ワタシタチ。
ハニーの伝言
まるでそれは蜂蜜
ずっと味わうことは出来ない
まるでそれは予報外れの雨
怒りをぶつける場所が見当たらない
まるでそれはどこまでも続く明け方の海
なぜこんなにも胸が締め付けられる
小さい頃から祖母が蜂蜜料理ばかり出してきたせいで
蜂蜜が苦手になってしまった
ついに食べ過ぎた僕は蜂になった
飛んで飛んで他のお家に向かう途中、突然の小雨
なんて理不尽なタイミング
当てのない怒りも雨と共に流された
もちろん傘なんてものは持ち合わせていないし
大人しくお家にいれば良かった、と
だけど、このままじゃ帰れないんだ
今のままじゃ戻れないんだ
飛んで飛んで海の見える隣町まで来た
周りには誰もいない
どうやら僕だけらしい
海を目の前にすると胸がゆっくりと
それでいて確かに握りしめられたような感覚になる
なぜだろうか
そんな海辺で泣き濡れた
その日から苦手なはずの蜂蜜の味が全然してくれないんだ
ハニー
君は懲りずに僕に何度も語りかけるのだろう
「今夜は何を、作ろうか。」
ハニー
大人になった今
たまに食べたくなる時があるんだ
隠し味でいいからほんの少しの蜂蜜とやらを
ゆっくりと、ゆっくりと
最後の仕上げで混ぜてはくれないか
僕が蜂になった日
祖母の料理を一生、口にすることが出来なくなったその日
ヘトヘトになってお家に帰ると
お母さんが泣きながら何かを読んでいたよ
「蜂蜜料理のレシピ集」
小さな文字で
震えた文字で
愛らしい文字で
何年かけて描いたのか分からない程のたくさんの文字が詰め込んであった一冊のノート
残されていたものはたったそれだけだったんだ
笑ってしまうだろう?
例えば今日みたいな疲れている日には
はちみつレモンが良いらしい
「帰ったら作って置いとくから
早く学校に行きなさい。
残りはきちんと冷蔵庫に入れるのよ。」
「何?急に。」
「全てのレシピの下に一言ずつ書いてあるのよ。」
僕はそのレシピをパラパラとめくって感心した
全ての料理にコメントが添えられているのだ
まるでまだこの家に居るみたいで
キッチンから顔を出して「おかえり」って言ってくるんじゃないかって
蜂蜜なんて飽きたよと嘆く僕に
「私はね、昔、一度だけ蜂になったことがあるのよ。」
冗談みたいなことをあまりにも真剣に話すからさ
でももうその話を聞くことはなくて
どこにも姿は見えなくて
泣き続けたせいで今はまだ味のしなくなったこの蜂蜜の味も
僕が蜂になった長い夢の話も
いつかまた一緒にご飯を食べる時が来たら全部伝えるよ
それから我が家ではそのレシピのことを
「ハニーの伝言」と呼ぶことにし
毎週金曜日にだけページを開くことに決めた。
そんな今日は金曜日。
この時間帯は
どこからか懐かしい声が聞こえるんだ
学校から帰ってきた僕の頭を撫で
優しい笑顔でハニーは語りかける
「今夜は何を、作ろうか。」
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『ハニーの伝言』/ meluco.