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からっ風と、繭の郷の子守唄 第96話~100話

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 しかし、実はすでに、康平の動揺は一瞬にしてピークに達している。
何気なく美和子が言い放った一言を、康平は、真正面からキャッチしていた。

 (たしかに、そんな風に言ったよなぁ。美和子はいま。
 『あなたの子供が産みたかった』って。
 どういうことだ。どう言う意味だ、それって一体。
 落ち着け、とにかく落ち着け。慎重に受け止めろよ、康平。)

 美和子は涼しい顔をしたまま、ハンカチで頬へ風を送っている。
幸平の視線も表の通りから、戻ってこない。
お互いの想いが交錯したまま、2人のあいだから会話が途切れてしまう。
気まずい沈黙の時間が、静かに流れていく。


 (あらぁ・・・・
 気まずい雰囲気が、立ち込めてきました。
 やっぱり私は迂闊です。
 こんな時に、こんな状態だというのに、心に秘めてきた本音を
 ついに漏らしてしまいました。
 5ヶ月目の妊婦から、いまさら告白されたところで時間は元に戻りません。
 もう完璧に、『あとの祭り』です。
 あたしの中に住んでいる悪魔が、やっぱり、康平と千尋に嫉妬しています。
 康平を困らせているくせに、どこかで喜んでいるあたしがいます・・・・
 お腹のこの子に叱られそうです。
 お母さんは根っからの意地悪だって、うふふっ)

 美和子が、冷静でいられるのには訳がある。
DV亭主との離別を、すでに決意しているからだ。
DV亭主との出会いは、高崎市にある繁華街、柳川(やながわ)町。
『夜の糸ぐるま』のキャンペーンを始めた頃、東京で一度だけ有ったことの
ある演歌師と、偶然、夜の街で再会する。

 懐かしさも有り、何度か食事に誘われる。
ごく自然のなりゆきのまま、やがて一緒に酒を飲む仲になる。
そのうちに、どちらからともなく男女の関係になる。
男の優しさに、上手に惑わされたこともあるが、美和子の中に、
先の見えない作詞活動への不安が有ったからだ。

 同棲がはじまってからの最初の1年は、きわめて平穏だった。
貧しいなりに、楽しい日々がつづいた。
しかし。2年目に入った春。亭主が豹変を見せる。

 それは電話で呼びだされ、泥酔して帰ってきた日の晩からはじまった。
亭主は、思いつめたような顔で帰ってきた。
何が有ったのかはわからない。
普段なら笑って聞き流す美和子の言葉を、『反抗的で、生意気だ』と、
頭から決めつける。
突然。激しい衝撃が美和子の頬を走る。

 生まれて初めて受ける、男性からの暴力だ。
罵(ののし)りの醜い言葉が、洪水のように亭主の口から飛んでくる。
加減することを知らない男の拳が、美和子の全身に激しい痛みをくわえる。
打ちのめされた美和子が、眠れない夜を過ごす。

 しかし次朝。予定外の方向へ事態が展開していく。
正気にかえった亭主が、心の底から改心の様子をみせる。
生々しい傷が残ったままの美和子を、やさしくそっと抱き寄せる。
その姿は、昨夜となまったく別人だ。
髪に触れ、頬を愛撫しながら心の底から、いたわりの言葉を吐く。
『2度としないから、2度と殴らないから俺を許してくれ』
という言葉が涙とともに、美和子の耳元で繰りかえされる。

 改心した亭主の態度に、美和子の心がゆるむ。
しかしDVは止まらない。
その後何度にもわたって発生し、そのたびに美和子の心が深く傷つく。
しかし。暴力をふるったあと、男はまったくの別人に変る
底なしといえる優しいで、傷ついた美和子をいたわる。

 DVは、あやしい電話がかかってくるたび、決まって繰り返される。
亭主の背後に潜む危険な存在を、美和子が見つけ出したのは、
妊娠する1年あまり前のことだ。
DVにも慣れ、『私が我慢をすれば、それで済むことだ』
とあきらめている自分がいる。
いつかは変わるであろうという、淡い期待を持っている。
秋も深まり、日に日に寒さが進み、冬用の布団を準備しようとして、
押し入れを開けた時、それは発見された。