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みやこたまち
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インタルジア -受胎告知―

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pie.1 思い出をせがむ娘



一日目

 磨硝子に砕け散る初日が枕辺を晴れがましく照らしている。これからの三日間は、ただ一人でこの身体と対峙しなければならないのだと思うだけで、全身に疼痛が走る。

 点滴、溲瓶、急須、飲み差しの湯飲み、束ねた新聞、レポート用紙、雑巾、リモコンなどが皆、私の方を向いている。シーツの皺と足裏の汗とが不快感を増大させる。寝たままでは絶対に手が届かない位置にぶら下がっている緊急コールボタンが、単調な緑色のパルスを発している。

 一人の娘が、どうした因果か私の世話を焼いてくれるようになってから、どうも私の身体機能は、加速度的に衰え始めていたようだ。いや、それは彼女の咎ではなかった。

 壮大な夕暮れが天辺を紅蓮に染め上げ、山々から風に乗り、降り積もった紅葉が、青墨色の地表に塗り込められている。そんな折、彼女は玄関扉をそっと開いた。私は電灯を点ける習慣すら失っており、訪れる人のある事など夢想だにしておらず、「やっと迎えが来た」などと捨鉢な理屈をつけて蒲団にしがみついていた。

「ごめんください。センターから参りました、杉原美薗といいます。これから私が岸田さんを担当いたしますので、どうぞ宜しくお願いします」

 いきなり枕辺にしゃがみこんでこう言われた時の驚きと、私の運命を愚弄するかのごとき黒幕の存在を詮索したくなる程の情けなさとは、ひとえに彼女の若々しさと美しさとに起因していたのだろう。私はあまりにも惨めだった。

「私の世話など、誰がしろと言ったのですか。私は誰にも頼んでいないし、大体どうしてあなたのような若い女性が、こんな所へいらっしゃるのです?」

 今思えば失礼な言い草だった。だが彼女は室内を一通り見渡して、まず蛍光灯の紐を引っ張り、明滅を繰り返す蛍光管のサイズを手早くメモすると、私の顔を真上から覗き込んで口元を緩めた。

「ボランティアなんです。私はこういうお仕事がしたくて、大学の方が落ち着いたので漸く登録する事が出来たんです。何でも仰ってください。岸田さんはしっかりとなさっていらっしゃるから、少し安心しました。色々とセンターの方々の話を聞いているとやっぱり不安になってきてしまって……。初めての担当が岸田さんみたいな人で、良かったです」

 独居者がいる事を草の根的に探知して、善意のみを動機として介護者を派遣するシステムがあるという事を、私は全く知らなかった。 だが彼女がエプロンをして、部屋の片づけやら、引き出しの中身の確認などをする働きぶりを眺めているうちに、そんなものがあってもよいのではないか、と思われてきたのだった。

 よしんば、なんらかの犯罪を画策していたとしても、私から奪える物など何一つない。この命ですら惜しむつもりは無いのだ。若く聡明な美薗が、定刻に私の世話を焼きに来るなど、望外の幸せでなくてなんであろう。以来、私は彼女についてのあらゆる詮索を放棄した。

 この厄介物と四六時中同じ空気を吸っているだけでも苦痛だろうに、汚れた身体を隈無く清めてくれ、三度の食事の支度もしてくれ、掃除、洗濯までやってくれるのは、生半可な覚悟とも思われない。

 社会的には死んでいるのも同然の私と、これから様々な経験を積まねばならない娘との半同棲的生活は、かれこれ三カ月になろうとしていた。

 彼女の若さが、こんな時間の浪費を許容しているのだろうと考える時、私は彼女に対する責任を痛感せずにはいられなかった。時間は、思っている以上に少ないものだ。人が一生で経験出来る事柄など、意外な程ささやかな物でしかない。

 だが彼女はそういう私の口に生温い水を含ませ、首筋を伝う水滴を優しく拭って微笑むだけだ。何とも済まないと思う反面、この若い娘の人生を蹂躙する快感を、私は確かに感じていた。

 だがやはり、私は彼女に何らかの充足を与えているのに違いない。たとえ私の境遇に同情して、慰謝を与える事に悦びを感じているのだとしても、それで彼女が満足できるのならば、私は喜んでその憐れみを受けようと思うのである。朽ちた身体と曇った眼が彼女に面倒を掛ける事それ自体を、おそらく彼女は楽しんでいるのだろう。

 そうだ。私が彼女の為に役だっていると確信出来る事が、ただ一つだけあった。

 美薗は私の思い出話をせがむのである。彼女が来るようになって一月程が過ぎたある午後の出来事が、そのきっかけだった。