小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ヒトサシユビの森 1.オヤユビ

INDEX|1ページ/7ページ|

次のページ
 

1.オヤユビ





「こんなこと、してほしくなかった」
メンソールのタバコに火をつけながら、溝端かざねはポツリと呟いた。
淡く白いタバコの煙は波型のトタン屋根をつたい、揺れながら明け始めた群青の闇に消えていった。
朽ちかけた木製の円形テーブルの上に未開封の茶封筒が置かれている。
その表書きの文字は、低いモーター音を発する自動販売機の灯火によってかろうじて判読できた。
山本亮太はテーブルに手を置いて言った。
「俺もこんなこと・・・。かざね、お前が・・・」
「あたしのせい?」
かざねは亮太をチラと見、それからタバコの煙を壁際に吹きかけた。
壁面に貼られた町会議員蛭間健市の広報ポスターが煙に巻かれた。
「さちや、いくつになった?」
「知ってるでしょ」
「さちや、いくつになったって訊いてるんだ」
「4歳よ」
「4歳・・・。お前4年もな・・・」
「ええ、そうよ。4年も経つけど、いまだ出生届け出してないわ。いけない?」
かざねは眉間にしわを作ってタバコをアルミの灰皿にもみ消した。
「何も困ってることないし」
「お前、さちやの将来のこと考えたことあんのか?」
かざねはバッグからコンパクトを取りだし、化粧を落とす準備を始めた。
「考えてるに決まってるでしょ」
「かざねがどう考えてようが、さちやにはさちやの人生があるんだぞ」
「さちやは私の一部。さちやはあたしが守る」
ファンデーションを拭いとるかざねを見て亮太がいきり立った。
「いい加減にしろ!」
亮太の怒声が丸テーブルを揺らした。
灰皿がセメントの地面に落ち、ガラスが割れるような鋭い金属音となって辺りに響いた。
亮太は落ちかけた茶封筒を掴んでテーブルに叩きつけた。
「そうやってお前がいつもいい加減だから、俺はな・・・」
「馬鹿ね」
かざねは化粧落としの手を止め、地面に落ちた灰皿を拾った。
手を伸ばした先の地面は砂利が固められた簡易の駐車場になっている。
長尺のトラックが中で余裕でUターンできるほど広い。
「鹿肉・猪肉 玉井商店」と太字で書かれた大きな目立つ看板が出入り口にあり、その看板の脚下に一台の四輪駆動車が停まっていた。
「俺がさちやの父親って可能性もあるだろ。そう噂してる奴もいるし」
「あるわけないでしょ」
「なんで? ちゃんと調べてみなきゃわかんねえだろうが」
「さちやに父親はいない」
かざねはそう吐き捨てると化粧落としの道具をバッグにしまった。
収穫を終え積み重なった藁山が点在する中秋の田園風景。
遠くになだらかな稜線の山々が連なり、その中腹を這うように被さる白い靄が朝日を浴びて輝いている。
「かざね、お前が開けろ」
亮太はテーブルの上の封筒をかざねのほうに寄せた。
「いやよ」
「いいから開けてくれ」
「いい加減にして」
「これでもし俺がさちやの父親だ判明したら・・・」
「あり得ないから」
「俺が父親だったら・・・」
「もし、亮太がさちやの父親だったら?」
「・・・さちやをこのままにしておかない」
「馬鹿。あんた、まだプータローでしょ」
かざねはバッグを肩にかけた。痛いところを突かれ、亮太は唾を呑みこんだ。
県道を左折し出入り口から軽トラックが駐車場に入ってきた。
軽トラックは四輪駆動車のすぐ近くに停止した。
”玉井商店”と描かれたドアから獣の毛皮をまとった男がふたり、降りてきて荷台からの荷物を降ろし始めた。
「頼む、かざね。俺こう見えてマジなんだ」
亮太は弱気になった眼差しをかざねに向けながら茶封筒を突きだした。
かざねはあきれ顔で封筒を受け取った。
「開けていいのね」
「ああ・・・頼む」

バッグを肩にかけたかざねが砂利の駐車場を軽自動車のほうに歩いていく。
自動販売機横のごみ箱に、茶封筒は開封されて捨てられていた。
遠ざかるかざねの背中に、亮太が上ずった声で叫んだ。
「かざね、俺、さちやの父親になりてえんだよ」
軽自動車のドアの隙間から、4歳のさちやが降りてかざねのほうに歩きだした。
「こらっ! さちや! 降りちゃダメって言ったでしょ!」
笑顔だったさちやの顔がこわばり、泣きそうな目になった。
「ごめんね、さーちゃん。大きな声で怖かったよね。さあ」
しゃがんで笑顔を作り、かざねは泣きながら駆けよってくるさちやを抱きあげた。
「ごめんね。ママを許してね」
かざねは膨らませた頬を何度も作り、さちやに見せた。
さちやは小さな人差し指を立てて、かざねの頬に触れた。
そして膨らんだかざねの頬をさちやが白く柔らかい指先でそっと突く。
するとかざねはシューっと細く息を吹き出して頬をすぼめて見せた。
それを三度繰り返す頃には、さちやはすっかり笑顔に戻っていた。
亮太はそんな仲睦まじいかざねとさちやを、奥歯をギュッとかんで遠くから眺めるしかなかった。
玉井商店主の玉井聡は、店の開店準備をしながら、目の端で亮太とかざねの様子を捉えていた。