雨つぶチャッピの冒険
雨つぶチャッピの冒険
「起きて!起きなさいっ!」
甲高い声がした。
夢からさめても、まだ夢の中にいるぼくは、瞳をあけるのさえためらった。
「こらっ!起きろ!」
声の主は少しばがり怒っているらしい。
ぼくはしかたなく瞳をひらいた。
ミルク色の綿毛のような温かい寝床に、ぼくは包まれていた。綿毛に触れると、ふわふわしていて柔らかくて、とても気持ちよかった。いつまでもそこにいたくて、起きたくなかった。
だけど、ぼくのそんな気持ちに関係なく、そいつはぼくの廻りで何かわめきながら、ぴょんぴょん跳ねまわりつづけた。
「あんたが、新しい弟ね」
弟? 何のことだか?ぼくはさっぱり訳がわからなかった。
声の出どころがやたらとせわしなく動きまわるものだから、誰が何に向かって話しているのかすらわからない。
「ママから、あんたのめんどう見るように言われたの」
「誰なの、キミ?」
たずねると、跳ねまわっていたものは、高いところでピタリと動きをとめた。
それはぼくと同じ、雨つぶだった。
「あたしの名前は、ルル・コロン。みんなからはルルって呼ばれてる。あんたのお姉さんよ。だからルル姉さんって呼んでもいいのよ」
「急に姉さんって言われても・・・」
「あたしだって、急に弟ができたって言われて戸惑ってるんだから、お互いさまでしょ」
ルルは高いところから、ぼくを見おろした。
「それでさ、ルル」
「いきなり呼び捨てかい!」
「いいじゃない、姉弟なんだし」
「まあ、いいか。それで、あんたの名前、何っていうの?」
「ぼくの名前?」
何だっけ?思いだせない。
「名前あるの?ないの?」
「わからない」
「もし、なかったら自分で考えなさい。メロとか、リコとか。あたしが考えてあげてもいいんだけど、ママに叱られるといけないから」
「そう言われても・・・」
「何か思いついた名前、言ってみて」
「チャパリオラット・コリンタスキノス」
「長いっ!」
「だって思いついたんだ」
「何それ?何かのおまじない?」
「チャパリオラット・・・」
「ストップ!わかった。それがあんたの名前だね。あたしもルルって短く呼ばれているから、あんたも短くするよ」
「じゃあ、チャパ?」
「チャパはダメ。チャパっていう名前の伝説の雨つぶがいるから。同じ名前はまぎらわしい。そうね・・・。チャッピはどうかしら。うんチャッピにしよう。チャッピね」
「チャッピ?」
ぼくは少しむずがゆさを感じた。でも笑顔でルルに答えた。
「チャッピでいいよ!」
というわけで、ぼくの名前はチャッピに決まった。
「行くよ、チャッピ」
「どこへ行くのさ、ルル?」
「空をとぶ訓練」
「空をとぶって、ぼく、空とべないし、空なんてとびたくないよ」
「あたしたち雨つぶは、空をとばなきゃならないの!」
「やだよ。ぼくはずっとここにいたいんだ。このふわふわの中に」
「いいこと、このふわふわはずっとここにあるわけじゃないの。知らない間にふっと消えてなくなるのよ。そしたら、あっという間にまっさかさまに落っこちてしまうの。わかる?だからその前に、とぶ訓練をしておかないといけないの」
「だって・・・」
「だってもさってもないの!さあ、行くよ!」
ぼくはルルに背中を押されて、ふわふわの中を転がった。
そしてふわふわの端に追いやられた。
端からそっと見おろすと、はるか下のほうに、山や川や野原や赤い屋根の家々が箱庭のように小さく見えた。
ぼくはガタガタ震えて、凍りつきそうになった。
「怖いよ」
「怖くない!」
「もしものときの、安全装置とかはないの?」
「そんなものはない!」
「だったらいやだよ。とびたくない」
「意気地なし!」
「意気地なしでいいよ」
「ダメっ!」
振り返ると、ルルがぼく目がけてすごい勢いで突進してきた。
「わあーっ!」
ぼくは突きとばされて、空中に放りだされた。
「瞳をあけなさい、チャッピ」
ルルに言われて、ぼくは薄眼をあけた。
落下しているようでもあり、とんでいるようでもあった。
「ルル、どこ?」
「ここ」
下から声がした。
ぼくは、ルルの背中に乗りかかっていたのだ。
「チャッピ、言い忘れていたことがあったの。とぶにあたっての三つの注意事項」
「ねぇ、ルル。ぼく、とんでるの?」
「あたしはとんでるけど、あんたはあたしにくっついて落ちてるだけ」
「そうなんだ。で、チューイジコーって何?」
「一回しか言わないから、よく覚えておくんだよ」
ルルは、遠くで黒々と渦をまくカミナリ雲を指さした。
「あれは、雷雲っていって・・・」
「ライウンって何?」
「あの黒くてモクモクした雲のこと。あのね、あんた重いんだから、いちいち質問しない!」
「だって・・・」
わからないから、きいただけなのに。
「あの中にいる雨つぶは、あたしたちと違う種類の雨つぶなの。あたしたちよりずっと大きくて、すごく乱暴で、相手かまわず噛みついてくる。危ないから、間違ってもあの中に入っちゃダメ。わかった?」
ぼくは、うなずいた。
ルルの言った「噛みついてくる」という言葉がなまなましくて、黒いモクモク雲が、まるで獲物をねらう恐竜の顔に見えた。
「ふたつめ、ヒコーキには気をつけること」
「”ヒコーキ”って何?」
「チャッピ、あんた何も知らないんだね。ヒコーキっていうのは、胴体の両側に大きな翼があって、その翼の下でエンジンがぐわんぐわんまわってて、鼻づらの丸いのだとか尖ったのだとか、いろいろあって・・・」
「ルル、もしかしてあれのこと?」
ぼくは、大きくひらいた恐竜の口の奥から、何かが吐き出されるのを見つめた。
雷雲を突き抜けて、銀色の機体がごう音とともに姿をあらわした。翼を広げて丸い鼻づらをこちらに向けた。
「そう、あれがヒコーキ。あれを見たら、とにかく逃げるの」
「どうやって逃げるのさ?」
「上でも下でも、とにかく・・・」
「ルル、きたよ!」
ヒコーキはまたたく間にぼくたちに迫ってきた。
エンジンのうなりが、「どけ、どけっ!」と叫んでいるようだった。
でもルルは逃げない。逃げられないのだ。
くっついているぼくのせいだ。逃げる方向が定まらないでいるのだ。
丸い鼻づらに衝突する寸前、ルルは身をひるがえした。そのとき、ぼくはルルの背中から振り落とされた。
何かにぶつかった。そして何かにはさまった。ヒコーキの翼の継ぎ目だった。
危うく体を交わしたルルは、そのまま遠ざかっていく。
「チャッピ!」
ぼくの声に気づいたルルは、猛烈な勢いでヒコーキを追いかけた。ようやくヒコーキに追いつくと、ハァハァと肩で息をした。
「何やってるのよ、チャッピ!あぁ、疲れた」
ルルは翼の上に倒れこむように寝ころんだ。
「だってルル、こっちのほうが楽だよ」
「あんたね、ヒコーキっていうのはハンパじゃなく遠くまでとんでいってしまうの。どこへ連れていかれるかわからないんだからね。それに・・・」
作品名:雨つぶチャッピの冒険 作家名:JAY-TA