魔獣つかい【サンプル】
いつものとおり寒い朝、教室に入ると、一隅に人だかりができていた。
「おはよう、連枝」
「おはよう。今日も寒いね」
集団に混ざらず挨拶をしてきた陽林に、あれは何かと目で尋ねると溜息が返ってきた。
「……香鈴が知らせを持って来たんだよ」
確かに、人だかりの中心に紅色の大きな髪飾りが揺れていた。
「年明けに来るってさ、獣売りが」
「……そう」
連枝はそれ以上聞く気になれずに、自分の机についた。
寒気に凍りついた窓硝子の外、小さく身を寄せ合う屋根屋根の上に一つだけ高く抜きん出たのが、香鈴の家だ。二階建ても、飾り煉瓦で壁を覆い色石で屋根を葺いた建物も、集会所を除けば集落では一軒しかない。
「わたしは鸚鵡を買ってもらうの。もう約束ができているのよ」
得意を隠す気もないのだろう、いつもよりひときわ高い香鈴の声が聞こえた。
「鸚鵡?」
「南国の鳥よ。羽はきれいな青と黄色。とっても頭が良くて、人の言葉を喋るのだって」
すごーい、と素直な賞賛と羨望の声が取り巻きからあがる。
「おまえ、何買ってもらう?」
「犬がいいな。犬いるかな」
「犬は高いって言ってたぞ。俺はヘビかトカゲがいいなあ」
「やあよ気持ち悪い。私は小鳥買ってもらうんだから、近寄らないでね!」
香鈴を中心に広がる楽しげなざわめきに、連枝は入れない。教師が来るまでの時間をぽつんと座っているのは辛くて、こっそり抜け出した。
「連枝」
陽林が追ってきた。
「……なんだよ。陽林も混ざればいいのに」
「いいんだ」
今朝の空のような灰色の目が細くなる。
「……俺も、買ってもらえないんだ、魔獣」
「え」
思わず声を上げた連枝に、陽林は困ったような笑顔で応えた。
「姉ちゃん、春に嫁入りだから。……小鳥くらい買ってやるって言ってくれてるけど、物入りなのわかってるのに、強請れない」
「……そうか」
うつむいた連枝の気を引き立てるように、陽林は連枝の背をどやした。
「どうしても何か獣を連れてなきゃいけないんなら、うちの鶏でも牛でも連れてくさ。連枝んとこにもいるじゃん、猫が」
「……うん」
「だいたいなあ」
陽林は日陰の水たまりを覗き込む。薄い氷が張っているのをそっと持ち上げ、陽に透かす。
「昔語りじゃどうだか知らないけど、今じゃ飾りじゃん、魔獣なんて」
「……うん」
「いらない飾りに無駄な金使うくらいなら、姉ちゃんによそ行きの上着一枚でも持たせてやりたいじゃん。服はちゃんと役に立つんだしさ」
「……うん」
たちまち溶けはじめる薄氷を日向に放り投げると、陽林はざくざくと霜柱を踏みはじめた。
陽林の言葉がまるっきりの出まかせではないにしても、本心ではないことが連枝にはわかる。
毎年、この季節に上級生たちが獣売りの噂をし始めると、陽林も眼を輝かせていたのだ。獅子がほしい、鷹がほしいというのは現実を知らない幼心の憧れだったとしても、自分だけの魔獣を持つ日を夢に見るのは、この集落に育った子どもならごく自然なことだと思う。
(僕のほうがまだましだ)
連枝は、もっと幼い頃から自分には魔獣は持てないだろうとうすうす感じていた。冬毎に熱病のように膨れ上がる子ども同士の夢語りからはそっと身を引き、魔獣のいない儀式や、その後の生活をどうこらえるか、子どもなりに考え続けてきた。
それでも、自分たちの冬が来てみれば胸が苦しい。当然のように夢を育ててきた陽林にはどれだけつらいだろう。
霜柱の塊はすっかり踏み潰されて、茶色の泥水が陽林の靴を汚している。
