発見
そこからは、アテもなく夜の街をぶらぶらと歩いた。元々何の予定も無かったんだ。そんな時に外に出ても、行き先は見つからない。誰か一緒に遊ぼうと、声をかけるような質でもないし、呼び出せる相手もいない。気付けば、橋の上から鴨川のデルタを見下ろしていた。さすがといえばさすがだが、日付変更線が見えつつある時間帯でも通りには人も車も行きかっている。
「何しとんの、そんなとこで。鴨川に身投げでもするん?」
「…何か用か」
夜の闇の中でも、大通りなら橋の上でも街灯は煌々と辺りを照らしている。ここもそうで。今俺の目の前でにこにこと笑っている奴の顔は、苦労せずに拝む事ができる。だぼだぼのパーカーの上からコートを羽織って、マフラーは巻いているけど鼻先は真っ赤になっている。とぼけた雰囲気のこいつは、いつぞやのイベントで声をかけられたあいつだ。
「こんな時にこんな場所で、橋から身ぃ乗り出さんばかりに下見とる知り合いがおったら、声かけたくなってなぁ」
「…あんた、暇なのか」
「それはお互い様とちゃう?それに、『あんた』やあらへん」
「んな事言われても、俺はお前の名前知らねぇけど。それに、あんたと俺は知り合いでも何でもない。…赤の他人の事なんて、どうでもいいだろ」
「そりゃまぁ…そうなんやけど。せやけど、君は俺にとっちゃほんまの赤の他人やあらへん。会った事も話した事もあらへん相手やったら、俺かてこんな事せぇへん」
「とは言っても、俺らの接点って、たまたま学園祭の時にゲーム上でやり合ったってだけじゃねぇか。知り合いと呼ぶにしては、接点無さすぎだと思うが。むしろ、よくその一回だけで俺の事を覚えたな」
いつもならたった一回きりの接点しかない奴の顔なんて、特徴なんて覚えていない。だから、もしどこかで会ったとしても気付かない。その他大勢、赤の他人と同じ場所に振り分けられるから。もし万が一覚えていたとしても、すれ違ったとしても、無視するだけ。声かけられても、知らない他人のふりをすればいいだけ。向こうだって、普通なら俺の事なんて覚えてない筈だ。
ただ、今のこの会話の流れだと、俺だけじゃなく、向こうもこっちの事を覚えているらしい。…俺の自意識過剰じゃなければ、の話だが。
「んー、でも俺、あん時よりも前に君におぅてるで。話した訳でもないし、会っているというよりかは同じ空間におったっていう方が正しいけど」
「…いつの事だ」
「俺らが大学入ってすぐの頃や。…ほら、『新入生に挑戦!』、やったか?何かイベントあったやろ。それの景品貰いに行った時に、ちょっとしてから入ってきたのが君やったんや。…気ぃ付いてへんかった?」
あの時、俺が部屋に入った時こいつは嬉々として問題に取り組んでいた筈だ。なのに、俺の事に気付いて、なおかつ覚えていたというのか?
「…あぁ。確か、パズルと推理は似たり寄ったりだ、みたいな事言ってなかったか?」
「んー。はしゃいでいてよう覚えてへんけど、もしかしたら言うてたかもしれへんなぁ。…それがどうかした?」
「…いや。何でもない」
「それに、君の事は俺んとこの学部でも割と有名やったんや。せやから、直接おぅた事があんま無くても、君の事は知ってたんや。せやなかったら、あの舞台袖で声かけるなんて事も、せぇへん」
見てくれえぇし、頭えぇし、新歓のイベントで俺と並んで大穴ぶち抜いたし。と、俺には自覚が無くても目立つ要素は一杯あるんだと、指折り数えて勘定された。
「でも、噂をよく聞くぐらいで直接の接点が無い事に変わりはないだろ?しかもそれだと、お前は俺を知っているけど俺はお前を知らないって訳だ。一方的な認知でしかない状態で、よく接触しようと思ったな」
「…君に興味が湧いた、って言うたら、やっぱ迷惑か?」
「……は?」
我ながら、よくもまぁポカンとしたアホ面で、素っ頓狂な声でこんな間抜けな反応をしたもんだ。いつもなら、例えこんな事を言われても無視するか相手を馬鹿にしているか、そんな反応しかしない。自分の動揺を表に出すような真似はしないのに。
…なんでかなぁ。
「誤解されたら困るから断っとくけど、何も恋愛対象という意味で興味持ったんやないで!そこだけは声を大にして言うけど!」
間を空けて返された俺の返事をどう思ったのか、本当にまくし立てる勢いで、慌てた様子で主張してきた。慌てたからか、声が必要以上に大きくて近くにいた人が視線だけでこっちに目を向けてきた。お陰で、今度は俺が慌てなけりゃならなかった。
「何も本当に大きな声で言わなくてもいいだろ!…ちょっと場所移すぞ!」
こんなのを知り合いに見られたら、それこそ誤解されてあらぬ疑いをかけられてしまうだろうな。
そんな事をぼんやりと思ったが、俺は相手の手首を掴むと川岸へと降りる坂道を駆けていった。夏場になれば水遊びする子供で賑わうデルタも、こんな夜、しかも冬場だと真っ暗で誰もいない。足元は少し心許ないけど、スマホの液晶を明かり代わりにすれば問題ない。
「ちょ、待って、君足早い!それと、手首痛いって!」
「…わりぃ」
「んもー、びっくりしたがな。走るなら走るて言ってやぁ」
パッと離した手には、赤い跡なんかは残っていなかった。でも力を入れすぎていたのか、びっくりしたなぁもう、と言いつつあいつはそこをさすっていた。
「あんたがあんな事言うからだろ。…まぁ、いきなり引っ張った俺も悪かったけど」
「確かに、いきなり引っ張ってかれてびっくりしたけど。…俺も紛らわしい事言うて、ゴメン。それと、俺は『あんた』やあらへん。藍沢真や。マコトは、真実の「真」やな。新選組のやあらへんで。学校は君と同じやけど、学部は文学部。そっちは?」
「園田実。ミノルは、果実の「実」だな。社学にいる。…まぁ、なんだ。よろしく」
「よろしーね~」
にっこりと、それでいてふんわりと笑う顔は、女子みたいな営業用にわざと作った笑顔と違って、見ていて気持ちのいいものだった。
これが、俺と藍沢との出会いだった。
「…それよりも、本当に暇で俺に声かけたのか?」
「だって…。君、ほんまに所在なさげにしとったんやで?ポツンと、一人だけ孤立してもうたみたいに。無表情やったけど、なんかちょっと寂しそうやったし。…迷惑やったかな」
後に当時の事が話題に上がった時に聞いてみたら、こんな風に返事が返ってきた。迷惑じゃなかったよ、と当時の俺では決して素直には言えなかった言葉を伝えれば、いつもみたいにほんわかとした日だまりのような笑みが浮かぶ。
この微笑みを見るたびに思うんだ。
お前に見つけてもらえて良かった、と。