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竜が見た夢――澪姫燈恋――

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 収まらぬは他の男達だ。だが彼らが何を言うよりも早く、剛野が静かな面持ちで戒に問い質す。
「答えよ、戒。姫――茜様を殺め、部族を捨てたお前は何のために生を渇望する」
「……」
 視界を閉ざしていても視線を感じる。その中にはもちろん瑠璃のものもあって。
 無意識のうちに、戒は彼女に語るように口を開いた。
「友の思いを知る私が生きることでしか、友の思いをこの世に残せないからです――」
 それが自己満足にすぎないのだとしても。


 戒には無二の親友がいた。彼らは同じように剛野に師事し、切磋琢磨した。
 年が長じるにつれ、彼らのどちらかの次代の長となるだろうことが囁かれるようになった。
 当代の長には娘が二人いるだけであり、そのようなときは部族で最も強い者を婿とすることが慣わしだったからだ。そして戒と彼の友はほぼ同等の強さを持っていた。
 長には友が相応しいと、言ったのは戒だった。
 戒はどちらかといえば穏やかな静謐と称するに相応しい気性をしていた。人望はあるが、人を率いる陽性の力に欠けていたのかもしれない。
 反対に友人は明朗活発、いるだけでその場を和ませ明るくする男だった。いささか浅慮なきらいはあるものの、それは傍に控えるものが補えばいい。
 何より長の娘――茜が、友に想いを寄せていることに戒は気づいていた。友もまた、憎からず想っていることを。
 もとより長の立場などに執着はなく、故に戒は辞退したのだ。
 誰もが幸せな未来を予想していた。
 しかしそれは突然に崩れる。戒の友が、次期長と目される男が、別の部族の娘に恋をしたために。彼が一族の秘宝を持って部族から逃げ出したために。
 追っ手に選ばれたのは戒だった。

『見逃してくれ! 俺は……俺はもう決めた!』
『お前の心変わりを責めるつもりはない。だが宝は戻せ! それさえ戻れば、あとは私がどうにかする!』

 出来ないと、友は言った。
 部族が違う自分の想いを信じてもらうには、証を見せるしかないのだと。証として献ずるものは、生半可なものではだめなのだと。

『これを奪うならお前であっても!』
『――正気か……!』

 どちらも退けなかった。
 過去に幾度となく腕を試しあっていた二人は、このとき初めて殺しあった。
 引き分けなどありえない。生と死しかありえない戦い。
 生き残ったのは戒だった。

『許せ……許してくれ、戒……』
『……』

 冷たくなった身体を、戒は燃やした。
 生死を問わず連れて帰れと命じられていたが、彼の部族は裏切り者に容赦しない。幸い川が近い。ならば川に落ちたと告げればいい。一族の秘宝は戻ったのだから。
 一族の元に戻った戒は、よくやったと褒められた。よくぞ一族の誇りと宝を守ったと。
 その言葉に、吐き気がした。
 誰も友の想いを認めようとはしないのだ。
 友が死んだため、自然と戒を長に望む声が強くなった。彼こそを茜の夫に。
 否、裏切りに傷つく茜に追い討ちをかけるよりも、いっそ妹の蘇芳と。
 身勝手な言葉。誰も想い人を失った娘と、友を失った男のことを気遣っていなかった。それどころか戒はよくやったと称えられるのだ、無責任にも。
「……」
 眠れない夜が増えた。戒は一人、空を見上げる。
 いっそ、部族を捨ててしまおうか。最近はそんな思いさえも生まれるようになった。
 それはとても甘美な誘惑なのに、何故か踏み切れない。茜が臥せっていることが、原因の一つなのかもしれない。
「……戒」
「――茜殿……」
 近づいてくる気配はとうの昔に気づいていた。足音の軽さから女性であることも認識していた。ただ、それが臥せているはずの茜だとは思わなかっただけで。
「如何されたのです……」
 戒の問いに茜は儚く微笑む。
 良くない予感に一つ、息を飲み込んだ。
「戒、あの人は最期に何を思ったかしら」
「……」
「少しでも、少しでも私のことを思ってくれたかしら」
「……」
 沈黙が答え。
 茜の表情に宿る悲哀が強くなる。「やっぱりね」と呟いた声は夜露とともに地に落ちて。
「貴方への謝罪はあっても、私のことなんて思い出してさえくれなかったのでしょうね」
「……」
「ねぇ、戒? 皆は、貴方を罪人とは言わないのでしょう? 貴方が殺したのは裏切り者だから」
「……はい」
「けれど貴方自身は違う」
「はい」
 誰も責めなくても、戒が戒を責めている。
 友を殺した己を。
 裏切っても、罪人であっても友は友で。人殺しは人殺しだから。
 だから戒はその罪を背負い続ける。
「私も貴方を責めるわ。許さないわ」
「……構いません」
 茜の目を見たときから、その言葉は予想していた。
 彼女にとってもやはり、想い人は想い人だったのだ。
「――だから、貴方も私を許さなくて良いわ」
「なにを……!?」
 繋がらない言葉の意味を問いかけて、声を失った。
 戒の目の前で倒れる、一人の女性。
 思うより先に身体が動き、茜を抱きとめる。
 戒たちの部族には、彼ら独自の武器も存在する。
 それは普通よりは大きい、けれど手の中に隠せるほどの針だった。彼らはそれで相手の急所を突き、時に自害さえもする。
 護身にも、誇りを守る術にもなるそれを、部族の誰もが持っている。あおしてそれが今、茜の胸に刺さっていた。
「茜殿……」
 力なく茜が笑う。彼女の目が、声もなく語っている。
 戒の目の前で、戒を苦しめる形で死ぬ自分を、許さなくていいと。
「……生きることさえも、あなたには辛かったのですね……」
 悲しいほど綺麗に笑うその人の胸から針を抜く。急所をわずかに逸れているそれでは、苦しみが長引くだけだから。
 慣れた手つきで戒はそれを構える。
「それでも私は、あなたを責めようとは思いませんよ」
 静かに女の身体へ沈んでいく針。茜は、微笑んだまま目を閉じた……。
 戒が茜に針を刺したところが見られ、彼は一転、罪人となった。
 彼は一切の言い訳をせずに茜の命を絶ったことを認め――逃亡した。

 誰もが認める潔癖な人物であったため、その行動を疑問視する声はあった。しかし、そのような真実が隠されているとは誰も思わなかった。
「そんな、姉さまが自害したなんて……」
 罪はどこに。罪人はどこに。
 口にすれば戒は応えるだろう。ここに、と。己が、と。
 そんな言葉を紡がせたくなくて、蘇芳は剛野を縋る思いで見上げた。
「戒さんは姉さまを苦しませないために姉さまに止めを刺したのよ……姉さまは自害したのよ。それでも戒さんは罪人なの……?」
「……」
「それを、あなたがおっしゃるのですか、蘇芳殿」
 しかし剛野は言葉を返してはくれず。むしろ戒が、蘇芳の逃げを許さない。
「戒さ――」
「私はあなたの姉を殺したのですよ」
「だって!」
「誰がなんと言おうとこれは私の罪です。私はこれを生涯背負って生きます」
「何のために」
 低い師の声に、戒は穏やかな笑みを浮かべた。
 そこには悲壮感などなくて。

「自己満足です。私だけが、彼らの想いの真実を知っている。そしてその想いは私を通してしかこの世に留まれない。私が死ねば想いはこの世から消えてしまう。それが、嫌なのです」

 だから生きると。