’50sブルース 延暦寺の階段、大原の桜
三千院には細い道を登ってゆくのだが、雨の中歩きたくないのと、もう何回も来たことある美佳子に、また、わざわざ昔を思い出させることもないだろうと達郎は「ここで引き返そうか」と言った。
「なんかコーヒーでも飲まない?」美佳子が聞いた。
「いいね」達郎は慎重に細い道を抜けると大通りに出た。下りたそばにコンビニがあった。
「たっちゃん、見て!あの桜。枝垂れ桜。きれいっ!」
桜はコンビニの駐車場の一角に、場違いなほど明るく綺麗に咲き乱れていた。満開の桜だった。コーヒーを飲みながら達郎が休んでいるところをまた美佳子は写真に撮った。
桜の下で私の好きな男がぼんやりしてる・・・美佳子は写真にタイトルを付けるかのように独り言を言った。達郎は先ほどの私の過去の話し、本当に気にしてないんだろうか?不安が横切る。
その日の夜は京都市内のホテルに泊まった。
雨の中、達郎と京都のホテルに入るのは二度目だ。
そう一回目はお互い都合のいい男と女を演じた初めての夜だ。
初めて出会って、その日に達郎とホテルに入った。今、考えればなんて大胆な私だろう。だけど、あの時があるから今がある。
でも達郎は本当に私を愛してくれてるんだろうか・・・美佳子は過去に通りすぎた男たちの優柔不断さが気になり、まさか今も都合のいい女で達郎にあしらわれているのではないだろうかと、一抹の不安を覚えた。
ホテルの夜は普段より優しい達郎がいた。もしかしたら明日、彼が帰るから今夜が最後になるかもしれない。不安を抱きながら美佳子は達郎の優しさに抱かれた。
翌日は嵐山パークウェイをドライブした。
そしてとうとう帰る時間になった。彼が飛行機で飛んで行く。
夕方近くに達郎達は美佳子が住む町の駅に到着した。達郎はここから空港へ向かう。
達郎はいつもの様に後部座席から自分の荷物を取り、いつもの様に美佳子に手を振り軽くバイバイした。美佳子はというといつもと違った気分で見送っていた。
車の中でいろんな自分の過去を話した。達郎は笑って聞いていたけど・・・。また不安がもたげる。今回の旅行はいつもと違った。いろんなことを話しあった。どうなるかわからないけど、希望の未来の姿も二人で話した。美佳子はいつも以上の淋しさで達郎をバックミラーで追いかけていた。
それから、一時間後、達郎からラインが入る。
「実は、まだ帰ってないんだ」
「なんで?」
「なんだかまだ、お前といたくて・・・駅前で飲んでいる」
「どこにいるの?」
「名前は知らないけど安い居酒屋。一人で飲んでる。もう、結構飲んだかも・・」
「帰らないの?」
「帰るのは明日でもいい。もう一度会わないか?会いたいんだ!」
美佳子は胸の奥が熱い矢で射抜かれた気がした。心臓の鼓動が早打ちする。
たっちゃん・・・美佳子は延暦寺の霧の中の階段を一人で淋しそうに上る達郎を思い出した。
「ばかやね、たっちゃん・・・私は逃げないよ。ずっとそばにいるよ」
「あ~、お前ならそうすると知ってる。好きだよ美佳子」
「すぐ行くから待ってて」
「ずっと待ってるから・・・お前が来るまで」
美佳子は自宅の駐車場にいれた車を再び、達郎をつかまえるため発車させた。
そしてフロントガラスに貼り付いてた、ピンクの桜の花びらに気がついた。
「あっ、大原の桜・・・」
美佳子は青春時代を過ごした、温かで切なかった大好きな場所を再び思い出した。
(完)
作品名:’50sブルース 延暦寺の階段、大原の桜 作家名:海野ごはん