癒して、紅
しかし、人の気持ちも深く関わっていくと 自分の立ち位置も次第にいけないほうに向かっていることがある。
もっと美しい景色が見たくて、崖の近くに歩み寄る者。
もっと広い海を一望したくて、岬の端へと立ち入る者。
大丈夫、だいじょうぶ。ここまでなら。もう少しなら。ばれなければ…… そういった足元一歩の危険性が麻痺してしまうこともなりかねない。それに似ている。
だけれど、人に惹かれる。強い力に引っ張られる。良く思われたい。それをかわせないのが八方美人でもあるのだ。
玲來は、日常は、週五日のパート勤めと亭主との暮らし。家を離れた成人した子どもの心配も 子どもの意思を優先して口出しも遠慮するように我慢した。
見ためは自由になっても 制約の減らない五十路の女性にとって トオルとの音のない文章のやりとりは、そんな感情を一端に見せたり、隠したりして、日々の心の癒しや楽しさと感じていた。まだ女であったり、妻としての役目を果たしても 笑顔が作った笑い皺が取れなくなるように 気持ちに深くできた溝が埋まらなくなっていくのだ。
『もっとさ、気楽に構えて。僕と会ったらいいよ』
そんな気持ち中で 言葉が送られてこれば、何度も、何度も目にして「嘘ばっかり」と頬を高く微笑んで胸を熱くしてしまうものだ。
玲來は、いつしかトオルが気になる存在になっていることを自覚した。
だからといって、誘うことなど到底できない。都合のいい言葉でしか伝えられなかった。「恋なんて 別れる為にするみたい」と思うことで 気持ちの落ち着き場所にしていた。
玲來の気持ちが 彼女自身思いもせず動いた。