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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

INDEX|28ページ/53ページ|

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 まさか、とヤナセは考えた。――それはこの男の持つ神号の表すとおりの力ではないのか。すなわち……、
「時を、止める力――」
 低くつぶやく言葉を捉え、シエンがはっと息をつめた。
 それが意味することの重大さは、誰もがすぐに理解できるものではなかったろう。
 時を止める力。――確かに、ジョセフィールの神号は「時神」……時を司ることを示している。しかしそんな力が実際に存在するとすれば、……まるでこの世のことわりなどまったく意味を成さないだろう。誰も知ることのないところで、知らず知らずのうちに起こされる何か――それによって支配されないものなど、存在しないのではないか。
 それは見えない、知れない、そしてこちらからどうすることもできず、一方的に干渉される力となるだろう。そんな力の存在が、ありうるのか――。
 すると、ジョセフィールはふっと肩をすくめ、
「自由に扱うことが許されているわけではない」
 いたずらっぽく、言うのだった。 
「『月』と交わした約束、それを果たす為にのみ、認められる力だ。……そうでなければ、この世のことわりが意味を成さないではないか。――そうだろう、ヤナセ?」
 心を見透かしたかのように、他人の考えを言葉にしてしまう。ジョセフィールは時折わざと、そういうことをした。
「……まるで他人事だな」ヤナセの声色はいまだ疑いを消してはいない。「ではその『約束』とは何だ……? 生命神の命を救うことか」
「そうだな」それをあっさりと肯定してから、ジョセフィールはこう続けた。「太陽神も同様にな。……定められた時を迎えるまでは」
「定められた『時』……?」
「戦の、終結。――その時だ」
 当然のように言い放つジョセフィールの言葉に、誰もがはっと息を呑む。
 先ほどの光景――生命神の瞳に見た青の色を、思い起こさずにはいられない。敵の主神の持つそれは、“ケセルイムハト”――戦の終結の、象徴。
「戦の、終わり――」するとその言葉に食いつくように、突然ヒスカが口を開いた。「それは、いつなの」
 その胸には十年前に経験した戦の様子を、そして、まだ幼い自身の息子を、思い浮かべていたに違いない。――地下通路を満ちる遺体。よく知るもの、大切なものの、変わり果てた姿。医神の力を持った今も、力の及ばないもの、どう足掻いても取り戻すことのできないものがある。それが自身の最愛のものに及ぶことを考えると、激しい不安が胸を裂く。黙って聞いていられなかったのだろう。……だが、
「わたしは預言者ではないのだ」
「でも……!」
 すがるように声を上げるヒスカに、ジョセフィールはこれ以上なんとも言いようがないとばかりに、肩をすくめてみせた。
 ところがそのとき、
「次の、新月だよ。それが、最後の戦いになる」
 意外なところから、答えが投げられた。――ラアだ。
 声に振り向くと、ラアはジョセフィールを囲む彼らの輪から少し離れ、崩れた石畳に座り込んだまま、相変わらず意識を戻さないカムアに目を落としていた。
 そうしてそのまま、彼は続けてこう言った。
「あの人を呼ぶんだ。だから、月の力が一番強い時じゃないと駄目なんだ」
「『あの人』……?」
 今度はカナスが尋ねる。すると、ラアはゆっくりと顔を上げ、こう言った。
「ホルアクティ。千年前の、太陽神だよ」
「な……」
 耳を疑う。ジョセフィールが千年前の月神の声を聞いたという、そのことすらまだ夢か幻かというような話であったのに、ラアまでもが。
「何を、言って……」
 カナスだけではない、シエンもヤナセも、その言葉があまりにも唐突すぎて、彼の言っていることが理解できなかった。
 そうした動揺をよそに、ラアは何も不思議なことはないというように、言った。
「だって、千年前の生命神『ハピ』は、もう目覚めかけてる」
「――……!」
 声にならない動揺が広がる。
 いったい何が起こっているのか。何が、起こされようとしているのか。
 まるで知らないうちに、すぐ傍に得体の知れない、しかし強大な何かが迫っている。
「いったいどういうことだ……千年前の『生命神ハピ』だと……? 世界を滅するほどの災いを生んだ、その力を、北が再び手に入れたというのか……!」
 困惑をあらわに叫ぶヤナセの声に苛立ちが混じる。にわかには信じられない。千年前の、伝説上の災厄が、今この身に迫っているなど、どうして想像できよう。
「それが、『月』の願いだ」
 ジョセフィールは低く、言った。
「いにしえの、ウシルの息子たちを再びよみがえらせること。――戦を、終わらせんがために」
「……今、なんと言った……?」その言葉を拾い上げたのは、シエンだった。「ウシルの息子『たち』――?」
 なぜ、ジョセフィールがそれを知っているのか。
 シエンは注意深くジョセフィールの言葉を待った。千年前を生きた「生命神ハピ」そして「太陽神ホルアクティ」、その二神が兄弟であった事実は、太陽神側ではずっと隠されてきたのだ。いったい、どうやって知れたというのか。
 注目を一身に集め、ジョセフィールは一度ゆっくりとまぶたを閉じると、
「そうだな。……では、こうしよう」
 ひとり何やら思いついたというように、にっこりと笑みを見せ、そうして、両腕を突き出す。
 彼が力を示すと、木製の古いテーブルがそこに現れた。
 シエンははっとした。それは彼が西で見た、あの――千年前の出来事を見せた――テーブルに違いない。
「お見せしようではないか。これが、わたしの知る事実。……『千年前』の、出来事だ」
 じわり、と、どこからか闇が染み出し、それぞれを包み込んでゆく。
 ひと月前、西でシエンが体験したそれとまったく同じようにして、彼らの意識は千年の時を超えるのだった。

      *

 ケオルは闇の中にいた。
 そこは本当に何も見えない暗闇だった。鼻をつままれても分からないとはよく言ったもので、光が微かにも入らないために、自分が目を開けているのか閉じているのか、それどころか、自分の肉体がそこに存在しているかどうかさえ定かではなかった。立っているはずなのに、足場があるはずなのに、足がきちんとその感覚を認知しない。それ以外の感覚も全て、視覚で確かめられないというだけで、ずいぶんと曖昧になるものだ。
“――見せてやるよ。ドゥアトの暗闇を”
 キレスが残した言葉がよぎり、ぞくりと背筋が凍りつく。……まさか、本当にここが冥界ドゥアトなのだろうか。だとしたら、自分はあっけなく死んでしまったのだろうか?
 けれど、呪文を唱えて光を灯し、自身の手がはっきりと目に映されるようになると、途端に冷静になる。
 そう、肉体はあった。少なくとも、自分には見えている。それだけでひどく安心できた。
 まずこの空間の全容を捉えようと、術で光を広げたが、壁のようなものは見当たらなかった。また足場は確かにあると感じるのに、足下には光を反射し浮かび上がるものが何もない。ケオルはただ闇の上に立っていた。