欠陥商品
ep4
父は漁師で腕が良かった。
夏の間は漁師をして、冬になると母と私を連れて出稼ぎに行く。
父は母を愛していた。
不器用な男ながら40過ぎて初めて嫁いできてくれた町でも有名な美しい妻に夢中だった。
出稼ぎ先でも、社長に直談判し、母に飯場の仕事をさせることを条件に飯場の横に10畳ほどの部屋を作らせ、そこに母と私を連れ込んだ。
母は本当に美しい女だった。
私を産んだのが40を過ぎてからと言うのに美しさは衰えず、飯場の上に寝泊まりするおじさんたちの間でもたいそう評判を呼ぶほどだった。
父の仕事は夜勤と昼勤、一週間交代で、昼勤の時は良い。
しかし夜勤になると夜の間に妻が男を呼び込んでやしないか、誰かが自分の妻に言い寄ってはいないかと心配で仕方ない様子。
帰宅するとすぐに母を風呂場に呼びつけ、自分の体を洗わせながら母の体を隅々まで検査するような男だった。
当時、私は幼稚園の年長さんで部屋から随分と離れた場所にあるトイレまでの道のりが夜になると怖くて、一人ではトイレに行けない子どもだったため、夜中にもよおすと父か母を起こしてトイレまで連れて行ってもらっていた。
ある晩、いつものようにおしっこに行きたくなって母を起こそうと横を見た。
いつもは私の右側に母が、私の左側に父が寝ているはずなのにその日は右を見ても母がいない。
慌てて母を探そうと起きかけたとき、私の背中のほうで母の声がした。
苦しそうな声だった。
母はどこか痛いのかと心配になり、そちらを向いたときに父が慌てて「ほら!起きた!!ほら!!」と下着をはこうとしている。
「どうした?ん?おしっこか?よーし、お父さんとおしっこさ、行ぐが?」と父。
母はと言うと、とんでもない形相で私をにらんでいる。
私は何をしたと言うのか?当時の私には理解が出来なかった。
そんなことが何度かあった。
そして私は、母のあの恐ろしい顔が忘れられなかったので、横を向いて母がいなかったとき、または私の背中のほうで母の苦しそうな声が響いたときはおしっこを我慢するはめになった。
ある晩、それでもどうしても我慢出来ず、おしっこ…と小さくつぶやいた。
ガサリと人が動く気配がしたので、また父が私をトイレまで連れて行ってくれるのだと私は起き上がりかけたとき、私は一瞬で宙を舞った。
訳がわからないまま、横たわる私を慌てて父が起こしてくれた、と同時に父はとてつもない剣幕で母に怒鳴りつけた。
何事が起こったのか理解できずにいる私の視界がみるみるうちに赤く染まっていく。
私は、父と母の営みを邪魔した制裁を受けたのだ。
母は私を力いっぱい投げ飛ばしたのだ。
そして私はむき出しの柱の角に目がけダイブし、運悪く額を角にヒットさせた。
私の額はパックリと角の角度に割れ、そこからおびただしいほどの血を流した。
その血が目に流れ入り、私の視界を赤く染めたのだ。
船を操縦する免許は持っていても、車の免許を持たない父は慌てて、飯場の二階に寝泊まりするおじさんを起こし、私を病院に連れて行ってくれた。
私を抱きかかえ、車のなかで往復しきりに私に謝る父の顔は怒りで赤を通り越し、青くなっていた。
私の額と髪の毛の生え際に今でもある傷跡はそのことが夢ではなかった証拠である。
そこから父と母の間を流れる空気はより一層冷感を増したように思えた。
夜中にもよおして横を見ても母がいないことはなくなった。
その代わり、父が昼勤の時に母の姿が消えることが多くなった。