未来は嘘をつく
音をたてて
9月に入って、手にはめられたギブスが取れたおかげで車椅子生活からはやっと卒業して、結構自由な松葉づえ生活が始まっていた。
主治医の佐々木先生の指示で来週には退院で、世田谷の家の近くの整形外科病院でリハビリに通うことが決まっていた。
近くっていってもタクシーで通う距離だったけれど、その支払いも保険でカバーできるらしく、ありがたかった。
角川さんは、2日前にも夕方の食事に合わせて2回目の手作りのおかずを持ってきてくれていた。あいかわらず僕が食事を終えると短い時間で病院を後にしていた。
退院の日にちはすでに決まってはいたけれど、そのことは言わずじまいだった。
僕は、退院してしまったら彼女とはこんな関係では会えないんじゃないかって思っていた。
退院は嬉しかったけれど、こわかった。
たった3回の短い時間のお見舞いで僕は彼女に二度目の恋をしていた。
13歳で好きになって、彼女の事はずっと心のどこかで好きだったけれど、違う恋もしてきたし、今は2年以上も付き合っている恋人がいるのにどうにもできない何かが僕の中で音を立てていた。
夕方になって僕は初めての外出届を手にしてナースセンターに向かっていた。
「あのう、外出届ってここでいいんですよね?」
ナースセンターの前で忙しそうに指示をだしていた外科病棟の副士長の鈴木さんに声をかけていた。
「えっ?あっ、いいけど。すぐに許可はでないわよ。担当医の許可がいるから。明日になっちゃうけど急ぎなの?」
落ち着いた声で説明を受けていた。
「えっと、明日外出したいんですけど、午後からでかまわないので、午前中に許可でればいいです」
明日出かけることができればそれで十分だった。
「だったら、先生が許可くれれば大丈夫。じゃあ預かっておくわね。神崎さん、これお願いね」
副士長はナースセンターの奥で点滴を用意していた神崎ナースに声をかけて用紙を差し出しながら声をかけていた。
「はい。お預かりします」
神崎ナースは声に気付いて振り返って副士長に近づき僕の外出届の用紙を受け取っていた。
「ふーん。初めてだよね森山君、どっか遊びにでも行くの?日曜日だからデート?」
少しからかわれていた。
「あのう戻りって何時までですか?」
神崎ナースの質問には答えずに気になっていたことを質問していた。
「それは8時まで。一応決まりですから。でも、まぁ少しぐらいなら遅れても多めに見てはあげるけど・・あっ、これ外泊届に変えても森山君ならもう許可出ると思うけど・・そっちにする?せっかくだからお泊りデートにしちゃう?」
神崎ナースは、あいかわらず、おせっかいというか勝手な妄想を口にしていた。
「大丈夫です。8時には戻ります。お泊りは結構です」
早口で事務的に答えていた。
「やだぁー そんな顔しちゃって・・じゃぁ預かるね。明日朝にたぶんだけど、許可出ると思うから。それから外出してね」
念を押されていた。
「はい、わかりました」
僕は軽く会釈をして、答えていた・
「あっ、森山君ちょっと待って。ねぇねぇ、最近良くお見舞いに来てくれてる子とどこかに行くの?」
ナースセンターの窓口から神崎ナースは身を乗り出して聞いてきていた。
「だーから、デートじゃないし、会う人も違いますってば・・」
まったくもっていつもの神崎さんだった。
「ふーん。まっいいか。あのさ、こんなところで私が言うのもなんなんだけど、森山君ちゃんとしなさいね」
少しいつもと違った口で言われていた。
「えっ?ちゃんとですか・・何を・・」
思わず聞き返していた。
「だから、ちゃんとよ。それぐらい自分で考えなさいよ。まっ、森山君はそういうとこダメそうだから、おせっかいだけど言っただけ。気にしなくていいよぉー」
神崎ナースは、言いながら背中を向けてナースセンターの奥に足を進めていた。
僕は言葉を返すことができずに少しだけ首を左右に振っていた。
なんだか、心の迷いを見透かされているようでこわかった。
外出届を出すと決めた時には決心していたはずだったけれど、そんなものは1秒ごとに揺れ動いていた。
大きなため息をついて、大きな声をだして病棟内を走って駆け回りでもすれば気持ちがはっきりするような気分だった。でも、こんな足で松葉づえではそんなこともできるはずがなかった。
一人の病室に戻ったらこれから僕は明日の事を考えて何をすればいいかわからなかった。
わかっているのは、僕は、角川さんを好きになっていた。
それも、初恋のあの13歳の時よりも、ずっとずっと彼女を好きになっていた。
21歳の彼女に恋をしていた。