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ピザ宅配の坊や

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『ピザ宅配の坊や』

伊織家には三姉妹がいる。三十七歳の長女ケイコは独身。三十四歳の次女のワカコはドブネズミみたいな男と結婚。二十八歳の三女のショウコはイケメンと結婚するもののすぐに離婚してバツイチ。
三姉妹の父が死んだのは十年前。その五年後には母親も亡くなっている。伊織家の屋敷を守っているのは末のショウコ。近くに次女のワカコがドブネズミと一緒に暮らしていて、頻繁に行き来している。長女だけ離れたところで暮らしている。

 八月、三姉妹が揃う。
朝顔が咲き誇る庭に面した縁側で、スイカをかじりながらよもやま話に花を咲かせる。
「何だって! ショウコがピザ宅配の坊やに恋したって? 正気なの? いえ、違うわ。きっとそれはつまらない夢よ。そんな夢、成就するはずはないわよ。バカみたい。そんな夢、いつか覚めるわよ」とケイコが呆れるが、
ショウコは背中に羽が生えているみたいにウキウキしている。
「ところが、お姉さん、その坊やとつい最近デートしたの。いろんなところに行ったわ」ケイコは、「その宅配ピザの坊やは幾つなの?」
すかさずワカコが答える。「それが十九歳になったばかりの坊やよ。許せる。犯罪よ、犯罪!」
「ショウコ、あなた、正気なの! そんな未成年とオバサンが関係を持って。歳が違い過ぎる、不道徳と言われるわよ。悪夢よ。白昼夢というやつかも。どんな夢だって覚めるものよ。悪夢なら早く覚めるにこしたことはない。甘い夢だって、早く覚めた方がいいわよ。どっちみち長続きなんかしないはずだから。どんな夢であれ、早く覚めた方がいい。夢なんかそんなものよ」とケイコが諭すように言う。
「お姉さん、そんなこと、言う資格は、あなたにはない。あなたはいつも白馬の王子を求めていた。今もきっと待っているはずよ。だから独身でいるのでしょ? 永遠に現われない王子様なんかより、ずっとピザの坊やの方がまだマシだと思う」とワカコは笑う。
「悪かったわね。確かにあなたの言うとおりよ。でも、あんたみたいにドブネズミみたいな男と結婚するくらいなら、独身の方がはるかに幸せよ」
「それはどうかしら? 私の亭主は恰好悪いし、給料は少ないし、出世する見込みはまるでない。いつもご飯を食べながらオナラはする。どうしょうもない男だけど、一緒にいて安心なの。私だって亭主の悪気地は言えない。腹が出て、顔のほうれい線はどんなに化粧しても消せない。おかしいでしょ? 笑ってよ」とワカコ。
「何を自虐的になっているのよ。ちっとも面白くもない。」とケイコ。
「お姉さんたちはいつも口悪く、互いを罵り合って生きている。ときどき、呆れちゃう。そんな生活は送りたくない」
「よく言うわよ。あんた、前の亭主と別れるとき、散々、悪口を言ったわよ。聞いている私たちが呆れるくらい」とワカコ。
「早漏だとか言った」とケイコ。
「そんなことを言っていないわよ」
「役立たずとも言ったわ」とワカコ。
「どうして、そんなひどいことが言えるのよ」とショウコは泣き出しそうな顔をする。
「あら、分からないの? 姉妹だから言えるのよ。赤の他人だったら、口が裂けても言えない。そうでしょ、ワカコ?」とケイコが言うと、
ワカコはうなずく。
「でも、見かけは良い男だった」とケイコとため息をつく。
「俳優になれるくらい良い男だったわね」とワカコもため息をつく。
「でも、あちこちで女を作っていた。それだけなら、許せるけど、他の女を抱いているのに、私を抱けないと言ったとき、私は爆発した。『別れてやる!』と怒鳴った」
「慰謝料はたっぷり貰った?」とケイコ。
「三百万ほど貰った」とショウコ。
「十分じゃない。三年間の結婚生活で三百万なんて。貰い過ぎね」
「少ないくらいよ。だって、彼は逆玉になったから。お金持ちの性欲を持て余した三十七歳のオバサンなんかと結婚して、吐き気がするわ」とショウコが嫌そうに言う。
「三十七歳で性欲を持て余したら、吐き気がするというの。それは少し言い過ぎじゃない? 確かに女は年々、性欲が増してくるけど、ねえ、お姉さん?」とワカコはケイコを見ながらにやにやする。
「何を言いたいのか分からないけど……」とケイコがすました顔を言う。
「あら、お姉さん、知らないと思っているの? お姉さんがホストクラブを通っていること。オス牛のような精悍なホストに入れ込んでいるというのは、ショウコも知っているわよ」
「何を言っているのよ。単なる遊びよ。単なる遊び」とケイコ。
「単なる遊びか……単なる遊びで三十万もする時計を買ってやったり、香港に一緒に旅行したりするんだ。でも、あのホスト、間違っても白馬の王子じゃないわよね。あんなのと結婚したら、姉妹の縁切るからね」とワカコ。
「姉妹の縁を切る? 脅しているつもり? バカみたい。私がホストに入れ込み、ついには結婚する? 私を誰だと思っているのよ。日本を代表する一流企業の課長よ。それにふさわしい男以外一緒になるはずはないじゃないの。もっとも、お金目当てに結婚するのも、されるのも嫌いだけど」とケイコが言うと、
「それに一流大学の出身。家族介護が必要な親はなし。そうやって、どんどんハードルを高くして、そして誰もいなくなるのね。お姉さんの描くような白馬の王子はどこにもいないのよ。私みたいにありふれたドブネズミを選べばいいのに」とワカコは手を叩いて笑う。
「私がどんな男を選ぼうと勝手でしょ? それより、今日のテーマはショウコのピザ宅配の坊やのはずよ。ワカコは、そのピザ宅配坊やを見たの? イケメンなの?」
「びっくりするほどのイケメンよ。それに長身、何よりも独特の匂いがする」とショウコが代わって言う。
「匂い? 匂いって、どんな匂いよ」とケイコが身を乗り出して聞く。
「それがね。聞いて、お姉さん。彼はスポーツ万能で。テニススクールの講師をやっているようなの。それだけでは食えないからピザの宅配。暇さえあれば、テニスの練習しているせいかどうか分からないけど、ほんの少し汗の匂いがする。それがたまらなく、女の性欲を刺激するの」とショウコが嬉しそうに答える。
「そんな趣味があったの? 匂フェチなの?」とケイコが言うと、
「そんなのどうだっていいわ。彼にピザの宅配を頼んだの。三時に来るはずよ。先週、彼に頼んでおいたの」とワカコは平然と言う。
「三時!」とケイコとショウコが驚きの声を同時にあげる。
「どうして、そんな勝手な真似をするのよ」とショウコ、怒るふりをするが、嬉しい気持ちは抑えられない。
「あと二十分で三時じゃないの。化粧をしなくちゃ。それにこんなワンピースじゃ、いや。お姉さん、去年、置いていったドレスを借りていい?」とショウコ。
「良いけど、何を考えているのよ」とケイコは呆れる。

慌ててショウコは消える。二人の姉は白けた気分で取り残される。
「いいわよね。恋するって」とケイコはため息をつく。
「何を言っているのよ。姉さんだって、独身じゃない。恋をするのは自由なはずよ」
作品名:ピザ宅配の坊や 作家名:楡井英夫