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其の刻にまがつもの

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 翌朝、平太がまだ眠っている時間。兄が昨日弟が栗を拾っていた場所へ足を運ぶとそこには人影があった。兄は一瞬ぎくりと身を強張らせたが、それが天蓋と呼ばれる独特の笠を被った虚無僧だと気付き胸を撫で下ろす。
 件の物の怪ではない。でも誰だろう。
 警戒心はそのままに、兄は無遠慮に足音を立てながら虚無僧へと近づく。すると相手はしゃらんと錫杖を鳴らし、興味深げに兄へと向いた。
「君は誰だい」
 先に声を掛けたのは虚無僧の方だった。思いの外若い、男の声。
「この麓村の人間さ。あんたは?どうしてここへ?」
 少年は臆せず矢継ぎ早に返す
 その問いに答えるように虚無僧は腰を屈め、足元に転がった毬栗を拾い上げた。平太の話に嘘が無ければ、それらはおそらく昨日彼が拾い集めていた栗だ。中身は朽ちており、湧いた虫がぼとぼとと地面へ落ちる。途端、酷く鼻を付く臭いが辺りを漂った。
「現世に残しておいちゃあいけないもの。禍津者(まがつもの)の残滓」
 虚無僧はそう意味の分からない言葉を口にして、それらを腰にくくったカマス袋へとしまい込む。釣られる様にして漂っていた異臭も霧散した。その一瞬、どこからともなく悲しいうめき声が響いたが、一陣の風によってそれもすぐさま消え失せる。
「私はたまたま隣村に立ち寄った者なのだけれどね。そこである女性に頼まれてここへ来たんだ。《わるいもの》が置き去られているから持って行ってくれ、とね」
「ある女性?」
「ああ、年老いた女性さ」
 嘘だ。虚無僧の話を聞いた少年は口を噤んだ。隣村と一言で言っても山越えをしなければならないし、こんな早朝にそこからここへ来るには夜更けに山中の暗がりを歩き続ける必要がある。そんなこと、並の人間には到底無理な話だ。それに、件の話は昨日の日暮れの事。いつ何時この虚無僧に、だれがどう伝えたというのか。要する時間を考えれば不可解極まりない。
 もしや彼も人間ではないのでは? そう訝しんで少年は虚無僧に目を向けたが、彼は己に向けられた視線の意味するものが分かっているのだろう。笠の奥で小さく笑って人差し指を口付近へと立てた。
「今は《彼は誰時》。相手を見定めるには不毛な時間だ」
 そう言うと、彼はさらりと踵を返し立ち去っていく。
 朝焼けの中に霞み、溶けるように消えていくその姿。少年はただ黙って見送るより他なかった。
作品名:其の刻にまがつもの 作家名:Kの字