幻燈館殺人事件 後篇
どのような祭りなのか、何故延期なのか、そういった蜂須賀からの矢継ぎ早の質問に、祭りで使う諸々が保管されている保管庫がすぐ近くにありますよ、倉庫ならば一応確認しておくか、とそういう流れだ。
保管庫の中は荒らされていた。荒れていたのではなく、人為的に荒らされていた。
地面には棚に並べられていたであろう品々が散乱し、無残にも踏みつけられ破壊されたそれらは何れも使い物にはならないだろう。
蜂須賀が芳しくない状況と呼んだのはそのことではない。
「この人は……六郎太さんです」
赤碕は沈痛な声でそう言った。
保管庫内部では木製の大きな棚が幾つも倒れており、その一つが男を下敷きにしていた。近寄るまでもなく絶命していることが分かる。
「知り合いなのか」
掛ける言葉を見つけられず、皆川は事実を再確認させる言葉を選んでしまった。
「はい。赴任したばかりの頃、とても良くしてくれました。この沼は底なしだとか、このキノコは毒があるから食べてはいけない、西の山には野犬と猪がいる、罠があるから気をつけろ、本当にいろいろ教えてくれました」
赤碕は強がってみせたが、その悲痛さは増していた。
「圧死だな」
蜂須賀はそんな二人に目もくれず、六郎太の遺体を注視してた。
外傷は少ない。目や鼻や口、そして耳の周りに血の跡が残っている。そこから判断されるのは、内臓破裂、あるいは、肺が潰れたことによる呼吸困難の窒息死。どちらにせよ、倒れた拍子に意識を失っていなかったのであれば、長く苦しんで死んでいったことが予想される。六郎太を押し潰している棚は相応に大きく、三人掛かりでも倒れた棚を元あった位置に起こすことは難しく、大人一人で持ち上げたり立ち上げたりすることは言うまでもなく不可能だ。
「彼とこの場所との関係は?」
蜂須賀の声に感情はない。努めて冷静に振舞ういつも通りの蜂須賀の声だ。
「六郎太さんは、毎年の祭りの準備を担当していました。たまに用具の状況確認を兼ねて手入れしていると聞いたことがあります」
冷静、には程遠いが、赤碕はゆっくりと感情を圧し留めつつ答えた。
「足を運ぶ理由はあったのだな。ここは施錠されていないようだが」
「金目の物もありませんし、持ち出したところで処分に困るものばかりですから」
「誰でも自由に出入りできたのだな。尤も、そうする意味はなさそうだが」
蜂須賀は改めて庫内を見回した。
「手入れに訪れたところで、隠れ潜んでいた犯人と鉢合わせになり、揉み合いになったのでしょうか?」
そう言う皆川は、遺体が視界に入らないように顔を背けたままだ。
「同一犯の仕業…か」
「違うのでしょうか?」
皆川は即座に問い返した。蜂須賀の声に懐疑的な響きを感じたからだ。
「どうかな。ただ、この荒れた保管庫内を見る限り、事故ということはなさそうだ」
蜂須賀はもう一度遺体に目を向ける。
六郎太は大柄な男だ。身長は蜂須賀より幾分低いが、横幅は比べ物にならない。肩幅、腕周り、特に腹回りなどは、二倍も三倍もありそうだ。
「見てみろ、彼の太い腕を。彼に襲われたとして、勝てる自信はあるかな?」
「いえ…それは」
「赤碕君はどうだ?」
「ありません。六郎太さんの腕っ節の強さは知っていますから。村の若衆も六郎太さんの前ではおとなしゅうしてました」
「警察官が二人揃って無理だと判断する相手だ。潜んでいたところを見られたとしても、正面切って襲い掛かるのは得策ではない。ましてや、誰でも立ち入れる場所だ。何とでも言い逃れはできる。祭りの用具を見ていただけで殺人犯だと疑われることもないだろう。それぐらいの頭が回らないのならば、昨夜のうちに山で凍死している。鉢合った相手が殺人犯、もしくは危険人物であると彼が判断していなければ、その状況は成り立たない」
「六郎太さんから襲い掛かったということですか?」
「もしくは、彼を殺害する理由を持っていたか、だ。ところで、彼の姓は何というのかな?」
「あ、失礼しました。山本六郎太、年齢は四十四だと聞いています」
「ふむ。あてが外れたな」
「なんですか?」
「いや、続けてくれたまえ」
「村の力仕事全般を請け負っていました。幻燈館にも出入りしていたようです。もともと村の生まれではないので、村に家族はいません」
「それで誰も彼の死に気付いていないのか」
「と言いますと?」
「確かなことは言えないが、どうやら死後半日以上経過しているようだ。今から半日前は真夜中。用具の手入れのために訪れるような時間ではない。ということは、少なくとも昨日の日が出ているうちにここを訪れていたはずだ」
「蜂須賀さん、それは」
「午後には大騒ぎになっていた。そんな中で手入れなどやろうと思うだろうか」
蜂須賀の疑問に答える声はない。
騒ぎは殺人事件の発生によるもの。その騒ぎが起きる前に保管庫へ足を運んでいたとなれば、山本六郎太は事件より前に死んでいた可能性が生まれる。
「当日の足取りを追う」
蜂須賀は踵を返す。その動きには微塵の迷いもない。
「報告はされないのですか?」
「そんなものは後回しだ」
作品名:幻燈館殺人事件 後篇 作家名:村崎右近