り締めたまま、千尋がにこやかな笑顔を見せる。
8畳ほどのワンルームは、本人がいうほど散らかっていない。
備え付けの家具以外、これといった家具はない。
部屋のど真ん中に置かれたテーブルの上に、2台のパソコンが見える。
それ以外は、単調に寝起きだけを繰り返しているという空気が、
部屋の全体を支配している。
「思いのほか、片付いとるお部屋どす。
というよりも、寝起きだけをしとる雰囲気が、丸見えではおまへんか。
生活感がまるっきし見当たれへん。
色気もなければ、気持ちを安らげてくれるインテリアもあらへん。
まったくもって、殺風景の見本どすなぁ。
よくこんな淋しい部屋で、一人で暮らしておりますなぁ・・・・。
女っ気が、まるで見当たらいではおまへんの」
「女っ気があるはずがないだろう!。
君も無茶なことを平気で言うねぇ、来るそうそう」
「安心しました。
『おいでやす』なんて、美人が出てきたらどないしょと思ってた。
電話をかけるまで、ハラハラドキドキしっぱなしやった。
キッチンはどこ?。お野菜をたくはん買うてきたから、あんたの好物を
つくります。
お部屋へ上がってもええんでえしょ?
何時もみたいに『よく来たなぁ、上がって飯を作ってくれ』と、言うてよ。
押しかけ女房みたいに、突然あなたの前に現れても、
礼節くらいは守ります」
「おっ、押しかけ女房って・・・・君、まさか・・・」
「そのつもりで、訪ねてきました。
あんただってそうやろ。未練があるから、群馬までやってきたんやろ。
あたしに内緒で、康平君とふたりで何やってんの。
桑の苗なんか育て始めてさ。
畑で農作業をしとるあんたの姿を、遠くからよく見とります。
あたしが康平くんとお付き合いしていることも、承知をしとるでしょ。
いったい、何を考えとったの。
あたしが康平くんと結婚したら、その時はどないするつもりやったんよ。
育て始めた桑は、放置することはでけへんでしょ。
そのうち、あんたと顔を合したとき、あたしは、
どういう顔をしたらええの?。
ひとりぽっちで暮らしとるあなたのお母はんに、どう説明するつもりなの。
あたしを追いかけてくるなんて、いったい何を考えとるの、
あんたってお人は。
縁の下の力持ちになって、一生あたし支えるなんて、
そないな阿呆なことばかりを考える男が、今の時代のどこにおるの。
あきれてものが言えへんわ」
「嫌だというのなら、また、君の前から消えるさ。
だけど君のために、桑だけは、どんなことがあっても育て続ける。
それがせめてもの罪滅しや。
君が、康平くんと結婚することになっても、良かったとわしは思うとる。
君が群馬で一生、糸を紡ぐというのなら、わしも一生かけて桑を育てる。
おふくろも、ようやっとそのことを認めてくれた。
わしの気が済むまで、この群馬の地で、桑を育てさせてくれ。
わしの願いは、ただそれだけや」
「泣かせへんで、いまさら。
そないな気持ちを知ったら、康平くんと結婚なんかでけしまへんやないの。
ほんまは康平くんと、なりゆきでゴールインしてしまうつもりやった。
肝心なところで、またあんたに、邪魔されたわ・・・・
あんたに責任をとってもらわんと、あかへん事態になりましたなぁ。
康平くんとは結婚できません。
周りにそれをゆるさない女たちが、いっぱいおるんだもの」
「許さない女たちがいっぱいいる?。どういう意味や」
「おせっかいがいっぱいおるんどす。
康平には昔から、赤い糸で結ばれた運命の女がおるの。
ちょっかい出したらあかんと、きつい顔をしてあんじょう怒る女もおる。
自分も康平くんに惚れているくせに、恋敵に道を譲る、可愛いお嬢はんどす。
そうなるとウチは、行き場をなくしてしまいます。
結局のところ、こうしてまた、お野菜を抱えてあんたの前へ立つ羽目に
なるんどす。
・・・・ねぇ、キッチンはどこ?。
群馬に来て糸引きが上手になりましたが、それ以上に、
お料理も上手になりました。
自分ひとりのために10年もお料理をしてきましたが、今日からは
2人分を作ります。
英太郎。ええ加減で言うてちょうだいな。
『さっさと上がって、いつもみたいに、わしのために早くメシを
作ってくれって』
・・・・うっふっふ。
やっぱりウチ、押しかけ女房みたいどすなぁ。」
(131)ヘつづく
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 126話~130話 作家名:落合順平