「……戻ろうよ。先生、そろそろ来るよ」
「……うん」
陽林は袖で顔を拭った。
集落は山脈の裾近い斜面にへばりつくようにある。
険しい山からなだれ落ちるように広がる深い森。鳥の目で集落を見れば、その濃い緑の流れの中に浮かんだ船のように見えるだろう。流れを切り開くように、一番山に近い側に集会所の黄色い屋根が見える。その側にある赤い屋根が、集落の子だけが通う分教場。最下流にあり、集会所と競うように青い屋根を輝かせているのが代々集落の長を務める香鈴の家。
二本の帆柱の間に、小さな家が散らばっている。連枝の家も、陽林の家も、そのうちの一つにすぎない。
集落の真ん中を通り抜けて東西に続く街道は、石畳こそきちんと手入れされているものの、生い茂る木々の勢いに飲まれて上空からでは確認できないだろう。他に山脈を越える古道もあるが、こちらは年に数人も通う者のない荒れ道だから、集落を出て間もなく下草に飲まれて跡形もなくなっているかもしれない。
集落一帯の森は、魔獣の森と呼び習わされていた。
この国の子どもたちは皆、物心つくころには魔獣つかいと、魔獣の森の伝説を聞かされる。
***
昔むかし、この国は悪竜と鬼の住む真っ黒な森に覆われていました。
何も知らない旅人や、運悪く道に迷った者は、決して帰ってくることのない、恐ろしい森でした。
そこに魔獣を連れた一族が現れ、激しい戦いの末に悪竜を倒し、鬼どもを山脈の向こうへ追い払いました。恐ろしい黒森は焼き払われ、畑や街ができました。
人々は鬼から取り上げた宝を使って、国の真ん中に立派な城を作りました。そして魔獣使いの王に、一族皆でいつまでもここに住んでほしいと頼みました。
しかし、魔獣使いたちはその願いを受け入れませんでした。代わりに、国の外れにまだ残っている森をほしいと言ったのです。自分たちはそこを領土とし、鬼が戻ってこないように、再び悪竜が孵ることがないように、魔獣ともども国を守りたいというのです。人々は泣く泣く王たちを見送りました。
その後二度と悪竜も鬼どもも現れず、人々は大きな街をつくり、畑を開きました。子どもも増えて豊かな国になりました。
今でも、魔獣使いの王の末裔が、魔獣とともに国を守ってくれているからです。
***
「安心しておやすみなさい、魔獣の王さまが守ってくださいますよ」と頭を撫でられて眠りに落ちた子どもも、「悪い子は魔獣つかいに言って黒森に捨ててもらうよ」と脅された子どももいるだろう。
遠い都の子どもは、そんな話をまだ信じているのだろうかと連枝は不思議に思う。
森のただ中に住んでいる連枝たちにとっては、魔獣つかいの伝説はただのお伽噺にすぎなかった。森は深いし、子どもたちだけで入ってはいけないと言われる区域もあるにはあるが、悪竜や鬼はもちろん、魔獣と呼べるような生き物などいないのを知っているからだ。
野犬や蛇や毒虫など、危険な生き物はいる。けれどもそれらは、武器や知恵で十分に追い払うことができるもので、決して「魔」のものではない。
それでも、集落の暮らしには魔獣つかいの伝説の名残が色濃く残っている。
その一つが、十三歳の早春に迎える成年式である。この儀式を過ぎると、それまでの子ども扱いを脱して、部分的にではあるが大人と同等の権利が認められるのだ。十八歳の成人を待たずとも家の財産の一部を継ぐことができ、婚約も正式なものと認められる。
儀式には、正装のうえそれぞれの魔獣を連れて出席し、魔獣とともに長の認可を受けることとされている。この仕来りが、連枝や陽林を悩ませているのだ。
