その目に魅せられて
『その目に魅せられて』
春から夏に移ろうとする頃のことである。札幌市のA公園は、強い日差しを浴びて新緑が光輝いている。
二人の男がベンチに座りながら話し込んでいる。西田トオルとは田中タケオ。西田トオルは金持ちのボンボンで全国を旅しながら絵を描いている。札幌に来て三年が経つ。田中は西田の幼馴染で大手商社に勤めていて、長期出張で札幌に来てホテル住まいの暮らしをしている。
西田は今年の初春に恋し、その女の不思議な魅力について語った。彼女は中東系のアメリカ人でサラといい、その目は実に魅力的だという。
「彼女の目を見た瞬間から恋してしまった」
馬鹿馬鹿しい一目見た瞬間に恋するなんて……。男も女一緒だ。操るか操られるか……いずれにしろ、最初が肝心だ。どうせ、どこの馬の骨かわからない女だ。いざとなったら、「ひとつ殴ってやれば話はつく」と田中は考えた。
「その女は魔物だよ。さっさと別れろ」と田中は冷たく言い放った。
「俺は愛している……とても別れるなんてできない」
「だから別れろと言っているんだ」
「だから別れろと?……」
「女はとても恐ろしいものだ。君はその恐ろしさに勝つことはできない。今度一度会わせろ。俺が良いように別れさせてやる。君には、もっとふさわしい女を探してやる」
西田と田中は小学校以来の付き合いである。西田家は裕福な資産階級、それにひきかえ田中家は貧しい家庭だ。それゆえ、いつも田中は西田に対し、一種の羨望と妬みと友情が混じった複雑な思いを抱いている。
都会は魔物が住む。東京でも、札幌でもその例外ではない。そして、魔物は夜、その本性を現す。美しく装い、笑みを浮かべ、背中に鋭い爪を隠して現れる。
田中は高層ビルの谷間にある小さな酒場で西田を待っていた。ウイスキーが三杯目を飲み干した時、時計は午後九時をまわっていた。
西田は美しい女性を連れて、田中の前に現れた。彼はすまなそうに、「待ったかい?」
と尋ねた。約束の時間より三十分も遅れたのである。
「俺も、今来たところさ」と田中は笑みを浮かべ答えた。
「彼女が服を選ぶのに三十分も時間を掛かったんだ」
「それはすごいな……それよりえらい別嬪じゃないか。紹介してくれよ」
黒い髪、そして、見つめているとそのまま吸い込まれそうなエキゾチックな目、魅力的な花のような唇、セクシーな体の線……こんな女なら西田ならずとも誰でも、その虜になる。田中にはそう思わざるをえなかった。
西田は型通りに恋人のサラを紹介した。
「サラさんと出会って何ヵ月になる?」
「二ヵ月になる」
二ヵ月の間、西田は家から送られる金のほとんどを注ぎ込みながら、せっせと食事に誘い、贈り物を送ったのだ。滑稽な話だ。馬鹿馬鹿しい滑稽な話だ。サラは気前のいい男としか思っていないだろう。西田の父から、「悪い女にひっかかっているようだ。金くれと何度も言ってくる。何とか早く別れさせ、東京に戻るようにさせてくれ」と田中は頼まれている。
世間話をするものの話は続かず、すぐに会話は止まり、沈黙が続いた。耳障りな店の喧騒がやたらに耳に響いた。突然、ピアノの弾き当たりが始まった。店が静まり返った。それは切なく、もの悲しい響きがあった。サラは音楽に耳を傾けながら、それはまるでモノローグのように話し始めた。自分の生まれたトルコ小さな島、十才くらいに移り住んだアメリカの話……。田中はずっと彼女を見ていた。いつしか西田と同じように魅せられていった。ふと、まずいというのを感じて、目をそらした。すると、西田は飲み過ぎたせいか寝ていた。
「ミス・サラ、君は彼を愛しているのか」
「愛?」と言うとサラはけらけらと笑った。
「愛していないのかい?」
「友達よ」と明快に答えた。
「友達か……」と軽く溜息をついた。いつもこうだった。西田は人がいいというか、馬鹿というか、いつも自分の都合のいいようにしか考えない。その結果、いつも彼のデリケートな心は傷つくのだ。それに、アメリカ人にとって性的関係を持たない男女の関係は友達にしか過ぎないのだ。体と体が通じて心が始めて通いあうのだ。日本のように、心だけで通じあうことなど絶対ありえない。
「愛していないなら……」と口ごもった。
「何? 愛していないなら?」と不思議そうに見つめた。
目を見てはいけない。吸い込まれ虜になりそうだ。と咄嗟に思い、目をそむけた。
「愛していないなら、彼の前から消えてくれないか?」と言った。
「なぜ? 友達同士なのに」
「彼は女性に対し、免疫が出来ていないんだ。君は悪い人ではないが、……」
田中はサラを見た。意外なことに悲しげな表情はどこにもなかった。
「わたしもそう思っていたの」
「君も?」
サラはうなずいた。
