それから
それから
マニラの南、遠くラグナ湖を見下ろせる、小高い丘に建つ家。
その二階のベランダに座り、俺は、湖に浮かぶ筏の群れを見るとはなく見る。
前の通りから、顔見知りが掛ける声。その声に、ちょいと挨拶代わりに手を挙げただけで、再び遠い景色に目を移す。
不思議だな。あれほど嫌いで、もう二度と帰るものかと思っていた、生まれ故郷が思い出されて仕方ない。
(そういえば、もう8年になろうとしている・・)
「さんばん・・ あんた、この頃、少なからず変だよ。」
と、何時の間にかベランダに来た、オカマのチェリーが、言う。
「ああ、そうかもな・・」
「どうしたの? 以前も、時々そんな顔をしていたけど、今回は、随分と深刻に見えるけど・・」
「・・俺にも、分からない。分からないけど・・、何故か国の事が、思い出されて仕方ない。」
「・・そう? それなら、いっその事、一度、国に帰ってみれば・・? わたしの一番の理解者であるあんたが居なくなるのは、淋しいけど・・、あんた、きっと魂の叫びを聞いているんだと思う・・。神が、一度帰れと言ってるのよ。」
と、その堂々とした体躯で、しかも、1日に2度も剃らなければ、目立ち過ぎる髭面の彼、いや彼女の、俺に対する最初で最後とも思えるほど、真面目な、真っ正面からのアドバイスだった。
俺は、黙ってチェリーを見た。すると、彼女は、
「何よ、そんな目で見ないでよ・・。わたしに惚れたって駄目だよ。」
と、もう何時ものチェリーに戻っていた。
兎に角、この有り難いアドバイスのお陰で、俺は、心の中を師に話してみる気になった。
「走り続けて、やっと立ち止まったという事だろう。」
「・・」
「それと、まだ故郷でやり残した事が有るのかもな・・」
師の言葉を聞いてからも、俺が、本気で一度帰国してみようと思い切るまでには、更に数か月を要した。
しかも、帰国して降り立った処は、関東から離れた関西空港。
(さて、これから何処に行こうか・・)
関空から新大阪までの電車の中で、やっと行き先が、決まった。
俺は、その日の遅く、師の生まれ故郷である尾道に着いた。
そして、一泊。
翌日、アップダウンの多い、細い路地を歩き回りながら、
(この街は、小さ過ぎる・・)
と思った。もっと、人に埋もれて暮らしたいと思った。
そう思って、在来線で広島まで行った。
広島の駅前に暫く立ち、辺りを見回す・・。
(うん、これくらいなら好いかもな。)
俺は、安宿を探し、其処を取り敢えずの拠点として、まず仕事を探した。
雇ってくれさえすれば、どんな仕事でも好いと探すが、なかなか見付からない。
「あのね、そのあなたの希望を、取り敢えず言わないでいれば、見付かる様な気がしますけど・・」
と、役所の担当者は、言った。
「いや、もう少し頑張ってみます。これだけは、譲れない・・と決めてますから。」
「そうですかぁ・・」
唯一働く条件として、俺は、ばあちゃんの命日と、その前後合わせて3日間だけは、どうしても休ませて欲しい旨を伝えて貰った。その代り、残りの日は、例え日曜日だろうと、夜だろうと、休まず働くからと・・
数日間、通い続けて、嫌になる程の軒数当たって貰ったが、
「自分の都合を優先する様では・・」
と、断られっ放しだったので、俺は、2~3日役所に行かず、自分で就職情報誌を頼りに歩き回る。だが、飛び込み同然の不審者まがいに、良い返事が貰える筈など無い。
仕方ないから、また役所へ・・
すると、担当の人が、
「まだ(ばあちゃんの)命日まで、かなりの日数が有るので、有給をその日に当てれば好いから、取り敢えず面接に来ても良いという処が有りますよ。まあ、あまり大きくはない土建屋さんだけど・・」
と。
俺は、すっ飛んで行って、話を決めた。
さあ、次は、住む処だ。
これも大変だった。
なにしろ、不動産屋から見れば、何処から流れて来たのか分からない不審人物。
それに、風貌から、いちいちパスポートを見せて、まず、俺が日本人だと示さねば話に乗って貰えない有り様だ。そして、やっと、
「仕事は?」
「〇〇土建・・」
「どの様な物件をお望みで?」
「ああ、安ければ、何でも・・」
「どの辺りをお望みで?」
「何処でも好いです、安ければ・・」
そんな遣り取りが、二十数軒続く・・
当然といえば当然だが、訪ねる不動産屋は、街の中心からどんどん離れる。
もう殆ど嫌になる。これがフィリピンなら、何処かに落ちて居る材料をかき集めて、橋の下にでも小さな小屋を建てるんだけどな・・ と、つい思ってしまうが、此処は、既に法治国家日本国。
まあ、頑張ってもう1~2軒回ろうかと・・
その不動産屋は、〇〇不動産と看板を掲げているが、外から見る限り、骨董屋だった。