「おはよう、連枝」
「おはよう。今日も寒いね」
集団に混ざらず挨拶をしてきた陽林に、あれは何かと目で尋ねると溜息が返ってきた。
「……香鈴が知らせを持って来たんだよ」
確かに、人だかりの中心に紅色の大きな髪飾りが揺れていた。
「年明けに来るってさ、獣売りが」
「……そう」
連枝はそれ以上聞く気になれずに、自分の机についた。
寒気に凍りついた窓硝子の外、小さく身を寄せ合う屋根屋根の上に一つだけ高く抜きん出たのが、香鈴の家だ。二階建ても、飾り煉瓦で壁を覆い色石で屋根を葺いた建物も、集会所を除けば集落では一軒しかない。
「わたしは鸚鵡を買ってもらうの。もう約束ができているのよ」
得意を隠す気もないのだろう、いつもよりひときわ高い香鈴の声が聞こえた。
「鸚鵡?」
「南国の鳥よ。羽はきれいな青と黄色。とっても頭が良くて、人の言葉を喋るのだって」
すごーい、と素直な賞賛と羨望の声が取り巻きからあがる。
「おまえ、何買ってもらう?」
「犬がいいな。犬いるかな」
「犬は高いって言ってたぞ。俺はヘビかトカゲがいいなあ」
「やあよ気持ち悪い。私は小鳥買ってもらうんだから、近寄らないでね!」
香鈴を中心に広がる楽しげなざわめきに、連枝は入れない。教師が来るまでの時間をぽつんと座っているのは辛くて、こっそり抜け出した。
「連枝」
陽林が追ってきた。
「……なんだよ。陽林も混ざればいいのに」
「いいんだ」
今朝の空のような灰色の目が細くなる。
「……俺も、買ってもらえないんだ、魔獣」
「え」
思わず声を上げた連枝に、陽林は困ったような笑顔で応えた。
「姉ちゃん、春に嫁入りだから。……小鳥くらい買ってやるって言ってくれてるけど、物入りなのわかってるのに、強請れない」
「……そうか」
うつむいた連枝の気を引き立てるように、陽林は連枝の背をどやした。
「どうしても何か獣を連れてなきゃいけないんなら、うちの鶏でも牛でも連れてくさ。連枝んとこにもいるじゃん、猫が」
「……うん」
「だいたいなあ」
陽林は日陰の水たまりを覗き込む。薄い氷が張っているのをそっと持ち上げ、陽に透かす。
「昔語りじゃどうだか知らないけど、今じゃ飾りじゃん、魔獣なんて」
「……うん」
「いらない飾りに無駄な金使うくらいなら、姉ちゃんによそ行きの上着一枚でも持たせてやりたいじゃん。服はちゃんと役に立つんだしさ」
「……うん」
たちまち溶けはじめる薄氷を日向に放り投げると、陽林はざくざくと霜柱を踏みはじめた。
陽林の言葉がまるっきりの出まかせではないにしても、本心ではないことが連枝にはわかる。
毎年、この季節に上級生たちが獣売りの噂をし始めると、陽林も眼を輝かせていたのだ。獅子がほしい、鷹がほしいというのは現実を知らない幼心の憧れだったとしても、自分だけの魔獣を持つ日を夢に見るのは、この集落に育った子どもならごく自然なことだと思う。
(僕のほうがまだましだ)
連枝は、もっと幼い頃から自分には魔獣は持てないだろうとうすうす感じていた。冬毎に熱病のように膨れ上がる子ども同士の夢語りからはそっと身を引き、魔獣のいない儀式や、その後の生活をどうこらえるか、子どもなりに考え続けてきた。
それでも、自分たちの冬が来てみれば胸が苦しい。当然のように夢を育ててきた陽林にはどれだけつらいだろう。
霜柱の塊はすっかり踏み潰されて、茶色の泥水が陽林の靴を汚している。
「……戻ろうよ。先生、そろそろ来るよ」
「……うん」
陽林は袖で顔を拭った。
