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其の刻にまがつもの

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東の山には物の怪が住む。逢魔ヶ刻にそこを越えてはいけない。ある村にはそんな言い伝えがあった。
 事実はどうあれ、灯りの無い中夜を迎える山を越えるのは山賊に襲われる危険もあったし、わざわざ物の怪に遭いに行く者もあるまい。ただ実しやかにそう囁かれ、村人は皆夕の東山を避けた。
 さて、季節は秋真っ只中。空は高く、日の入りの紅さは山間の色付きを一際に輝かせる。赤や黄の色味を浮かせた木々は冷たい風に吹かれてざわめき、小川の水はしんと冷えた。
 実りの秋とは言ったもので、そんな山の中には様々な食材が顔を覗かせる。栗、あけび、茸、柚子に花梨。まさしく宝庫を称するに値する顔触れだ。
 それを目的に山に入る者は多く、その日も幾人かの人間が山の恵を集めていた。
 時刻はやがて夕暮れ。村からは暮れ六つ時を知らせる鐘が響き渡り、東山の向こうから来た物売りの荷馬車が土臭い道を駆け抜けていく。それに続くようにして幾人かの村人が西にある住処へと戻っていった。
 そんな人々の姿を目に止めた栗拾いの少年達も腰を上げる。
「平太、そろそろけぇるぞ」
 少年の一団、その中で年長の少年が少し離れた場所で小さな毬と格闘している弟に声を掛けた。平太と呼ばれた紺色の着物を着た少年は座り込んだままちらりと兄に目を向けたが、頬を膨らませて首を横へ振る。
「まだじゃ。にーちゃんより多く獲るんじゃ」
 兄の籠の中には沢山の栗。負けず嫌いの平太は己の籠と見比べて酷く不貞腐れる。二人に栗拾いを頼んだ母親がその差に文句を言うことは無いだろうが、兄よりも頑張ったと褒められたい弟は現状に納得をしない。
 平太は引き続き地面に目を向け、枝で作った箸を使って栗を拾う。
「平太。我儘いうんじゃねよ。日が暮れるんだ、危ねんだ」
 幼い弟の意図は薄々察しているのだろう。兄は呆れたように注意を促す。だが、相変わらず平太が言うことを聞くことはなく、彼は兄には目もくれず黙々と毬のついた栗を拾い続けた。
「お化けに会っても知らねぞ!」
 兄は仕方なしに脅す言葉を口にする。
 案の定弟の肩は少しだけ強張った。だが、その言葉は兄が自分を帰らせる為だと知っているため、彼は態と「ふうん」と鼻で大きな息を吐く。
「お化けなんて怖くね。にーちゃんは、おれがにーちゃんより沢山栗を拾うのが嫌なんだろ」
 だから、そうやって怖がらせようとするんだ。したり顔で平太はそう言った。
「本当に知らねからな!」
 兄は苛立ちながら踵を返す。寂しがり屋な弟の事だ。少し離れれば慌てて後を追いかけてくるだろう。彼は弟の他に栗拾いをしていた少年達に目配せをして、帰りの路へ足を向ける。少年達は不安げな面持ちを浮かべたが「すぐに泣きつくさ」という言葉を聞いて納得したように彼の後へ続いた。
 また、弟の方もそんな兄の思惑には気付いていた。きっと何処かで隠れて自分が泣きつくのを待っていると彼は知っている。兄は冷たく突き放す振りをするけれど結局は優しいのだ。だからこそ、今はそんな兄の思惑に腹を立て、態と彼らの方を見ずに栗拾いを続けた。
 そんな平太の背中に突如大きな影が覆い被さる。
「採れるかえ?」
 それは酷く濁った声だった。
 誰だろう。傍の道を通り掛かったただの通行人だろうか。そう背後を向こうとした平太だったが、あることに気付き思い留まる。
