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荏田みつぎ
荏田みつぎ
novelistID. 48090
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それから(それからの続きの続き)

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    それから(10)   仕事・恋・ちょっと楽器も



その現場は、大手の発注だけに、仕事をする上での細かい取り決めなどが有り、厭が上にも俺達の気を引き締めた。
結果から見れば、約1年余り続いた(必ずしも継続ではなかったが)この現場で、俺達は、大いに成長させて貰った。
90トンクレーンを使っての杭穴掘削、同時に土場の隅で、図面に合わせた鉄筋の組み立て、そして、あらゆる仕事の進行状況や仕様通りに作業が行われている証を残す為の写真撮りなど・・
「わしらが遣っとる仕事とは、えろう違いますね・・ なんか、肩身が狭いですわ・・」
と、賢治が言う。俺は、
「うちでも、写真撮りしてるだろ? ただ、此処は、スケールが違うだけだ。大きいだけ存分に働けるじゃないか。それに、人間、そんなに差が有る筈など無いから、気力で負けてなければ何でも出来るさ。ただし、初めての作業は、馬鹿にされても構わないから、充分に教えて貰った後で取り掛かれ。」
と、偉そうに言った。
実際のところ、俺だって多少気後れしてるけれど、こんな雰囲気に飲み込まれていたのでは、仕事など出来ない。

そんな形で、仕事は進む。
ところが、ある出来事で、俺達の会社の名が、元請けに知れる事となった。

最初にも書いた様に、この現場での制約・規則は多い。
うっかりしていると、重大な規則違反を仕出かして、折角掴んだ仕事をふいにする恐れだって十分考えられる。
まず、簡単なミスは、翌日の朝礼で報告され、改善案を期日までに提出しなければならない。
施主からの不具合指摘は、即、担当責任者同士の会議で、改善案を練る。第三者からの苦情なども、同様に・・
ましてや、労働災害とか起きると、現場の作業自体が、止まってしまう。
俺に取っては、この管理の厳しさこそ、最大の勉強になったと、今でも思っている。
(お互いに、名前も知らない者同士、ひとつの大きな仕事をやり遂げる為には、如何にスムーズ且つ誰でもが守れて、しかも安全のうちに、一糸乱れず流れる様な管理体制を整える事が、最大のポイントだな・・)
と感じ、同時に、先頭に立つ責任者の人柄&物事に対する考え方は、この管理システムを作る前に、更に重要なポイントだと思った。

その厳しい規則の中でも、ちょいとしたヒューマンエラーは、起きる。

その日、5時の時報と共に、現場には、緊張から解放された空気が、作業員のざわめきと共に伝わり始めた時、
「あっ、足場板が、あんな処に在るで・・!」
と、誰かの声。
足場板とは、幅20センチ、長さ4メートルほどの杉の板。建設現場などで、歩行通路を設ける際に、の足元に置く板の事だ。
「あっ、ほんまじゃ! 誰が、あんぎゃな(あんな)処に置いたんなら!」
と、その足場板を持ち込んだ会社の責任者が、怒鳴る様に言う。
結果から言うと、その会社の若い従業員と、板の置き場所を指示した責任者との、意志の疎通が、上手く行っていなかったのが原因。
だが、今は、そんな責任論・原因などを、とやかく言っている暇など無い。
其処は、鉄道の線路に近く、その板を取り除かない限り、事に依ると、重大事故にも繋がりかねないからだ。
「賢治!」
と、俺は、彼の名を呼んだだけで、すぐに駆け出して特設階段を下りた。
呼ばれた賢治も後に続く。続きながら、
「もう、5時過ぎてますよ!」
と、俺に叫ぶ。其処の扉は、きっちり5時に施錠する取り決めで、その時間以降に柵の中に入ったりした者は、まず出入り禁止となるからだ。
(そんな事、関係ない!)
と、俺は、少し遅れて来た賢治に、
「お前、5枚担げ。残りは、俺が、すべて持って出る。」
と言った。
「・・いや、わし・・もっと担ぎます。」
「うるさい! 早く、遣れ。」
賢治は、目で板の枚数を数えて、なんとか6枚肩に載せ、階段をゆっくりと上がる・・
俺は、残りの板を、ちょうど腰に下げていた番線(捕縛用の針金)で、素早く一纏めにして、渾身の力で担ぎ上げた。
(少し・・重い・・。階段の上まで登り切れるか・・?)
と、一瞬思ったが、兎に角、遣るしかない。
10段ほどある階段を上る度に、板の角が、肩に喰い込む。
あと2~3段という処で、先に上がった賢治や、それまで様子を見ていた人達が、手を貸してくれ、やっと柵の外に出る事が出来た。
(やれやれ・・、列車に迷惑を掛けずに済んだ・・)
と、僅かの時間で汗だくになった顔を拭く。
そして、俺達は、帰宅の途に就いた。