(なるほど・・ 家の佇まいから見て、不動産業だけでは経営が成り立たないから、如何わしい骨董品の販売も始めたのか・・)
と、ちょいと主人の顔を見るだけのつもりで入って、
「此処は、貸し家も紹介していますか?」
と、埃を被った骨董品など眺めながら聞いてみた。
「うちは、不動産屋ですから・・」
と、白髪混じりの主人が言う。
「ああ・・そうですよね。安くて・・、住めれば好いのですが・・」
「予算は? あっ、何処の国の人?」
「日本です。」
「いや、そうじゃなくて・・ あなたは、何処の国から来たの?」
「ああ、フィリピンから帰りました。」
「それを言うなら、『来た』と言うの。『帰った』は、あなたが、フィリピンに帰る時に使う。分かる・・?」
「(ついに俺は、フィリピン人扱いか・・。)いや、俺は、日本人で、数日前にフィリピンから帰って来たばかりなんですが・・」
「えっ?」
兎に角、そんな事で、俺は、此処に至るまでの事情を少々話す。
「ああ、そうだったんですか・・ でも、安いというてもねぇ・・そんなに無いからねぇ・・ あっ、在るには在るけど・・ 本当に、ええんですか?」
「雨が漏らなければ好いです。少しくらいの風は、我慢します。」
「はっはっは・・ あんた、面白い事を言うね。」
という事で、不動産屋の主人は、俺を車に乗せて、その物件の在る処へ・・
車は、街の中心から、更に遠退く方向に走る・・
20分あまりで、
「さあ、着いたで・・」
と、不動産屋の主人は言い、俺達は、車を降りた。そして、
「あれ・・」
と、言葉少なに、彼が、物件を指差した。
「・・・」
「どう・・? あれでも、ええん(好いの)? ・・まあ、ただ一つ、ええところは、一戸建てという点じゃけど・・」
その物件は、通りに面しているにしては、驚く程古びて、家の周りには、背の低い草が一面に生えている。
モルタルの壁は、ひび割れが大きく、今にも剥げ落ちそう。両隣の立派な家に挟まれて、そのみすぼらしさは、嫌が上にも際立って見える。
だが、よく見れば、柱や窓など肝心な処は、意外にしっかりとしている気がした。
「此処、家賃は、幾らですか?」
「〇〇円・・」
「中を見れますか?」
「住む気が有るんなら、持ち主を呼んで来るけど・・、あんた、ほんまに此処でええんかね?」
「雨は、漏りませんよね?」
「さあ・・ まあ、ちょっと待っといて・・」
マニラの南、遠くラグナ湖を見下ろせる、小高い丘に建つ家。
その二階のベランダに座り、俺は、湖に浮かぶ筏の群れを見るとはなく見る。
前の通りから、顔見知りが掛ける声。その声に、ちょいと挨拶代わりに手を挙げただけで、再び遠い景色に目を移す。
不思議だな。あれほど嫌いで、もう二度と帰るものかと思っていた、生まれ故郷が思い出されて仕方ない。
(そういえば、もう8年になろうとしている・・)
「さんばん・・ あんた、この頃、少なからず変だよ。」
と、何時の間にかベランダに来た、オカマのチェリーが、言う。
「ああ、そうかもな・・」
「どうしたの? 以前も、時々そんな顔をしていたけど、今回は、随分と深刻に見えるけど・・」
「・・俺にも、分からない。分からないけど・・、何故か国の事が、思い出されて仕方ない。」
「・・そう? それなら、いっその事、一度、国に帰ってみれば・・? わたしの一番の理解者であるあんたが居なくなるのは、淋しいけど・・、あんた、きっと魂の叫びを聞いているんだと思う・・。神が、一度帰れと言ってるのよ。」
と、その堂々とした体躯で、しかも、1日に2度も剃らなければ、目立ち過ぎる髭面の彼、いや彼女の、俺に対する最初で最後とも思えるほど、真面目な、真っ正面からのアドバイスだった。
俺は、黙ってチェリーを見た。すると、彼女は、
「何よ、そんな目で見ないでよ・・。わたしに惚れたって駄目だよ。」
と、もう何時ものチェリーに戻っていた。
兎に角、この有り難いアドバイスのお陰で、俺は、心の中を師に話してみる気になった。
「走り続けて、やっと立ち止まったという事だろう。」
「・・」
「それと、まだ故郷でやり残した事が有るのかもな・・」
師の言葉を聞いてからも、俺が、本気で一度帰国してみようと思い切るまでには、更に数か月を要した。
しかも、帰国して降り立った処は、関東から離れた関西空港。
(さて、これから何処に行こうか・・)
関空から新大阪までの電車の中で、やっと行き先が、決まった。
俺は、その日の遅く、師の生まれ故郷である尾道に着いた。
そして、一泊。
翌日、アップダウンの多い、細い路地を歩き回りながら、
(この街は、小さ過ぎる・・)
と思った。もっと、人に埋もれて暮らしたいと思った。
そう思って、在来線で広島まで行った。