集落は山脈の裾近い斜面にへばりつくようにある。
険しい山からなだれ落ちるように広がる深い森。鳥の目で集落を見れば、その濃い緑の流れの中に浮かんだ船のように見えるだろう。流れを切り開くように、一番山に近い側に集会所の黄色い屋根が見える。その側にある赤い屋根が、集落の子だけが通う分教場。最下流にあり、集会所と競うように青い屋根を輝かせているのが代々集落の長を務める香鈴の家。
二本の帆柱の間に、小さな家が散らばっている。連枝の家も、陽林の家も、そのうちの一つにすぎない。
集落の真ん中を通り抜けて東西に続く街道は、石畳こそきちんと手入れされているものの、生い茂る木々の勢いに飲まれて上空からでは確認できないだろう。他に山脈を越える古道もあるが、こちらは年に数人も通う者のない荒れ道だから、集落を出て間もなく下草に飲まれて跡形もなくなっているかもしれない。
集落一帯の森は、魔獣の森と呼び習わされていた。
この国の子どもたちは皆、物心つくころには魔獣つかいと、魔獣の森の伝説を聞かされる。
***
昔むかし、この国は悪竜と鬼の住む真っ黒な森に覆われていました。
何も知らない旅人や、運悪く道に迷った者は、決して帰ってくることのない、恐ろしい森でした。
そこに魔獣を連れた一族が現れ、激しい戦いの末に悪竜を倒し、鬼どもを山脈の向こうへ追い払いました。恐ろしい黒森は焼き払われ、畑や街ができました。
人々は鬼から取り上げた宝を使って、国の真ん中に立派な城を作りました。そして魔獣使いの王に、一族皆でいつまでもここに住んでほしいと頼みました。
しかし、魔獣使いたちはその願いを受け入れませんでした。代わりに、国の外れにまだ残っている森をほしいと言ったのです。自分たちはそこを領土とし、鬼が戻ってこないように、再び悪竜が孵ることがないように、魔獣ともども国を守りたいというのです。人々は泣く泣く王たちを見送りました。
その後二度と悪竜も鬼どもも現れず、人々は大きな街をつくり、畑を開きました。子どもも増えて豊かな国になりました。
今でも、魔獣使いの王の末裔が、魔獣とともに国を守ってくれているからです。
***
「安心しておやすみなさい、魔獣の王さまが守ってくださいますよ」と頭を撫でられて眠りに落ちた子どもも、「悪い子は魔獣つかいに言って黒森に捨ててもらうよ」と脅された子どももいるだろう。
遠い都の子どもは、そんな話をまだ信じているのだろうかと連枝は不思議に思う。
森のただ中に住んでいる連枝たちにとっては、魔獣つかいの伝説はただのお伽噺にすぎなかった。森は深いし、子どもたちだけで入ってはいけないと言われる区域もあるにはあるが、悪竜や鬼はもちろん、魔獣と呼べるような生き物などいないのを知っているからだ。
野犬や蛇や毒虫など、危険な生き物はいる。けれどもそれらは、武器や知恵で十分に追い払うことができるもので、決して「魔」のものではない。
それでも、集落の暮らしには魔獣つかいの伝説の名残が色濃く残っている。
その一つが、十三歳の早春に迎える成年式である。この儀式を過ぎると、それまでの子ども扱いを脱して、部分的にではあるが大人と同等の権利が認められるのだ。十八歳の成人を待たずとも家の財産の一部を継ぐことができ、婚約も正式なものと認められる。
儀式には、正装のうえそれぞれの魔獣を連れて出席し、魔獣とともに長の認可を受けることとされている。この仕来りが、連枝や陽林を悩ませているのだ。
作品名:魔獣つかい【サンプル】 作家名:みもり