満たされぬ心
ミーナは風呂から上がると、裏庭に面した部屋に通された。布団がすでに敷いてあった。部屋の灯火は少し暗かった。ミーナはカーテンを開けると、そこから近くの背後に迫った山の木立が鬱蒼と茂っているのが見えた。その上に白い月があった。この世のものとは思えないような美しい月が出ている
同じように入浴を済ませた東山が部屋に入って来た。東山の顔を見たとき、ミーナはまるで他人ごとのように、もうすぐ抱かれると予感していた。
東山が部屋の明かりをさらに暗くして、ミーナに近づいた。何も語らず抱き寄せ、その浴衣の帯をほどいた。決して乱暴ということはなかったが、かといって丁寧ということもなかった。女の扱いに慣れた、たくさんの女を己の思いどおりにしてきた男というものを感じさせた。裸にしたミーナをゆっくりと布団の上に倒すと、その足を広げ、己の体をしずめた。
ふいにミーナは眼を少し開けた。窓から月の光が射し込んでいることに気づいたのである。何かしら恥ずかしい思いを感じて、足を閉じようとしたが、男の体が邪魔した。
東山が「どうかしたか?」と聞いた。
「何でもないわ」と呟いた。
ミーナは再び眼を閉じた。執拗な愛撫がまるで不思議な感覚で脳裡を通り過ぎてゆく。くちづけをしようとした。ミーナは小声で「キスはいや」と言った。それでも迫ってきたので、もう一度、「いや」と繰り返すと、東山は諦めた。ミーナは本当に恋した相手としかキスをしない主義だったである。
キスなどどうでも良かった東山は体をさらに重ね動物のように激しく腰を振り、あっという間に果てた。ミーナは東山の顔を見た。暗闇の中でも、欲望を満たした滑稽な顔が分かった。やがて、東山は体を離した。しばらくして寝息を立て眠った。ミーナもつられるように浅い眠りに入った。
月明かりが眩しいと感じた時、ミーナは目をさました。
身を起こし、側にあった浴衣を着て、静かに窓を開けた。涼しげな風が頬をなぶった。
「どうしたのだ、ミーナ?」
東山もいつしか眼を覚ましたらしい。
「眼を覚ましたの?」
「もう一度やるかい? 夜は長い……」
なんという無神経な男だろう! ミーナの心の中は怒りが爆発しそうであった。しかし、もう小娘ではない。
「よしましょう」とにっこりと微笑み、
「もう少し、月を見ていたいの」
東山は残念そうにまた眠りについた。彼は、妻子がありながら、女から女へと渡り歩くのが生きがいの実に下らない男だったが、ミーナは勝手にセックスがうまい男と思っていた。優しく抱かれれば、田村と過ごした空虚な日々を一日も早く忘れることができると思ったが大きな間違いだった。田村の方がはるかにうまかったのである。
ミーナはなおも月を眺めていた。美しい光で庭を染めていた。こんな美しい月夜は二度と巡り合えない気がした。子供頃、夏の夜、父の故郷の村の社の月の美しさを思い出し、自然と涙がこぼれてきた。幼い頃の満ち足りた日々はもう過去のものなのだろうか? と自問した。何かが間違っていた。その何かが少し分かりかけたような気がしたとき、東山から離れるようと思った。昔のあの社を訪ねるのも良いかなと思った。