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茜(あかね)

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「先生、私、先生に私のこともっと知ってほしいの。知るために必死になってほしいの。例えばもし私という人間の心のマニュアル本みたいなものがあるとしたら、そのマニュアル本を本当にボロボロになるくらい読んで私に関してのことだったら、誰にも負けないくらいよく知っている。あなたがそう自信もって言える人になってほしいの。私のアメリカの時の友達のこととか、どんな音楽を聴いて育ったとか……」
「私日本に馴染まなくても全然いい。謙遜って嫌な言葉ね。何の意味があって人は謙遜するのかしら。まるで嫌味よ。たちの悪い習慣だわ」
「そうか」私が言うと茜は、
「先生、私が今から言うことをよく聴いて。私の心の中には小さな箱があるの。絶対開けちゃいけない箱。パンドラの箱のような箱が私の心の中にあるの。先生私が今から言うことをよく聴いて」
「あのね……」茜は言った。
「あのね……私のお母さんはね……私を生んだことをひどく後悔しているの。本当よ。私にはよく分かるの。私のお母さんはね。私がこの世に生れてきたことをひどく後悔しているの」
「それでも先生は茜が生まれてきたことを喜んでいるぞ」茜は私に抱きついた。
「でもね……私のお母さんはね……私のお母さんはね……」
 茜は私に抱きつきながら涙交じりの声で言った。
「私のお母さんはね……私のお母さんはね……」
 その涙交じりのたまにかすれる声は遠い異国の列車の汽笛にも似ていて寂しかった。
「先生は茜が生まれてきたことを本当に喜んでいるぞ……」
「本当?」
「本当だ」
「じゃあ先生、私の髪をなでて、そっと優しく髪をなでて」
 私はしばらくためらったが、茜の言われた通り茜の髪をなでた。
「うふふ。じゃあ、今度は私の番ね」
 今度は茜が私の髪をなでた。
 私がびっくりしたのは、まず、その彼女の優しい手の動きだった。普段の彼女の姿から想像できない、まるで宝石を扱う鑑定士のような配慮のきいた優しい手の動きだった。

 茜はその後も成績がグングン伸びていった。それは英語だけでなく他の教科もだ。彼女が変わったのはそれだけじゃない。今年はよさこいソーランの練習にも参加した。参加することで、茜は皆からも受け入れられた。そして茜が高二の七月彼女から知らせがあった。彼女が妹と同じ、高知インターナショナル・プリスクールの編入に受かったそうだ。
 七月の中旬皆で茜に色紙を書いて花束を渡し、別れを言った。
 茜は皆の前で、別れの挨拶をした。
「私は自己主張が強く、自分勝手で、本当中途半端な人間だけど、ここ高知の人と触れ合いとても楽しかったです。よさこいソーランの祭りに出るので、その時はまた、宜しくお願いします」
「お前は中途半端な人じゃなかぞね」
 そのとき、鎌田は立ち上がって言った。
「お前は中途半端じゃなかぞね。うちらお前のこと誤解しちょった。インターの学校で上手くいかなくても、いつでも戻ってきいや。うちら歓迎するき」
「ありがとう」
 そうして茜はインターの学校に行った。皆が高三になったとき、高知の公民館で弁論大会が行われ、そこに茜が参加するという知らせがあった。てっきり私は茜が英語部門で参加するものとばっかり思っていたが、茜が選ばれたのは日本語部門だった。
 私と二年の時のクラス全員でその弁論大会を聴きに行った。
 アナウンスの声で、
「インター・プリスクール三年藤原茜さん」
 茜の登場だ。
「柔らかくて優しい国JAPAN 藤原茜」
「私は五歳でニューヨークに移り住み、高校が始まると同時に日本へ再び戻ってきました。帰国後私はいつも、どうしてみんな私のことを理解してくれないのだろう。なんで皆自分の意見をもっとはっきり言えないのだろう。そんなことを毎日考えていました。確かにその頃の私はアメリカ的でした。そうであると同時に未熟で幼い人でした」
「都合のいいときだけアメリカ人。都合のいいときは日本人。それは国際人として絶対にあってはいけないことだと思います。そんな自分勝手な発想が、人間を腐らせ中途半端な人間にしていくのだと思います」
 そのとき茜は唇をかみしめた。そして重々しい口調でこう言った。
「かつての私はそういう中途半端な人間でした」
 私は見守るようにして聴いた。
「高知のよさこいソーランは素晴らしい伝統です。私はよさこいソーランを通して皆の輪の中に入りました。皆と分かち合う空気、空気を大切にする国ジャパニーズ。自然と調和する生命ジャパニーズ。柔らかくて優しい国ジャパニーズ。この日本の魂は絶対なくしてはいけないと思います」
「皆でオンリー・ワンと言うけれど、自由とは責任が伴って、はじめて成り立つものです。自由は自分勝手なことをしていいというものではなく、むしろ責任が伴う厳しい世界です。自分で決断し、自分の行動に責任を持つ。落第しても誰も保証してくれない。そういうことも分からず、ただオンリー・ワン、オンリー・ワンと言っても、みな、何を目指しているでしょうか?オンリー・ワンの履歴書でも作りたいのでしょうか?オンリー・ワンの履歴書を作るため家族ぐるみで四苦八苦しているのでしょうか?ただ単にアメリカの文化を取り入れたいだけでしょうか?」
 そして茜は土佐弁でこう言った。
「だとしたら……だとしたら、本当くだらんちゃ、日本にはもっと大事なものがあるとね」
 皆が黙って聴いていた。
「アメリカを見習うのはリスクを伴います。何事も何かを得るときはリスクを伴います。日本人は大切なものを失わないよう、世界中の国の人が持っていて日本人に欠けている心、それは愛国心。愛国心をもっと持つべきだと思います。
 以上、柔らかくて優しい国JAPANでした」
 茜の発表が終わり、皆が拍手をした。かなりの拍手の量だ。しばらく拍手が鳴りやまなかった。私はその間彼女と交わした日々を、彼女の言葉を、反芻していた。
――先生クレイジーね。本当クレイジーね――
――とにかくって言葉私嫌いなの――
――いや、文学賞が取れなきゃ負けよ――
――先生、私に親しみを感じる?もっと近い関係になりたいと思う?――
――先生、私、先生に私のこともっと知ってほしいの。知るために必死になってほしいの――
――私のお母さんはね……私のお母さんはね……――
 そして拍手が鳴りやんでも私一人だけ目頭を熱くさせ、周りの目を気にせず、強く、強く拍手をし続けていた。
                                (了)
作品名:茜(あかね) 作家名:松橋健一