そこに海はなかった
そこには潮の匂いもテトラポットに打寄せる波の音も無かった。
海岸の白いテラスで微笑む優希。いたずらな潮風が彼女のしなやかな髪を乱す。
いつも高志の位置からは優希の背に、海峡を行き来するフェリーや漁船が遠くに小さく見えていた。学生だった頃、この場所によく来たな。と、過ぎ去った時を振り返る。
海岸に面したテラスのあるカフェ。
就職活動の真っただ中だったなと。大きな夢と希望に満ち溢れていた。
そして---、優希と俺、オレは優希と、ずっとずっと一緒だと信じて疑わなかった。いや、それが当然のことのように高志は思っていた。この場所が変わりなく、未来永劫にあるものだと、変わってしまうことなんて考えもしなかったのと同じように。
「須田くんが狙っているのは、一流の商社だよね。頑張って! 絶対に大丈夫だよ。将来は、忙しく世界を飛び回るビジネスマンだよね。凄いよ。そしてわたしは、時々そんな須田くんと機内で遭遇するの」
「優希がキャビンアテンダント。で、オレが国際ビジネスマン。トレンドドラマじゃん」
「でしょう。素敵! お飲み物はいかがですか。って、白々しく須田くんに声をかけるの。でね、須田くんは、『コーヒーを』って答えて、こっそりと『ステイは?』って聞くの。わたしは、嬉しくってドキドキしながら他のお客様には分からないように、ステイ先のメモを、コーヒーと一緒に渡すの」
「はあ、優希、お前……、ドラマの観過ぎじゃないの? 妄想に近いぞ。それって」
「もぅ! 須田くんって、夢がないよ……。ねえ、須田くん、ずっと一緒にいようね」
切れ長な瞳を輝かせて、オレンジジュースの入ったグラスを両手に包みながら語った優希。
まだ見知らぬ現実という世界に夢と希望に満ち溢れていた。あの頃、自分の理想とする未来が訪れると信じていた。新しい世界のドアを開き、足を踏み入れるまでは、ただドアの前に立つことだけに、そのための触手を発達させ、アンテナを張り巡らせて、全神経を集中させ、やっとの思いでドアの前にたどり着き、そして触れることを許されたノブに手を掛け、扉を開く。
開かれた扉の向こうに---、見たもの。あれから五年。