「私も、心苦しかったの。彼からの贈り物が余り多くて。それなのに、体を求めるようなことが一つもなかったから」
やはりアメリカ人にとって、愛とセックスは同義語なのだ。
「彼と寝ていないのかい?」と田中が聞くと、サラは少し顔を赤らめ、首をゆっくりとふった。
田中は、サラの目を見た。あらためて「サラの目は美しくて神秘的だ。まるで深い井戸のようで底が見えない。不思議な力がある」と田中は思わざるをえなかった。
翌日のことだった。田中は同じ酒場で西田とまた会った。
「君は東京へ帰れ」
「夢が未だ完成していない」
「画家になる夢か……」と田中は呟いた。彼は思わず、「子供みたいな夢なんかドブにでも棄ててしまえ! 」と言いかけようとしたが止めた。
「君の両親は君のことをとても心配している。お母さんは心臓が悪く入院している。電話もなくてどうしているんだろうと心配している。……運よく僕が見つけ出したから良かったものの、君のお父さんは『あと二、三ヶ月、音沙汰がなければ警察に届ける』と言った。また『お母さんは悲しみのあまり死んでしまうかもしれない』とも言っていた。今すぐ帰れ、お母さんが殺したくなかったら」
田中は何事も素直にそのまま伝えることができなかった。いつも、自分に都合がいいように誇大に言う癖がある。西田も知っていたが、いざ、自分のことを言われると真に受けてしまう。西田の顔から涙が流れた。
「分かった。帰るよ」
「すぐに帰れ、荷物は俺が送り届けてやろう。サラには会うな。僕から言っておくよ」
「頼む。『君のことをずっと忘れない』と伝えてくれ」と涙を子供のようにボロボロとこぼした。
残念ながら、サラは西田ほど相手のことを思っていない。そのことを思うと、少し気の毒にも思った。
サラの部屋を田中が訪れたのは、それから三日後のことだった。
彼は薔薇の花束を抱えて訪れた。サラは下着が透けてみえるセクシーなシャツを着ていた。
「サラ、君の目は実に魅力的だ」
「それ、どういう意味かしら?」
「僕の心のラブレターと思ってもらってかまわない」と薔薇の花束を差し出した。
「ラブレター、随分、キザね。でも、嬉しいわ、部屋の中に上がって」と頬にくちづけをした。
田中は西田に比べて、スタイルも顔もいい。賢くて要領もいい。そのうえ女の扱いにもなれていた。そんな彼がサラを裸にするのに、たいして時間がかからなかった。
春から夏に移ろうとする頃のことである。札幌市のA公園は、強い日差しを浴びて新緑が光輝いている。
二人の男がベンチに座りながら話し込んでいる。西田トオルとは田中タケオ。西田トオルは金持ちのボンボンで全国を旅しながら絵を描いている。札幌に来て三年が経つ。田中は西田の幼馴染で大手商社に勤めていて、長期出張で札幌に来てホテル住まいの暮らしをしている。
西田は今年の初春に恋し、その女の不思議な魅力について語った。彼女は中東系のアメリカ人でサラといい、その目は実に魅力的だという。
「彼女の目を見た瞬間から恋してしまった」
馬鹿馬鹿しい一目見た瞬間に恋するなんて……。男も女一緒だ。操るか操られるか……いずれにしろ、最初が肝心だ。どうせ、どこの馬の骨かわからない女だ。いざとなったら、「ひとつ殴ってやれば話はつく」と田中は考えた。
「その女は魔物だよ。さっさと別れろ」と田中は冷たく言い放った。
「俺は愛している……とても別れるなんてできない」
「だから別れろと言っているんだ」
「だから別れろと?……」
「女はとても恐ろしいものだ。君はその恐ろしさに勝つことはできない。今度一度会わせろ。俺が良いように別れさせてやる。君には、もっとふさわしい女を探してやる」
西田と田中は小学校以来の付き合いである。西田家は裕福な資産階級、それにひきかえ田中家は貧しい家庭だ。それゆえ、いつも田中は西田に対し、一種の羨望と妬みと友情が混じった複雑な思いを抱いている。
都会は魔物が住む。東京でも、札幌でもその例外ではない。そして、魔物は夜、その本性を現す。美しく装い、笑みを浮かべ、背中に鋭い爪を隠して現れる。
田中は高層ビルの谷間にある小さな酒場で西田を待っていた。ウイスキーが三杯目を飲み干した時、時計は午後九時をまわっていた。
西田は美しい女性を連れて、田中の前に現れた。彼はすまなそうに、「待ったかい?」
と尋ねた。約束の時間より三十分も遅れたのである。
「俺も、今来たところさ」と田中は笑みを浮かべ答えた。
「彼女が服を選ぶのに三十分も時間を掛かったんだ」
「それはすごいな……それよりえらい別嬪じゃないか。紹介してくれよ」
黒い髪、そして、見つめているとそのまま吸い込まれそうなエキゾチックな目、魅力的な花のような唇、セクシーな体の線……こんな女なら西田ならずとも誰でも、その虜になる。田中にはそう思わざるをえなかった。
