銀之助随筆集
手記 関西人 二〇一六年六月十三日
日常とは、非日常から見たら凡であるが、日常の視点で今一度、しっかり見つめなおしてみると、案外非凡のように思えてくるのである。
ある日、私は就活の後、喫茶店に寄った。そこで、三十分程読書を楽しもうと考えていたのである。ジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って、早速読書を始めた。私が本を開いて間もなく、二人の関西人が店に入ってきた。私の両親は大阪の出身であるが、両親とはまた別の類の関西弁で、耳を劈くような、下品で、やかましい関西弁であった。煩い客が入って来たなと、迷惑に思いながらも、私は読書を続けた。
暫く本を読んでいると、急に腹痛が走った。今までケロッと元気であった私の腸が悲鳴を上げていた。私は急いで本を閉じると、飛び出すように立ち上がり、トイレに駆け込んだ。
便座に座って腹痛との格闘も漸く終わった頃、その安堵感と共に、一つの不安が頭をよぎった。シャツの袖を捲った時に、ついでに外した腕時計を、席に置いたままにしてしまったのである。私は以前に一度、腕時計の置き引きに遭ったことがある。その時は、席を外してはいなかったが、私の目を避け、怪盗の如く見事に盗まれてしまった。
早く席に戻らなければいけないと思い、トイレを済ませると、そそくさと席に戻ろうとした。すると、私は自分の席を囲んで、三人の男が口論しているところに遭遇した。
私が席に戻ってどうかしましたかと尋ねてみると、私の隣に座っていた中年の男が、私のテーブルに置いてあった腕時計を盗って、店を出ようとしたようである。それを見ていた二人の関西人が、止めに入ってくれたのである。
「これは、あんさんの腕時計とちゃいますか?このおっさんが、あんたの腕時計を盗ろうとしてたんで、留めておいたんですわ。」
両親が関西人といえども、何分私は東京で生まれ育った標準語の人間であるから、関西弁で語られた彼の言葉を、うまく思い出せずにいるが、確かにこのようなことを聞かれた。私はそうです、と答えた。
その後、二人の関西人が、何やら中年のおっさんを咎め始めたから、私はもう結構ですよ、と二人を制し、感謝を伝えた。
「あんさん、いくら東京ったって、気ぃ付けなさいよ。」
とまあ、こんなことがあったのである。日常の一片は非日常ではないが、非凡である。