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再び訪れる春

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『再び訪れる春』

北国では、夏が終わると秋が駆け足でやってくる。九月も半ばを過ぎると、涼しい風が吹く。そんなある日の午後、大きなイチョウの並木が両脇を飾るN駅前の通りを、アオイ・タロウは歳の離れた恋人のスギシタ・ミナを連れて歩いている。
突然、タロウが立ち止まり目の前の大きなイチョウの木をじっと見ていると、ミナが「どうしたの?」と声をかけた。
ミナとタロウとは親子ほど離れている。どんなに愛し合っても、埋めがたいものがあることを、彼はずっと前に気付いた。それが何かくるのか分からなかったが、越えられないもどかしさがあったが、いつしか埋めようとは思わなくなった。自分よりもはるかに若いミナに対して、怒ることも、叱ることもしなかった。彼の心の微妙に変化をミナは気づかずにいた。ただ優しいゆえに、いつも微笑んでいるのだと勘違いしている。
「どんなたくさんの葉をつけようと、イチョウの木は冬が来る前に丸裸となる」と呟くように言う。
当たり前のことだ。それをしみじみと言うのでミナはおかしくて微笑む。
「当たりの前のことでしょ?」
「当たり前のことだが、納得できない。納得できなくとも、その時がやってくる。どんな多くの知り合いや友人がいても、葉っぱのように少しずつ離れていく。気付くと誰も残っていない状態なる」と呟いた。
つい最近、彼は大切な友人と喧嘩をした。四十年続いた関係であったのに、互いに譲らず、しまいに絶交というところまでいった。
「みんな離れていくんだ。自分の元から」
彼は若い頃に妻を病気で亡くした。親も十年以上前に無くした。数少ない友人も喧嘩別れをした。本当に近い存在はもうミナしかいない。だが、ミナもガンを患ってしまったという。ひょっとしたら、自分よりも早くこの世を去るかもしれないという恐怖を感じていた。そうなったら、本当に誰もいなくなる。彼はイチョウの木に自分の運命をだぶらせ、運命の不条理さを噛みしめている。

一か月前のことである。夜、寝ているとき、何気なく「言わないといけないことがある。聞いてくれる?」とミナが呟いた。
「どうした?」
「病院で検査結果を聞いたら、やっぱりガンだと言われた」
タロウはミナがガン検査しなければいけないと告白したとき自分の方に寄ってきたと思った。前は歳が離れていても関係なく愛せた。が、この頃、老いを感じるようになり、同時に死も思うようになってから、どんなに体を重ねても依然のように素直に喜びを感じなくなった。むしろ若くて健康なミナを抱けば抱くほど、その年齢差を感じて苛立つようになった。だが、ミナがガンになったことによって、一歩近づいてきたと思ったのである。
「でも、それで良かった気がする」とミナが続ける。
「どうして良いのだ?」とタロウが聞いたら、
「だって私の方が先に死ねるかもしれないから」ミナと笑った。
三十になった彼女には、もう頼るべき近親者がいない。
「バカ。俺より先に死ぬのは許さない」
「どうして?」
「俺はもう見送るのは嫌だ」
「私も一人残されるのは嫌」
「まだ、生き延びろ。きっと良いことがあるはずだ。俺が死んだ後なら好きな男を作れば良い。俺の墓に気が向いたとき花を手向けてくれたらありがたい」
ミナは背を向けた。声を殺して泣いていたが、タロウは気づかぬふりをした。それが彼の優しさだった。

季節はやがて秋になった。気分転換のために旅行したいとミナが言ったので、旅行することにした。そこは、遠い昔、ミナが育った岩手の町である。母親と一緒に住んでいたアパートがどうなったか見たいと言った。
「行ってみないと分からない。もう残っていないかもしれない。直ぐに行く?」と寂しそうに言った。
「いや、時間はたっぷりある。まずはホテルにチェックインしよう」
ホテルについたのは午後四時。 チェックインした後、早目の夕食をとった。
「疲れただろ? アパートを探すのは明日にしよう」
ミナはうなずいた。
ダブルベッドで寄り添って寝た。
「私が死んだら、どうする?」とミナが聞いた。
「どうもしない。後を追ってすぐに死ぬさ」
「どうして?」
「もう十分生きた」と言って、すねた子供のように背を向けた。
ミナが体を摺り寄せてきた。
 翌日、二人で、ミナが母親と一緒に住んでいたアパートを探した。古い建物があったが、もう人が住んでいる気配がなく、周りは草だらけであった。まるで廃墟である。
「本当にここか?」
「よく分からないけど、ここであるような気がする」
 ミナは泣いていた。
 タロウはミナの悲しみが痛いほどわかった。タロウの生まれ育った家も地上にはない。のみならず、墓もない。大火で焼失し誰も再建しなかったからである。家がないということは、生まれたということを証明するものがないことを意味している。
泣くミナを抱きしめると、落ち葉が風に舞った。

 冬の終わり、海から押し寄せる強い風のせいでタロウの家を囲む木立が激しく揺れた日である。突然、タロウが倒れた。
救急車で病院に運ばれた。
傍ら看護するミナを医者が呼んだ。 戻ってきたミナは優しそうにタロウを見た。
「医者は何て言っていた?」
「たいしたことはないって」
「そうか」と呟いた。
タロウはもう死期が遠くないことを悟っていた。体中の血管が動脈硬化を起こしている。三年前にも心筋梗塞で倒れた。そのときもミナが献身的に看護した。ミナがいたから、彼はここまで生きてこられたと思っている。だが、それを口にしたことはない。
幾度、夜が過ぎたか、ふと、目を覚ますと、傍らでミナが泣いていた。
「泣くな。もう笑ってくれ。頼みたいことがある」
「何?」
「うん、一緒に故郷の海を見たい。一人で行く勇気がないんだ」

退院して数日経ち、二人は車でかつてタロウの実家があった千葉の港町に向かった。その日は冬にしては風もなく穏やかでまるで春のような日が差していた。
車を運転しながら、タロウが、「乳ガンになったというのは嘘だろ?」
「どうしてそんなことを言うの」
「この前、触ったとき、しこりはなかった」
ミナは笑った。
「嘘を言ってどうなるのよ。小さかったから、切除したの。手術は簡単だった」
「じゃ、ガンで死ぬ心配はないということだな」とタロウは嬉しそうに言った。
タロウにとって、嘘でも本当でも、どうでも良かった。ただ自分よりも長生きさえしてくれれば。

海辺に来た。
車を止め、波打ち際まで歩いた。目の前には突堤がある。
「タバコを吸いたいから、近くのコンビニで買ってきてくれないか」
ミナは一瞬、嫌な感じがした。
「本当に吸いたいの?」
タロウは首を振った。
「嘘だ。お前がいない間に海に飛び込もうと思った」
ミナは、「そんな勝手なことを許さない」と言った。
タロウは海を眺めながら言った。
「お前が戻ってきたとき、自分の姿はない。堤防の近くにコートがあり、手紙もある。翌日、死体が打ち上げられる。顔は微笑んでいるように見える。警察官が言う。実に穏やかな顔をしていますね、と言うんだ」とタロウは淡々と言った。
「そんなの嫌よ」と涙ながら訴える。
「分かった。嫌か。もう泣くな」
作品名:再び訪れる春 作家名:楡井英夫