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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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 かすかに届く兄の声を、ケオルは必死に拾う。それはだいぶ遠く、気を抜けば取りこぼしてしまいそうだ。そして自分の言葉が届くようにと、声を張る。
「ああ、そうなんだ」
「文字術は使えるだろう。ここは北の地下だ」
 北の地下。――では距離的にはさほど動いていないのだろうか。
 中央までの距離を計算しかけたケオルは、音の届かなくなった向こう側で兄が何をしようとしているのかを考え、慌てて声を上げた。
「待ってくれ、兄貴!」
 兄フチアがここに来た目的は当然、キレスだろう。だからこそ、彼は自身の知る情報を伝えておかねばならないと考えた。
「キレスのやつ、こちらに戻る気がないんだよ。強引に連れ戻したとしても、また勝手に北へ向かう可能性が高い。どうにか説得しないと、同じことの繰り返しになる。
 それに、……今あいつが移動の術を使うと、俺にまで影響するんだ。仕組みは分からないけど、不完全な記憶が原因にあると思う。俺は、あいつが北に行くと読めたわけじゃないし、偶然でもない。連れて来られたんだ――あいつの意思とは無関係に」
 ケオルは言いながら、ややこしいことになっているな、と改めて思った。正直自分でも、何が起こっているのか、どうすればいいのかも、さっぱりわからない。
 しかし兄の反応は早く、また的確だった。
「戻ったところで、キレスが術を使えば同じというわけか」
「そう……」
 自身の言葉を短くまとめたそれを耳にしたとき、ケオルの脳裏を何かが駆けた。光がくっきりと、ひとつの道を照らし出すように。
「だから兄貴」案と言うよりも、それは必然であるように思われた。「俺はここでキレスを待つ。そして、戻るよう説得する――必ず」
 最後の言葉は自身を奮い立たせるためのものだった。誓いを立てるように、力強く言い切る。
「説得……」フチアの声色がわずかに曇る。「キレスの記憶が戻ったときは、どうする」
「記憶が戻ったらその時は……いや、その時こそ、あいつは俺の前に現れる」
 ケオルがそう言うと、短い沈黙が訪れた。わずかな逡巡、けれどすぐに、
「……間違いないな」
 フチアが念を押すように尋ねる。
「ああ。必ず、来る」
 迷いはなかった。そうに違いないと、何かがはっきりと信じさせる。
 フチアはそれ以上は何も聞かなかった。ケオルがそう言い切る根拠すら聞かないのは、それに賭ける以外ないと判断したからだろう。
 それからフチアは、ケオルの置かれた状況を話して聞かせた。その空間は通常の空間とただこの一点で繋がっていること。こちらからは、宙に浮いた微かな黒点でしかないこと。感覚の鋭いものならば、気配で存在に気付き得ること、しかし点で繋がる別空間という概念を知り得なければ、直接の被害は免れられるだろうこと。ただし、知識と力が伴うものに対し、そこは袋の鼠も同然であること。
 それからフチアは二つの忠告を加え、その場を去った。 
「文字術の結界を張っていろ。もうひとつ、敵がお前の居場所をつかんだ要因はその灯だ」
 はっとして、ケオルは闇を灯す明かりを消し去った。なるほど、火属の神々に対しては、光の精霊の存在によって自らここにいることを示しているようなものだ――迂闊だった。
 ケオルは兄の言葉に従い、暗闇の地に魔法陣を描き始めた。万一気配をつかまれたとしても、こうしておけばまず身に危険が及ぶ心配はないだろう。
 キレスのことはもう、信じるしかない。ただ彼が自分をここに閉じてからしばらく、瞬間移動の術を使っていないことが気がかりだ。……無事でいるだろうか。
(次を逃したら……三度目はないな)
 北に現れ、キレスが夢神に捕らわれたのを目撃したとき、咄嗟の判断で術を読み解き、敵陣に潜り込んだことは、冷静とは言いがたいものだった。短期的な予測では成功しえたが、その先まで考えられていなかった。自分は力ある神々とは違う。姿をくらます術で目をごまかすことはできても、気配は消せない。複数の敵とまみえれば一貫の終わりだ。
 それが偶然にもこうした形をとることができたのも、まるでそうなると定められていたようではないか。だからこそ……、
(次には、必ず)
 ケオルは誓う。キレスの奥深くに閉じてあるものを、目の前に引きずり出してやるのだと。
 それは自身が真理を追究する知属の最高位に座するものとして――いや、そのように生まれついたと、そう信じてもいい。
 いずれにせよ、それは使命である。……いったい他の誰が、それをなしうるだろう?
 ほんとうのことを。過去の事実を、知らねばならない。決して隠されたままであってはならない。目を逸らしてはならない。
 そうすること、また、そうあることを、彼は何よりも強く願うのだった。