西田は型通りに恋人のサラを紹介した。
「サラさんと出会って何ヵ月になる?」
「二ヵ月になる」
二ヵ月の間、西田は家から送られる金のほとんどを注ぎ込みながら、せっせと食事に誘い、贈り物を送ったのだ。滑稽な話だ。馬鹿馬鹿しい滑稽な話だ。サラは気前のいい男としか思っていないだろう。西田の父から、「悪い女にひっかかっているようだ。金くれと何度も言ってくる。何とか早く別れさせ、東京に戻るようにさせてくれ」と田中は頼まれている。
世間話をするものの話は続かず、すぐに会話は止まり、沈黙が続いた。耳障りな店の喧騒がやたらに耳に響いた。突然、ピアノの弾き当たりが始まった。店が静まり返った。それは切なく、もの悲しい響きがあった。サラは音楽に耳を傾けながら、それはまるでモノローグのように話し始めた。自分の生まれたトルコ小さな島、十才くらいに移り住んだアメリカの話……。田中はずっと彼女を見ていた。いつしか西田と同じように魅せられていった。ふと、まずいというのを感じて、目をそらした。すると、西田は飲み過ぎたせいか寝ていた。
「ミス・サラ、君は彼を愛しているのか」
「愛?」と言うとサラはけらけらと笑った。
「愛していないのかい?」
「友達よ」と明快に答えた。
「友達か……」と軽く溜息をついた。いつもこうだった。西田は人がいいというか、馬鹿というか、いつも自分の都合のいいようにしか考えない。その結果、いつも彼のデリケートな心は傷つくのだ。それに、アメリカ人にとって性的関係を持たない男女の関係は友達にしか過ぎないのだ。体と体が通じて心が始めて通いあうのだ。日本のように、心だけで通じあうことなど絶対ありえない。
「愛していないなら……」と口ごもった。
「何? 愛していないなら?」と不思議そうに見つめた。
目を見てはいけない。吸い込まれ虜になりそうだ。と咄嗟に思い、目をそむけた。
「愛していないなら、彼の前から消えてくれないか?」と言った。
「なぜ? 友達同士なのに」
「彼は女性に対し、免疫が出来ていないんだ。君は悪い人ではないが、……」
田中はサラを見た。意外なことに悲しげな表情はどこにもなかった。
「わたしもそう思っていたの」
「君も?」
サラはうなずいた。
「私も、心苦しかったの。彼からの贈り物が余り多くて。それなのに、体を求めるようなことが一つもなかったから」
やはりアメリカ人にとって、愛とセックスは同義語なのだ。
「彼と寝ていないのかい?」と田中が聞くと、サラは少し顔を赤らめ、首をゆっくりとふった。
田中は、サラの目を見た。あらためて「サラの目は美しくて神秘的だ。まるで深い井戸のようで底が見えない。不思議な力がある」と田中は思わざるをえなかった。
翌日のことだった。田中は同じ酒場で西田とまた会った。
「君は東京へ帰れ」
「夢が未だ完成していない」
「画家になる夢か……」と田中は呟いた。彼は思わず、「子供みたいな夢なんかドブにでも棄ててしまえ! 」と言いかけようとしたが止めた。
「君の両親は君のことをとても心配している。お母さんは心臓が悪く入院している。電話もなくてどうしているんだろうと心配している。……運よく僕が見つけ出したから良かったものの、君のお父さんは『あと二、三ヶ月、音沙汰がなければ警察に届ける』と言った。また『お母さんは悲しみのあまり死んでしまうかもしれない』とも言っていた。今すぐ帰れ、お母さんが殺したくなかったら」
田中は何事も素直にそのまま伝えることができなかった。いつも、自分に都合がいいように誇大に言う癖がある。西田も知っていたが、いざ、自分のことを言われると真に受けてしまう。西田の顔から涙が流れた。
「分かった。帰るよ」
「すぐに帰れ、荷物は俺が送り届けてやろう。サラには会うな。僕から言っておくよ」
「頼む。『君のことをずっと忘れない』と伝えてくれ」と涙を子供のようにボロボロとこぼした。
残念ながら、サラは西田ほど相手のことを思っていない。そのことを思うと、少し気の毒にも思った。
サラの部屋を田中が訪れたのは、それから三日後のことだった。
彼は薔薇の花束を抱えて訪れた。サラは下着が透けてみえるセクシーなシャツを着ていた。
「サラ、君の目は実に魅力的だ」
「それ、どういう意味かしら?」
「僕の心のラブレターと思ってもらってかまわない」と薔薇の花束を差し出した。
「ラブレター、随分、キザね。でも、嬉しいわ、部屋の中に上がって」と頬にくちづけをした。
田中は西田に比べて、スタイルも顔もいい。賢くて要領もいい。そのうえ女の扱いにもなれていた。そんな彼がサラを裸にするのに、たいして時間がかからなかった。