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さあ、一緒に踊りましょう

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『さあ、一緒に踊りましょう』

四月も半ば過ぎのことである。サトミは幼馴染のレイに呼ばれて彼女のアパートを訪ねることになった。その日は朝から雲行きが怪しかった。雲がまるで奔馬のように空をかけていた。そんな雲行きを心配しながら、サトミは隣町に住むレイを訪ねることなった。
レイが暮すアパートは、海に近い郊外にあり、緩やかな坂の上にある。レイが借りている部屋は二階の角である。部屋から坂に沿った緑豊かな街並みが一望できるが、レイはその眺望が気に入っている。週末は部屋で一人、外を眺めながら、コーヒーを飲み、ぼんやりと過ごす。だが、今日は一人でぼんやりと過ごさすに、サトミを呼んだ。相談したいことがあったから来てもらったのである。それに引っ越しをしてから、一度も部屋に呼んだことがなかったので、この機会に、見てもらうかとも思ったのである。
サトミが来てから一時間が過ぎる。相変わらず二人は窓辺でコーヒーを飲みながら話し込んでいる。相手に気兼ねをしない恰好で話をする二人は、仲の良い二匹の猫のように寛ぎながら、程よい距離を保っている。時折、開けられた窓から春の爽やかな風が入り込み、雑誌が捲れる音や、カーテンが揺れる音などをたてるが、二人の会話を遮るうるさくはない。
サトミとレイ、どちらも美人である。知的なサトミに対して、レイは実に色っぽい。小さい頃から医者になるということを運命づけられて育ったサトミに対して、レイは自由気ままに生きてきた。女子大を出た後、パン屋、洋裁屋、料理屋と転々と仕事を変えた。二十九歳のとき、ちょうど働くことが面倒くさいと思っていた時、二人の男から結婚を申し込まれた。一人は恰好ばかり気にするハンサムボーイのK。もう一人は不細工な顔(レイはそう言っているが、傍からみれば普通の顔である)のジャガイモ君である。レイは何の迷いもなしにKと結婚した。しかし、これが大失敗だった。結婚半年で浮気された挙句に、「お前が嫌いになった。離婚しよう」と言われたである。Kは慰謝料を払わないばかりか、反対に「お前はくず女だ。料理もできない。掃除もできない。ろくでなしだ。結婚してやっただけでもありがたいと思え」とケイに離婚届けを投げつけたのである。離婚した後、独りぼっちの夜を過ごしたが、その時、あらためてジャガイモ君の優しさを思い出し、よりを戻したいと考えたのである。彼なら、Kと違って優しくしてくれるだろうし、夜の寂しさも忘れさせてくれだろうとも考えた。だが、それがいかに虫の良い話か、レイ自身、分からぬわけではなかった。
レイとは正反対の生き方をしているサトミには、泥臭い人生経験がない。朝六時に起きて、七時に母親が作った朝食を食べ、七時半には家を出て、八時二十分に病院に入る。決められた仕事を決められたどおりにこなす。余計なことは一切しない。家に帰れば夕食はできている。着替えも箪笥の中に仕舞ってあり、洗濯物は駕籠の中に入れておけば、翌日の夕方までには母親が洗濯をしてくれる。まるでベルトコンベヤーに乗せられたものを処理するような日々である。おかげで貯蓄も十分あるが、全くの温室育ちで世間の厳しさを知らない。恋の経験も人並みにあるが、どこか打算的でいい加減なものだった。強引に迫られることもなければ、ドラマのような恋の告白もない。男と一緒に遊びに行っても、羽目を外すような真似はしない。そんなサトミはレイに対して複雑な思いを抱いている。羨望と嫉妬と軽蔑が入り混じった複雑な思いである。無論、そんなことをおくびにも出さないが。
「なかなか素敵な部屋だということは分かった。外の景色もきれいだわ。でも、そろそろ、本題に入ろうよ。今日は何の話で呼ばれたのかしら? まさか部屋を自慢するために呼んだわけじゃないでしょ?」
 サトミはニコリともしない。
「いつも、そうよね。冷ややかなものの言い方をする」とレイは不満そうに言う。
「相談したいというから来たのよ。もう一時間は経っている。本題に入っても悪くはないと思うけど?」とサトミは微笑む。
 レイは視線をそらし窓の外を見る。それにつられてサトミも外を見る。やはり心配したように今にも嵐が来そうな空模様になっている。
「そうだよね。私もそう思っていたけど、なかなか言い出せなくて……。でも、言う。実をいうと、またジャガイモ君とやり直したいと思って……それを相談したかったの」
「レイ、本気で言っているの? 本当にジャガイモ君とよりを戻したいの? あんなに罵倒したのに」とサトミが呆れたように言う。
「あのときは、頭が少しおかしかった」とレイが言い訳をする。
「仮に、そうだとしても、ジャガイモ君はきっと深く傷ついたはずよ。トラウマにもなっているかもしれない。間違いなく、あなたとよりを戻すなんてありえないと思う」
サトミは明らかにいらだっている。それはレイに対してではない。怒りは、人生の傍観者である自分に向けられている。賢くて何もしない。何もしないからノーリスク。ノーリスクだから、日々、安穏と暮らしていけるだけ。そんな自分にいらだっている。反対にレイは失敗だらけの人生だが、いつもドラマチックな人生を歩んでいる。過去を引きずり、未来をぐちゃぐちゃにしている愚かな女でもあるが、ドラマチックな人生がある。二十九歳で結婚するが、すぐに離婚し、今は独り。三十一になっても貯蓄は僅かで定職もない。不幸な人生と言えなくもないが、いつも先の読めないドラマがあり、人生という舞台で汗を流して踊っている。そんなレイを観客席から眺めている。傍観者として幾分の羨望を交えながら。
「相変わらずズバズバと言うよね。そんなところが好きだけど」とレイは微笑んだ。
「あなたは、ジャガイモ君を不細工な顔だと言って笑った。『私に結婚を申し込むなんて、百年早い』と罵った」
「言い過ぎたと思っている」
「言い過ぎ? あれは絶縁状みたいなものよ。よく舌の根も乾かないうちによりを戻したいなんて思えるわね」
 サトミの良い所は遠慮なく言うことだが、それは人生経験に基づいているわけではない。ただ単に相手を慮る気持ちが欠落しているせいで、思いつくままに言っているに過ぎない。それをレイは自分のためにあえて厳しく言っているのだと勘違いしている。
「本当にだめかしら? 私の未来はもう無い?」とレイは泣き出しそうな顔をする。
「そんなつもりで言ったわけじゃない。でも、だめだと思う。よりを戻したいなんて」とサトミはダメ押しする。
「あれから一年よ。ジャガイモ君に新しい恋人ができていても不思議じゃない」とサトミは笑った。