小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

イタリアワインとアンナ

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
『イタリアワインとアンナ』

青い空が一面に広がり、雲ひとつない秋晴れの日のことである。
久しぶりに訪ねてきた友人と昼食をとった。そこは海に近い河口に面したレストランで、窓際の席からは海を眺めることができる。幸い、その窓際の席が空いていたので座った。
友人は最初にワインを注文した。
ボーイがワインボトルをもってきてワインを注いだ。
海を眺めなら、グラスを鼻に近づけると、気品のある豊かな香りがした。どこか遠い昔に繋がる懐かしさを感じた。「どこだろう」と思案した。フランス、カルフォニア、イタリア……。口にワインを少し含んだ。実に円やかな味わいだった。
「これは…」と思わず絶句した。
あのイタリアだ。イタリアの芳醇なワインだとすぐに分かった。
窓の向こう側には青い空と青い海がある。イタリアの空と海のように。眺めているうちに遠い記憶が鮮やかに蘇ってきた。狂おしいまでに愛した一人の女のことも。目をつぶり、いつしか過ぎ去りし日々を思い出していた。
「どうした?」と友人が聞く。
「ワインを飲んだら、遠い昔を思い出したよ」
「良い思い出か?」
「このワインのように甘くて切ない思い出だ」
「時間はたっぷりある。聞いてやってもいいぞ」
ヨーロッパに旅立ったのは、もう二十年の前のことだった。ワインを飲みながら、いつになく饒舌に語ってしまった。

一流の絵描きになりたいという夢を実現するためにイタリアに留学した。できるなら歴史に残るような画を残したい。そんな途方もない夢を抱いていた。
憧れはルネッサンス期の芸術家達。が、すぐに、世界は広いということを思い知らされた。自分よりもずっと絵のうまい連中がごろごろしていたからである。それでも一年目は創作に励んだ。二年目のある日、一向に目が出ない自分に呆れ、もう画家になるのを止めようかと思った。創作活動に身が入らず、自堕落な生活となり、夜ともなれば酒場を渡り歩いた。そんなとき、酒場で歌っているアンナと出会った。気分のある顔立ちと不思議な匂いがする香水が印象的だった。誇り高く、「ワルシャワ貴族の出身だ」と言っていた。「いつかは歌手になるのが夢だ」とも言っていた。天使のような透き通った声をしていたが、歌はさほどうまいとは思えなかった。

出会って一か月後、恋に落ち入り、夜をともに過ごした。美しい月夜の晩である。
アンナは服を脱いだ。部屋の明かりを消してあったが、金色の月明りが射し、部屋の中は仄かに明るい。アンナはあたかも女神のように笑みを浮かべて誘った。美しく盛り上がった乳房を触れたとき、理性のタガが切れた。獣のように、その肉体を貪った。

海の見えるアパートを借り同棲を始めた。
アンナは海が好きで暇さえあれば海を眺めていた。
ある休日の午後、愛し合った後、アンナは半裸のまま窓から顔を出し海の方を眺めた。アンナの視線の先に青い海を航行する白い帆船があった。羽を拡げ、今にも羽ばたこうとする白鳥のような優雅さあった。窓が額縁となり、半裸のアンナと背後の帆船を一幅の絵にした。その美しさにしばらく見とれてしまった。
 アンナが、いつまでも海を眺めているので、
「海が好きか?」と聞くと、
アンナは笑みを浮かべうなずいた。
「私の夢は歌手になること。それに……」
「それに何?」と聞くと、
「この海で繋がる、あなたの国に行くことなの」と独り言のように呟いた。
もしも、それが愛し合った後でなかったら、このような情のこもったような言い方をされたなら、照れただろう。

同棲を初めて一か月後のことである。
知らない男から電話が着た。
「アンナを出せ」と言うので、代わった。
電話の後、アンナが、「用があるから出かける。帰りが遅くなる。ひょっとしたら戻らないかもしれない。友達が急に倒れたというの。今の電話はその友達のお兄さんから」と言った。
「大切な人か?」
アンナは少し思案した後、「そうよ」と言って出て行った。
その後、自分も特別の用はなかったので、気晴らしに車であちこちに行った。いつしか、隣の街に行った。そこはアンナに教えられたところで、いつか行きたいと思っていたが、なかなか行けなかった。街全体が中世の面影を色濃く残し、あたかも時間を遡って中世にタイムスリップしたような錯覚を覚える。
夜になった。街の広場で歩いていたら、壁際で男と女が抱き合っているのが眼に入った。女は嫌がっているようにも見えるし、逆に楽しんでいるように見える。男は彫りの深い顔でハンサムだった。ふと女の顔が彼の方に向いた。それはアンナに実によく似ていた。なぜが、すぐに背を向けた。どれほど時間が経ったことか、そっと振り返ると、既に二人の影はなかった。女はアンナであったか、それとも他人の空似であったかは分からない。だが、アンナであったなら、許すことはできない。アンナでないことを願い、「その真偽の程を確かめねばといけない」と思った。
 戻る途中、一人の友人が言ったことを思い出した。
「アンナには、君のほかにも恋人がいる。良い言い方すれば、恋多き女だ。悪い言い方をすれば、尻軽女だ。言い寄られたら、誰にも抱かれる」
本来なら信じないはずであったが、抱き合っている二人を目撃した今となっては、信じまいとしても、それを打ち消すことができなかった。
アンナに問い詰めれば、逆に深刻な事態にもなりかねない。一歩間違えれば別れるはめに陥ることも考えられる。アンナを失いたくなかった。アンナの微笑み、温かくて柔らかな乳房。それらは何物にも代えがたった。しかし、その一方でアンナに裏切られたという思いも消すことができなかった。
その夜、アンナは戻って来なかった。
次の日の朝、アンナが戻っていた。
すぐさま聞いた。
「誰に会っていた?」
「行くときに言ったわ。友達よ」
「男友達か?」
「どういう意味よ?」
アンナはずっと何かを訴えるような眼差しで見た。が、その視線に耐えられず目を逸らした。
「俺の友達が言っていた。君には、他に男がいると」
「その友達は嘘吐きよ。あなたは私とその嘘吐きとどっちを信じるの?」
「むろん、君さ。だが……」
その言い方が空々しいことは言った後で気づいた。
アンナは何も言わなかった。
海が実にきれいと思った。これがイタリアの海だとも。地中海の青。何もかも忘れてしまう青だ。始まりもない、終わりもない。そんな不思議な青だ。ずっと、慣れ親しんだ日本の海とは違う。冬の日本海、あの荒れ狂った灰色の海……。
何も言わないので、気になってアンナを見た。すると、アンナは今にも泣き出しそうな顔をしている。それは演技なのか。それとも真実なのか。何れにしろ、何とも悲しそうな顔に胸を締め付けられた。
「アンナ…」と声をかけると、彼女は顔を振り激しく泣きじゃくった。堰を切ったように声を出して泣いた。