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最後に言いたかったこと

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『最後に言いたかったこと』

 六月の半ば、東京の大学で教鞭をとるイマムラ・トオルに一通の手紙が届いた。かつての友人であるヨシカワ・コウジからである。大学を卒業して以来、ずっと疎遠の関係になっていた。それが突然の手紙である。
トオルはどきどきしながら読んだ。
『君が日本に帰ってきていることを風の便りで聞いた。僕の命はそう長くない。君がここ(A市)に来てくれることを僕は望んでいる。君に会って、ぜひ話したいことがある。僕の家に来てくれ』
 A市は長崎の海に面した町である。東京からは飛行機と列車を使って四時間くらいかかる。トオルはもともとA市に生まれ育ったが、十年前に母親が死んでから、A市に知り合いも縁者もいなかったので、訪れることもなくなっていた。
コウジから手紙を読み終えたとき、遠い記憶が呼び起こされた。

若い頃、トオルとコウジの二人は無二の親友といえるほど仲が良かった。
トオル、コウジ、それにニイムラ・ユキエの三人はA市で生まれ育った幼馴染である。ともに同じ東京の大学に進学した。トオルもコウジもユキエに心を寄せていて、ライバル関係であった。大学四年のとき、トオルとユキエは深い関係となり、ユキエはトオルの子を孕んでしまった。だが、二人は結婚することなく、ユキエは妊娠したまま故郷に帰った。トオルはユキエを捨てたのである。コウジはトオルを非難し、ユキエの後を追うように故郷へ戻った。あれから二十一年が過ぎたのである。 
 
手紙を受け取った数日後、トオルは羽田から朝の一番の飛行機に乗った。十時過ぎには福岡空港に着いた。さらに博多駅からA市行きの列車に乗った。
発車時刻間際に、白い帽子を被り、サングラスを掛けて、右手には黒い大きなボストンバックを持っていた若い女が慌てて乗りこんできた。窓際のトオルの隣の席に座ると、列車がそれにあわせたかのようにゆっくりと動き出した。
女はずっと過ぎゆく風景を眺めていた。浜辺の町を過ぎた。やがて、睡みの中に落ちた。列車の揺れにあわせるように頭が左右に大きく揺れた。その拍子に、帽子が床に落ちた。女の後に座っていた初老の男が、それを拾った。立って、女の頭に載せようとしたとき、女の膝がトオルの膝にぶつかった。女は慌てて起き、立っている初老の男の顔をみた。女がサングラスをはずし微笑んだ。二十歳前後だろう。長い髪に美しい大きな瞳をしている。
「きれいな帽子だね、お嬢さん。落ちたので拾いました」
初老の男はにこやかに白い帽子を手渡した。少したどたどしい日本語である。まるで外国人が喋ってみたいだ。女はそれがおかしくて笑みを浮かべ首を傾げた。
「ありがとう」と受け取り、帽子を頭に載せる。
「ところで、どちらまで?」と初老の男が尋ねると、
「A市まで」
「一人で?」
「ええ」
「私も同じです」と初老の男は微笑む。
「奇遇ですね」
「人生は、そんなところです。ところで東京から来たのから?」と初老の男はなおも尋ねる。
「いええ、違います」。
「旅行かな?」
「そんなところかしら」と女は一瞬顔を曇らせ、うつむいた。そこで二人の会話は終わった。
 トオルは早くも夏の予感させるような強い日が射す窓からずっと外を眺めていた。列車は海辺に沿って走る。青い海が光を集めて輝いている。
単調な風景に飽きたのが、トオルはいつしか眠りに落ちた。
目覚めると、女は消え、列車はA市の駅を通り過ぎていた。仕方なしに次の駅で降り、タクシーを拾った。一時間ほどで、ヨシカワ家の別荘に着いた。

ヨシカワ家はこの地方でも有数の山林王であり、同時に醸造酒造りの会社も経営しており、コウジは五代目である。ヨシカワ家の別荘は、海のそばに一軒、山の中にも一軒あるが、トオルが訪れた山の別荘は、山間にぽつんとある。
彼は学生の頃にも訪れたことがある。二十一年の歳月が過ぎても、なおも鮮やかに思い出が刻み込まれている。なぜならユキエと燃えるような恋をしたところだからである。
大正時代に建てられたもので、外からは何の変哲もない大きな木造の建築物だが、内部はなんと言ったらいいのか、西洋的ものも、オリエント的なものも複雑に混じっておよそ日本的ものとは大きくかけ離れたつくりとなっている。

タクシーを降りると、玄関先でコウジと執事フジイが出迎えてくれた。駅を降りたときに事前に伝えておいたのである。
コウジが恐ろしくやせ衰えていることに、トオルは驚きを隠せなかった。コウジが、それを察して理由を言った。
「手紙に書いたとおりだ。不治の病にかかっている。もう先が長くない。病院に入って死を迎えるより自分の家で死に迎えたいと思っている」と淡々と語った。
執事が中庭に面した二階の部屋にトオルを案内した。
「何も変わっていないね」
「ええ、何も。ただ世の中がずいぶんと変わりました」
「建てられてどのくらい建つかな?」
「百年、いや九十五年くらいかな、……正確には存じませんが」
「古い家だ。……時間が止まったみたいな錯覚を覚えるよ」
中庭を眺めた。木立の合間の古い池にあり睡蓮の花が咲いている。鏡のような水面は夏のような青空をまぶしく映している。時折、白い雲が軽やかな足取りでその上を過ぎていく。
「こんな青空は前にも見たことがある」とトオルは呟くように言った。
 二十一年前、同じように晴れた日、ユキエと二人で、池に映る青空を見た時の同じ青だったのである。同じ部屋だった。トオルはユキエと愛を語りあっていた。池に映る青空を見て、ユキエが、「水の中にもう一つの世界があるようだ」と言った……。
執事は何も聞こえなかったように、「それでは、私はこれで失礼します」と言うと、最敬礼して部屋を出た。
 
しばらくして、コウジが入ってきた。
コウジは椅子に腰掛けると、学生時代の話をした。時折、笑みを浮かべた。トオルもそれにつられて笑みを浮かべた。
「二十年ぶりかな」とコウジは言った。
「いや正確に言えば二十一年ぶりだ。ところで何をやっている?」
トオルは懐かしさを隠さなかった。コウジがかつての恋敵であったことなど、すっかり忘れているかのような口ぶりである。
「何もやっていないさ。今は病気だ。何もできないさ」
「ずっと別荘暮らしか?」
「それに近い生活だ」
ピアノの音が流れてきた。二人の話を中断した。ジャズの曲だった。どこか陽気でどこか物悲しい。そんな曲だ。
コウジは突然視線をそらし窓の方に目をやった。彼の昔から癖で、ふいに自分の世界に入ってしまうのだ。どんな話をしようと自分の世界に入る。それにあわせて、どこかこの地上に存在しない遙かかなたを観ているような不思議な眼をする。
「ピアノを弾いているのは君のお嬢さんか?」
「ああ、妻の忘れ形見さ」と少し苦笑まじりに言った。
 妻の忘れ形見? 自分の子供なのに、妙な言い方をするものだとトオルは思った。
「タバコを吸っていいか?」とトオルは聞くと、
「かまわない。灰皿ならテーブルの上になる」
「ありがとう」
トオルはタバコを取り出して火をつけた。
「ゆっくりしていてくれるんだろ?」
「そんなに長居はできない」
「もう、君が教授の一歩手前まできているという話を聞いたぞ」
「誰から?」
「タナカさ」と言葉を詰まらせた。