ある親友の話
冬が終わろうとする頃、突然、親友から「一緒に飲もう」と誘われた。
飲んだ時、彼から東京を離れることを知らされた。
ずっと親友だと思っていた。彼のことは何でも知っていると思っていた。けれど、東京をから離れると理由を聞いたとき、何も知らないことに気付いた。知っていたのは、ほんの上辺のことだった。
「ずっと友達だと思っていたけど、でも、今日のお前は、自分が知っていたお前じゃない。俺たちの付き合いは上辺だけだったのか?」と彼に聞いた。
すると、彼は、「賢者の交わりは“水の如し”というじゃないか。そういう関係だったということさ」と笑った。
「いつ旅立つ?」
「早いうちに」
「彼女は?」
「別れた」
「どうして?」
「彼女を悲しませたくないから」と微笑んだ。
彼はまだ五十歳前だが、ガンが見つかり、治療のため会社を辞めた。彼の母も数年前にガンで亡くなっている。
「本当にそう思っているのか? 前に、彼女は、『どんなことがあっても、愛する人を看取りたい』と言っていた。お前のことだろ?」
「今の俺は誰にも迷惑をかけたくない。独りで静かに死にたい。愛する人が微笑んでいる顔を思い浮かべながら死にたい。都会の喧騒から離れて静かに絵を描きながら、残りの人生を生きたい」
彼の恋人は和服の似合う美しい人だった。ずっと不幸だったが、「彼と出会って初めて幸せを感じた」と告白した。もう五年前のことである。
「彼女には幸せになってもらいたい。まだ四十になったばかりだ。子供が産めない体だが、愛してくれる人はいるだろう」
「それがお前だろう?」
彼は首をふった。それ以上、会話は続かなかった。
それから二カ月後の春、彼は東京を離れた。
春が過ぎて、アジサイの花が咲く梅雨の頃、突然、彼の恋人が訪ねてきた。
「私も彼も不器用だった。お互いに好きだという気持ちをうまく伝えないままだった」と彼女は微笑みながら話し始めた。
いつも口数が少なく控えめだが、この日はどこか違っていた。毅然として堂々と自分の考えを述べた。そこに強い意志を感じるのは、難しくなかった。
「でも、このまま終わりにはしたくない。彼を追いかける」
「彼は自分の命が短いと思っている。本当にそうだとしたら、どうする?」
「それでも良いの」
彼女は相変わらず微笑んでいる。
「北海道で小さな畑を耕しながら、好きな絵を描いている。東京からはとても不便なところだ。そこへ、君も行くというのか?」
彼女はうなずいた。
「会社はどうする?」
「もう、会社を辞めた」
「家族は?」
「私も、彼も、家族はいない。お互いに天涯孤独の身なの。だから、互い支えあって域内といけない。私はそう思っている。北海道のどこにいるか教えて?」
「本当に聞いていないのか?」
「おかしい?」と彼女は聞き返した。
「いや。ただ意外だと思っただけだ。函館の近くだ。彼から手紙が届いた。そこに住所が書いてある。その手紙を君にやる」
彼女に手紙を渡すと、
帰る間際、「夏が来たら、遊びに来てよ」と彼女は微笑んだ。
その夏が来た。
二人の家に遊びに行った。
家は緩やかな広陵地帯のあり、背後には山が迫っている。見渡せば、どこまでも緑色の平原がいる。
彼は思いのほか、元気そうな顔をしていた。日焼けして、白髪が目立っている。彼女も日焼けしている。ともに笑みが絶えない。
居間には、クリムトの《接吻》という絵が飾られていた。この絵は彼女のお気に入りだったことを思い出した。
「この絵を初めて見たとき、『こんなにも愛というものを美しく描くことができるのか』と感動した。黄金色がふんだんに使われているでしょう。黄金色は中世の宗教画をおいて最高の価値を意味するものなの。クリムトは愛というものを、この地上でもっとも価値あるとして表現したかったのでしょう。第一次世界大戦後、華やかなウィーンが没落する頃、彼は美術学校で学んだ。ほぼ同時期に人間的な愛をもっとも否定したヒットラーも同じ学校で学んでいた。運命の皮肉なめぐり合わせね、彼らが知り合い出会ったかどうか不明だけど」と彼女から説明を受けたことがある。
その絵のように、二人は寄り添い、愛を高しかめながら、至福の時を生きているのだろうと確信した。