広島の駅前に暫く立ち、辺りを見回す・・。
(うん、これくらいなら好いかもな。)
俺は、安宿を探し、其処を取り敢えずの拠点として、まず仕事を探した。
雇ってくれさえすれば、どんな仕事でも好いと探すが、なかなか見付からない。
「あのね、そのあなたの希望を、取り敢えず言わないでいれば、見付かる様な気がしますけど・・」
と、役所の担当者は、言った。
「いや、もう少し頑張ってみます。これだけは、譲れない・・と決めてますから。」
「そうですかぁ・・」
唯一働く条件として、俺は、ばあちゃんの命日と、その前後合わせて3日間だけは、どうしても休ませて欲しい旨を伝えて貰った。その代り、残りの日は、例え日曜日だろうと、夜だろうと、休まず働くからと・・
数日間、通い続けて、嫌になる程の軒数当たって貰ったが、
「自分の都合を優先する様では・・」
と、断られっ放しだったので、俺は、2~3日役所に行かず、自分で就職情報誌を頼りに歩き回る。だが、飛び込み同然の不審者まがいに、良い返事が貰える筈など無い。
仕方ないから、また役所へ・・
すると、担当の人が、
「まだ(ばあちゃんの)命日まで、かなりの日数が有るので、有給をその日に当てれば好いから、取り敢えず面接に来ても良いという処が有りますよ。まあ、あまり大きくはない土建屋さんだけど・・」
と。
俺は、すっ飛んで行って、話を決めた。
さあ、次は、住む処だ。
これも大変だった。
なにしろ、不動産屋から見れば、何処から流れて来たのか分からない不審人物。
それに、風貌から、いちいちパスポートを見せて、まず、俺が日本人だと示さねば話に乗って貰えない有り様だ。そして、やっと、
「仕事は?」
「〇〇土建・・」
「どの様な物件をお望みで?」
「ああ、安ければ、何でも・・」
「どの辺りをお望みで?」
「何処でも好いです、安ければ・・」
そんな遣り取りが、二十数軒続く・・
当然といえば当然だが、訪ねる不動産屋は、街の中心からどんどん離れる。
もう殆ど嫌になる。これがフィリピンなら、何処かに落ちて居る材料をかき集めて、橋の下にでも小さな小屋を建てるんだけどな・・ と、つい思ってしまうが、此処は、既に法治国家日本国。
まあ、頑張ってもう1~2軒回ろうかと・・
その不動産屋は、〇〇不動産と看板を掲げているが、外から見る限り、骨董屋だった。
(なるほど・・ 家の佇まいから見て、不動産業だけでは経営が成り立たないから、如何わしい骨董品の販売も始めたのか・・)
と、ちょいと主人の顔を見るだけのつもりで入って、
「此処は、貸し家も紹介していますか?」
と、埃を被った骨董品など眺めながら聞いてみた。
「うちは、不動産屋ですから・・」
と、白髪混じりの主人が言う。
「ああ・・そうですよね。安くて・・、住めれば好いのですが・・」
「予算は? あっ、何処の国の人?」
「日本です。」
「いや、そうじゃなくて・・ あなたは、何処の国から来たの?」
「ああ、フィリピンから帰りました。」
「それを言うなら、『来た』と言うの。『帰った』は、あなたが、フィリピンに帰る時に使う。分かる・・?」
「(ついに俺は、フィリピン人扱いか・・。)いや、俺は、日本人で、数日前にフィリピンから帰って来たばかりなんですが・・」
「えっ?」
兎に角、そんな事で、俺は、此処に至るまでの事情を少々話す。
「ああ、そうだったんですか・・ でも、安いというてもねぇ・・そんなに無いからねぇ・・ あっ、在るには在るけど・・ 本当に、ええんですか?」
「雨が漏らなければ好いです。少しくらいの風は、我慢します。」
「はっはっは・・ あんた、面白い事を言うね。」
という事で、不動産屋の主人は、俺を車に乗せて、その物件の在る処へ・・
車は、街の中心から、更に遠退く方向に走る・・
20分あまりで、
「さあ、着いたで・・」
と、不動産屋の主人は言い、俺達は、車を降りた。そして、
「あれ・・」
と、言葉少なに、彼が、物件を指差した。
「・・・」
「どう・・? あれでも、ええん(好いの)? ・・まあ、ただ一つ、ええところは、一戸建てという点じゃけど・・」
その物件は、通りに面しているにしては、驚く程古びて、家の周りには、背の低い草が一面に生えている。
モルタルの壁は、ひび割れが大きく、今にも剥げ落ちそう。両隣の立派な家に挟まれて、そのみすぼらしさは、嫌が上にも際立って見える。
だが、よく見れば、柱や窓など肝心な処は、意外にしっかりとしている気がした。
「此処、家賃は、幾らですか?」
「〇〇円・・」
「中を見れますか?」
「住む気が有るんなら、持ち主を呼んで来るけど・・、あんた、ほんまに此処でええんかね?」
「雨は、漏りませんよね?」
「さあ・・ まあ、ちょっと待っといて・・」