一卵性双生児の片割れが片割れに嫌悪感を抱いている話。
発端
いつから、といっても、まだ最近の話。五月の下旬から、六月の上旬から、よく周りに揶揄される冷戦(笑)は始まった。今思ったが、六ヶ月前だ。最近かもよく分からない。
普段から、といっても、前から険悪な関係ではなく、寧ろ仲は良かった方だろう。学年はもちろんのこと、学級も同じ時期は小学生の頃はあったし、今が同じ時期の一つだ。そのせいで、喧嘩はせども、良好だったのは確かなのだ。
それが変わったのは、普段の喧嘩の延長戦が原因だろうと思う。
双子、更に一卵性といえども、どれだけ仲が良く特別だろうと、私と片割れは別物、意味を選ばずに言えば他人だ。どこぞのアニメの曲の歌詞で、俺があいつで俺たちは俺、なんてセリフがあるが、同じじゃないぞと言ってやりたくなる(ネタとして作られたとかはともかく、この話についても今度書けたらいいな)。つまり、考え方、趣味嗜好は似るものがあっても完璧一致はしないし、性格も違うものは違う。
片割れは、どういう心理かなどを考えたことはないが、「中学のクラスのせいでひねくれたかもしれない」から「自分が悪けりゃ全部解決」と考えている。正直イタイ。イタイタしい。それでか、私がある事について文句だか何か少しくどく言えば「分かったから私が悪いんでしょ!?」と謎の自己犠牲を繰り広げる。違うと説明しても、「だって〜〜でそれが〜〜ってことでしょ?こっちが悪いんじゃん」と。辟易としてくる。
こういう具合のやりとりは、何度かあった。その怒りが頂点に来て、私が一方的に見限った。なので無視をすれば、私の想いが伝わってくれたようで、あっちも話しかけてくることを辞めた。
これが今でも続く全ての始まり。身内はこれまでに無い険悪な状態に、たまに和解するよう言ってくるが、私に非は無いと思っている。いや、完璧にではないだろう。
そもそも、私が無視を始めなければ、今でも互いに好きなものを語ったりしていただろう。イタイ、と私は思ったが、私だって他人から見たらイタイタしいものだろう。今では、意地の張り合いのようになっているのは、私も分かる。しかし、私はあちらの性格を治してくれないと、触れ合う気にもなれない。愛想が尽きてしまったのだ。
今でも、いつか結婚して、互いに子供が出来て、身内のよしみで子供同士が仲良くなっても、私達の関係は変わらないのかもしれないとさえ思う。……流石に話が飛脚しているだろうか。
次は何を書こうか、まだ決めてはいない。今回はもう書く時間は無いが、気の向いた時、気の向いたものを。
作品名:一卵性双生児の片割れが片割れに嫌悪感を抱いている話。 作家名:二分の一