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かいなに擁かれて 第三章

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『早くなんとか言えよ! バカにしているんだろう! 言えよ! 言ってみろよ!』
『ぐぅ……っ。うぅっ……』
 再び拳が浴びせられた。床に手をつき崩れる魅華を徹は見下ろしていた。
『なんなんだよ! え! 文句のひとつくらい言ってみろよ! バカじゃねーかお前は、それとも苛められて感じてるのかお前は、気持ち悪い女だな!』
 徹は罵声を浴びせると、床に付いた魅華の両手をにじる様に踏みつけた。
『やめて! 手、手だけはやめて! この手、手だけは……嫌! 手だけは絶対に嫌!』
 砕け散った食器が魅華の手のひらに食い込む。指から真紅の滴りがじわじわと床を染める。壮絶な絶叫の――叫びであった。
 魅華の叫びに徹は後ずさりした。
ぜえぜえと肩で荒い息をしながら、膝はがくがくと震えている。
唇は切れ、腫れあがった瞳に見上げられ、真紅に染められた床。
『オレは、オレは、あああああ――』
 魅華から後ずさり、リビングボードのウィスキーを喉元に垂れ溢しながら狂ったように飲み干すと、徹はその場に倒れた。

 ソファでぜいぜいと不規則な荒い息をしながら、寝入っている徹の顔を魅華はじっと見つめ、彼の傍に寄り添い座っていた。やがて荒い息遣いは整った呼吸となっていった。
 短く切り整えられた爪。真紅に染まった両手を徹の頬に添えた。
添えた両手が彼の頬から首筋に滑って落ちてゆく。
 首筋に両手を添えて、魅華は立ち上がった。
ゆっくりと両手に力を込める。温かい。なんて温かいのだろう――。
体重をかけ更に力を増してゆく。これでいいんだ。――これで。
過ぎた日の様々な想いが魅華の中を駆け巡っていった。
自分勝手で強引で、何時も夢だけしか見ていなかった徹。
渾身の力を込めようとした時だった。
音大時代、魅華が沈み落ちそうになっていたあの頃の彼の声が聞こえた。
『魅華は独りじゃない。オレがずっと傍にいてやるよ。お前が居ればオレも独りじゃない。オレはな、すきであの家の息子になった訳じゃない。オヤジのせいさ。オフクロはオヤジの元愛人さ。オフクロが生きてたらあんな家にもらわれはしなかったさ。だからオレはあの家を利用してやったんだ。オフクロに代わって復讐してやるんだ』
 穏やかな寝息をたてる徹の顔を見つめた。
 あまりにも穏やかな寝顔だった。穏やかに眠る彼の瞼に一筋の涙の跡があった。
 両手にはもう力は入らなかった。
作品名:かいなに擁かれて 第三章 作家名:ヒロ