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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「歴史のお話を」 飛鳥時代

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今回は奈良時代(飛鳥時代)です。天皇家を乗っ取ろうとした大罪人と日本書紀などで非難される蘇我氏一族の蘇我馬子(うまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)。

彼らは自分たちが気に入らない天皇や皇子たちを次々と追放または殺戮しました(あくまで日本書紀の記述によるとですが)
戦前まで恐れられていた崇峻(すしゅん)天皇の呪いとは、592年に蘇我馬子が渡来系である東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)という人物に命令して殺したことに発しています。

崇峻天皇は馬子の甥にあたる近親者なのになぜ殺さなければならなかったのか?
崇峻天皇の父、欽明(きんめい)天皇は蘇我稲目(いなめ)の娘である小姉君(おあねのきみ)を妃にしていて四男一女を儲けています。そして稲目の長男が馬子でした。
なので馬子と崇峻天皇は叔父と甥の関係になっていたのです。

崇峻天皇が寵愛していた女性(名前は長いので省略します)に、馬子側に天皇が謀反(馬子を殺害しようとしていると)を考えていると告げ口をしたという話が伝わっています。
つまり、天皇から冷たくされた愛人が見返してやろうと馬子へありもしない話をでっち上げて訴えたということになるのです。

これがもし歴史の真実ならば怖いですよね~
天皇という地位は絶対的な権力だったので皇族たちは次期天皇が誰になるのか?ということには神経をとがらせていました。
今のように子供が少なく近親者間の婚姻が懸念される現状では男子の系統はごく限られています。

揉めるというより、一人二人の継承者しか居ないため順番は歴然としているのです。
飛鳥時代では母を異なる兄弟は婚姻が許されていたので、それに加えていとこ同士とか、叔父と姪、叔母と甥などの組み合わせがたくさんありました。
当然父親や母親を同じくする皇位継承者が増えるので、突然天皇が世を去った時などはもめます。

こうした皇位継承争いの最たるものが「壬申(じんしん)の乱」でした。
終戦(太平洋戦争)まで明治維新からこの壬申の乱は教科書から消されていました。
現人神(あらひとがみ)である天皇家が骨肉の争いをしたなどということは教えられなかったのですね。

逆に天皇を殺したり、その存在を自由に操ろうとした蘇我氏は為政者によって悪者にされていました。
日本書紀では編纂者は自らの存在を意味づけるためにこの壬申の乱の正当性を主張しています。
いつの時代も勝者側からの歴史が作られるのですね。