 それは自分の背後に立った、あまりに大きな影。西陽を背にしているのだから影が大きいのは分かる。だが、頭に当たる部分が歪な形をしており妙に肥大化しているのだ。いくら影が伸びているとは言え、豆大福から豆が飛び出すような形をしているのは可笑しいだろう。それに体も随分と大きい。縦長ではなく、横に大きいのだ。
「東の山には物の怪が住む。逢魔ヶ刻にそこを越えてはいけない」
 少年の脳裏に、ふと親達から聞かされていた言葉が過る。
「採れるかえ?」
 影は再度そう平太に問いかけた。にちゃり、と粘着質な音が笑い声と共に首筋へと迫る。耳の裏に当たる吐息は生臭く温かかった。
 きっと振り返ってはいけない。そう思うが恐怖で動くことも出来ない。兄を呼ぼうとするが、肺は息をするのに手一杯で声を上げる余裕など無い。
「採れるかえ?」
 最早そういう鳴き声なのかと思えるそれはゆっくりと手らしきものを伸ばし、少年の傍らに置かれていた籠を掴んだ。籠は直径一尺程の大きさだったが、その手は易易と大きな掌で宙へ持ち上げる。視界の端にちらりと映った手の甲にはびっしりと獣の毛が生えていた。
「採れた、採れた」
 背後からは感情の読めない声が上がる。それと同時に今し方まで平太が採っていた毬栗がぼとぼとと落とされる。股の間から目の前に転がってきた栗は先程までの瑞々しさを失い、まるで数ヶ月経ったかのようにその実を腐らせていた。中には蛆が湧き形をひしゃげたものまである。
「採れるかえ?」
 影は先程同様の言葉を発し、今度は少年の頭を掴んだ。
 ごつごつと硬い指は畑仕事に精を出す父親と似ていたが、その大きさは比べ物にならないほど大きい。指一本一本が少年の腕と同じ位の太さだろう。その指でゆっくりと頭を掴まれれば恐怖が全身を支配する。
 このままでは自分もあの栗同様の末路を辿るのではないか。腐り、ひしゃげ、蛆に喰われて朽ちる最期。
 それを想像した途端平太は大きな悲鳴を上げ、ありったけの力で自分を掴み上げる掌に抵抗をした。頭を潰さないようにと力を込めていなかったのだろう、件の手はいとも簡単に少年を取りこぼす。
 兄達が去っていったのは西側。つまり、己に影を作っていた背後だ。もしかしたら今の悲鳴でこちらに目を向けたかもしれない。異変を察して駆けつけてくれるかも知れない。その一抹の希望を持って少年は振り返る。
 だが、直ぐ様それは間違いだったと彼は絶望した。
「採れるかえ?」
 あの言葉を発する影の主は今目の前に居る。人ではなく、獣と呼ぶには酷く歪なそれ。体は猿のようだったが異様に肥大化しており、頭はつるりとした大きな肉塊に虚の目と虚の口が一つ。その後頭部にいくつかの人間の頭が生えている。老婆、若い男、赤ん坊など性別も年齢も様々な頭だ。それらは言葉にならない呻き声を上げながら、位置の定まらない目玉でぎょろりと平太を見下ろした。
 物の怪の後ろに兄の姿を探すが、そこには異様なほど眩しい夕日があるだけで人の姿一つ見当たらない。
「採れるかえ?」
 口の虚を歪めてそれは問う。虚の奥には幾つかの馳せ細った人の指が蠢いていた。それらは口からずるりと這い出し、異様に長い関節を伸ばして平太の着物を掴む。途端、そこは数年着古したようにぼろぼろと繊維が崩れ朽ち落ちていった。
 ああ、もうだめだ。次はこの身に触れる。きっと皮膚は朽ち落ち、骨は枯れた枝のように折れるに違いない。やがてあの栗のように蛆が湧き、肉は土へと還るだろう。
 平太は覚悟を決めて強く目を瞑った。
 じっとりと生臭い息が短い前髪を掠め、目の前に異形が蠢く気配が漂う。だが、何時まで経っても件の異形は平太に触れることはなかった。代わりに「ぐう」やら「があ」やら、濁った苦悶の声が聞こえる。
作品名:其の刻にまがつもの 作家名:Kの字