その翌日、俺は、○○の社長という人に呼ばれた。
「あんたが、さんばんくんか?」
「はい・・」
「わしは、○○の△じゃが・・」
「ああ、何時も専務さんには、お世話に成ってます・・」
「あんた・・、あんたともう一人の若いの、なかなか遣るらしいのう。昨日の足場板を置いとった処の社長は、わしの連れで、あんたの事を話しとったけぇ、今日、どんぎゃな人間か見に来たんよ。」
「・・まあ・・、こんな人間です。」
「うん・・。覚えとく・・。じゃけど、凄い力じゃのう。あの板、何枚有ったか知っとるか?」
「いや・・、あの後、すぐに帰りましたから・・」
「そうか・・、全部で12枚。まあ、少のう見ても、120~130キロは有ったじゃろう。」
「ああ、そうですか。どうりで、肩が、痛かった・・」
「はっはっは・・・ (いう事は)それだけか・・」
と、○○の社長は、去って行った。

これが、俺が、オヤジさんと呼んでいる、今の会社の元社長との最初の出遭いである。

まあ男の世界というものは、ある意味、単純と云えば単純だ。
当然ながら、出来事自体は、公に口にされる事は無かったが、俺と賢治の話は、僅か数日で殆どの者が、知る事となった。
「あんた等のお陰で、小そうなっとったわし等まで、大けな顔が出来るわ。AB建設じゃ言うたら、みんな、一目置き出したで。」
と、古株のDさんが言う。
以来、この現場が、ちょいと暇な時などは、○○から工事を受注出来る様になり、会社の経営も順調に推移し始めた。

仕事にも徐々に慣れた俺は、それまで封印していた楽器ケースの蓋を開いた。
それは、フィリピンから持ち帰った宝物。師から頂いた‘64年製フェンダージャズべースと、同じく師から、安く譲って貰ったG&L L-2000の2本。
久しぶりに調弦。弦は、既に死んで、生音に伸びが無くなっていたが、俺は、その感触を心行くまで愉しんだ。

大体にして、俺は、その頃、ベースは、パッシブでなければ・・と思っていた。
2本のベースのうちのひとつ、フェンダーの‘64年ジャズベースは、まさにパッシブの極み。俺などが、弾ける様な楽器ではない。もっと上手い人が持つべきなんだと思う。が、その反面、これだけは、何が有っても手放さないぞとも、思っている。
これ、人間の欲と無欲の不思議。
朝早くからの仕事を終えて、帰宅後は、ベースを一人で淋しく弾くという、オタクな生活が続いた。

そうこうしていると、現場での作業中に、同業さんから声を掛けられた。
「あんた、楽器を遣っとるらしいが、何を・・?」
「ベースですが・・」
「そうなん? 今度、一緒に遣ってみん?」
「はあ、好いですよ。また声を掛けて下さい。」
と、その時は、簡単な挨拶程度の会話で別れた。